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ソーシャルワーク

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ソーシャルワークについての個人的な見解を書いた記事のまとめです。
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記事一覧

「ルポ 死亡退院 〜精神医療・闇の実態〜」に寄せて

 Eテレの特集を見た。  あの病院の存在は棄民政策などという作為的なものではなく部分最適…

必然的帰結としての滝山病院

 東京都八王子市にある精神科病院、滝山病院の一連の報道及び特集番組のインプレッションにつ…

対人援助の(dis)communication

 実のところ、私たちが大事にしている価値観、守ろうとしている対象者は、私たちがかくあれか…

透明な地域支援

 日本精神科病院協会会長のインタビュー記事が東京新聞に出ていました。昔から斜に構えて旬を…

いま一度、眼前に立ち戻って|相互作用の一方当事者としての〈人〉

 ソーシャルワークにおける重要(だとわたしが思っている)な考え方を表明した「人と人、人と…

こころのケア、自己鍛錬、人間理解|ソーシャルワーカーがカウンセリングを受けてみた

 受けてみたと言ってもコロナ禍前からなのでもうだいぶ経ちますが、定期的に心理カウンセリン…

初任者の終わり〜年末に寄せて

 今年も終わりですね。実は今年は、というか去年の終わり頃から仕事が全然うまくいっていないはずなのですが、一方では請われたり頼られたりも多く、職場の若い人たちは話を聞くのがうまいものですからついつい講釈を垂れるなどして、なんだか自分がひとかどの支援者のように錯覚してしまいがちでした。  自分の仕事など本当はもっともっとダメ出しされないといけない程度なのに、自分では「ああすべき」「こうすべきだった」が山程思いつき、それが実行に移せていないにもかかわらず、まわりからはよくやったと

ソーシャルワークのインテリ支配

追記:あまりにひどかったので校正し直しました。  時折、ソーシャルワーク専門職の資格要件…

日本ソーシャルワークセンター設立に思う|市場で"食べていけなくなる"ということ

 日本ソーシャルワークセンターなる団体が設立されたらしいですね。らしい、というのはこうや…

生存と幸福とを分かつ線

 やがわさんはいつも遠くからTweetを拝見するだけだったのだけれど、上のツイートにInspirati…

個別的な課題解決の弊害と葛藤領域

 現場で仕事をしていくと、それって個別に解決するんではなくて制度とか社会構造とかの問題じ…

人はなぜ無低に誘われるのか

はじめに  本稿には無低に誘われる人を一からげにする意図も貶めるつもりもありません。 繰…

福祉に対する不公平感にどう応えるか

むき出しの感情にさらされる時代 生活保護をはじめとした福祉サービスを受ける人たちに対して…

グループホームとのアンバランスな関係

 かつてtwitterでグループホームへの不満を述べたことがあったのだけれど、その当時のことを思い出してこの記事を書いた。要は、グループホームが患者を選ぶという倒錯した実態が一部にあって、それには構造的な原因があるのじゃあないか、という話だ。 はじめに|確認事項と問題提起  グループホームという言葉は介護保険法上の共同生活介護と総合支援法上の共同生活援助の二つについて用いられているけれど、これから書くのは後者の方。仕事の関係上精神障害者向けと知的障害者向けの事業所の話で、