福祉に対する不公平感にどう応えるか
むき出しの感情にさらされる時代
生活保護をはじめとした福祉サービスを受ける人たちに対して不公平感を持つ人はどうも少なくないらしい。羨ましいとか言うのはまだ穏当な方で、ずるいと言われたり、福祉サービスを受けている人を直接間接に攻撃することもある。ここに書き記すこともためらわれるくらい汚い言葉も見る。SNSがそういう感情をむき出しにするのにひと役も二役も買っており、それまで社会全体には影響を与えない範囲で投げかけられていたであろう強い言葉が、電子の海で広がっては消えることなく漂っているので、誰の目にも留まるところでもそういう不公平感の存在を読み取ることができる。
不公平感への応答を考える
私としては、そういう不公平感に対してどのように応答すべきなのか態度を決めかねているところがある。それは以下の点による。
1.知れば理解できるのか
よくある応答は、福祉サービスを受ける人の状況や境遇を知らないからで、知ればそれが不公平ではないことがわかるはず、というものだ。でも正直に申し上げると、知った上で不公平感を持ち続ける人にも出会ってきた。あまりの不条理に接しても不公平だと感じる人もいれば、仕事だから本人には言わないだけで心のうちには残っていて、ひとたび本人のいない場に来れば不平不満が溢れ出してくるような人はいる。その人たちが特段悪人だという感じもない。だいたい、事情を知らない人には公平に思えないというのも違う気がする。理解され得ない福祉はある。
2.福祉のこころがないのか
福祉とはそういうもので、不公平に感じるのはあなたが事理を弁識する能力がないからだ、という反論は職業支援者からも多い。単なる妬みだとかね。しかし、福祉が人に寄り添うものだと言いながら、別の人が持つ不公平感には寄り添わないのだろうか。福祉には寄り添う人と寄り添わない人とがいるのだろうか。その線引はどこでどうするのだろうか。そもそも不公平感を持つに至った事情、文脈、生活歴を知る必要はないのだろうか。福祉のこころがないという趣旨の反論は、そのまま反転して福祉の論理で反証できてしまいそうで、これもまたよろしくない。それに、わたしたちはあなた方より物事の道理を知っているという態度は一般に歓迎されないもので、コミュニケーションの方法としてもよくない。
3.あなたも福祉を使えばいいのか
ずるいと思うならあなたも福祉サービスを使えばいい、生活が苦しいなら生活保護を受ければいいという意見もある。そもそも社会が悪いから生活が苦しいのだ、というところまで話が行くこともある。不幸自慢、貧乏さ比べをしている人を見るとそう思わなくもない。福祉サービスを受けないことがアイデンティティになってるのかなー?と思う人もいないではない。現に福祉サービスを受けている人たちの中にも、そのことに負い目を感じて悩む人がいるけど、そういう人に「そうだそうだ」とも「そんなことない」とも言えないものだ。気持ちを否定せずに「まぁ…ただの権利ですから」と返すくらいがせいぜいで、切迫した必要があるときにだけもっと踏み込むくらい。極めて個別的な対応になる。私は不公平感を表明する知らない人の状況もこころのうちも何も知らないのだから、そういう個別的な解答はできなくて、すべてが推測になるはず。知らない人のことをあれこれ決めつけて言うのは誠実ではない。だから「もしお困りの向きは福祉まで」という以上のことはなかなか切り返しづらい。
4.そもそも本当に公平なのか
保険においてはほとんどの被保険者は掛け金だけかけて保険金を受け取らないので、まぁ言ってしまえば損であり不公平ではある。その意味では公的年金保険が異常なだけだ。だから「いや不公平ですよ」という反論はあり得る。しかし、保険同様に自分がいつか使うかもしれないのだから、となると話は変わる。事故や病気で突然福祉サービスを利用するようになることはあるけれど、確率的に低すぎて、あまり自分のこととしてはリアリティが持てないのではないかと思う。それに、先天性の疾患は出生児に問題がなければその人には無縁だったりして、自分が将来その立場になる可能性を根拠にして現在の不公平感を否定する材料にするのも苦しい。
5.不公平感を甘受するのがノブレス・オブリージュか
福祉の人でこういう考え方を採用する人はあんまりいないではないか。端的に福祉サービスの受けている人よりも高いところに人を位置づける発想だから、リベラルには受け入れがたいのだろう。個人的には、人それぞれが社会に対して果たすべき役割があってそれを果たした者を称賛を以て支持する、という発想が根本的に抜け落ちているのもそれはそれで問題だと思うけれど…。環境にも能力にも恵まれた人が社会に対して責任を果たさない言行がここまで肯定されているJAPAN、社会集団の維持には致命的ではないのかな。
かと言って何もしないでもいられない
さりとて、そういう不公平感の表明に対して萎縮したり不必要な申し訳無さを感じたりする人はいるわけで、そういう人たちを支援することを生業にしている以上、知らん顔をしてもいられないから、こういうことを長々と書いている。書いているのだけれど、思ったよりも福祉サービスを受けているか否かにフラットな誠実さのある解答が難しいと思う。何を言うにしても自分のポジションを意識せざるを得ないなあと思う次第。権利擁護とはそういうものなのかもしれないけれど、私の中であちこちが互いに論理矛盾を起こしていて、なんとなく収まりが悪いのだ。
しかし福祉サービスを受けている人たちの身の上を知る機会を賜る人間として思うのは、不公平感を持つこと自体は無理からぬところがあるにしても、その表現方法には配慮してほしいということだろうか。伝え方が拙ければ人を傷つけるばかりで実りがないことは福祉に限った話ではないのだから、普段から人と人がコミュニケーションをとるときと同じように気を使って頂きたいと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?