桐生市的なものの成立過程 の補足

 勢いで書き上げた昨日の記事のあまりの迂遠さに思い至り、補足のようなものを書きました。

 報道で見ている限り、実感としてもかなり異常な対応が日常的に行われていたことが窺えます。ちょっと常軌を逸しているなと思わざるを得ません。以前、都心部ではすでに放棄された異常な対応が地方では連綿と続けられているのではないか、という懸念を表明されているアカデミアの方の発言に接しましたが、実際にこういう異常事態がほかの自治体でも行われている疑いがあることは、既にいくつか報道で窺えますね。

 さて、わたしが桐生市的なもの、異常な生活保護行政がどのように成立したのかの構造を全体的に把握することがほかの自治体で行われているかもしれない同様のことに対応する上でも重要なのではないか、ということを言いたかったような気がしますが、この成立過程や構造という言葉で指し示したかった事象が、自分が思ったほど一意には通用しないのだな、と感じました。そのへんをぼかしたことであの記事は曖昧模糊とした論調になってしまったのでしょう。そこで、この成立過程と構造について、もう少し具体的に書いていきたいと思います。

成立過程について言いたかったこと

 先ほども書きましたが、桐生市の生活保護行政は異常です。そこでわたしが強調したいのは、この異常な対応に職員がコミットしていた、ということです。いったいどういう経過や組織内教育、そして受給者の対応状況と現場の出来事があれば、この異常事態に対するコミットメントが培われるのでしょうか。繰り返しますけど、刑事訴追も免れないかもしれない不法行為を日常的にやっているわけで、常人の倫理観では到底耐え難いはずなんです。生活保護の現場に着任した人たちが最初から邪悪な存在だったと仮定するのは論理の単純化には貢献しますが実態を反映したものではあり得ません。彼らの倫理観を抑圧するかそもそも破壊してしまうような心的過程があったはずです。それは構造の前に無条件降伏する無力な人間を前提とした分析では決して見えてこない、かなしいほど力動的な過程なのです。わたしはこの、実際に現場で受給者と向き合う職員の倫理観を超越せしめた要因が何だったのかを理解したかった。
 ケースワーカーは受給者のリアリティ、生きづらさ、うまくいかなさ、その生活の全体を目撃する人たちですが、彼らが見て聞いて、時に嗅いできた経験にいかなる解釈が先輩上司、組織から与えられていたのか、あるいはもっと単純に訪問しない、面談しない、支援しないなどの手法によって彼らの生活に関与していかない、すなわち生きづらさのリアリティを感得できないように業務が設計されていたのか。いろいろな可能性が考えられるわけですけど、わたしが前回の記事で文化、という言葉を用いたのは、それが文書化された客観的に検証可能な形で残されているとは限らないからです。それらは往々にしてあいまいに空気を支配することで成立します。だから、実際に現場で異常さに加担していた職員たちに聞き取りをすることからしか、彼らを支配した空気を観察することはできない。そして彼らが自分たちを支配した空気について語るには、社会倫理を彼らに演繹することから距離を保たなければならない。ケースワークと同じです。きみたちにどんな問題があるか聞いてやろうという態度では何も出てきません。彼らに「主張を聞いてもらえる」とみなされる態度が必要でしょう。だからと言って彼らの異常な実務が免責されることはないわけですけど、別にそれはオルタナティブではありませんから。人文学の方でも研究対象に心情的に入れ込むべきではないという議論がありますけど、それは少なくないロシア研究者がプーチンの代弁者になったことから明らかでしょう。
 「当事者に寄り添う」という言葉は言っておけばとりあえず正義のポジションに立てるので便利なんですけど、同時に「別の誰かや何かを断罪してやろう」という倫理の執行者のポジションでもあり得るので、その対象となる人や組織、社会を参与的に観察して理解することを不可能にしてしまうのですよね。おなじことが福祉事務所だけでなく、精神科病院や障害者施設でも繰り返されているでしょう。当事者の利益不利益を決定的に左右している社会や組織を観察・分析するためには当事者に寄り添うポジションから(永続的にではなくても)離れないといけない矛盾があるので、実際に当事者に寄り添いきることは口で言うほど簡単じゃないんですよね…

構造について言いたかったこと

 構造についてわたしが言い残したことは、これは分割統治だということくらいでしょうか。昔の記事でも書きましたけど、住所不定の要保護者に対しては水際作戦をしてお引き取り頂くことが自治体レベルでは最適戦略なんだ、それが制度的構造によって決定されているんだ、というような話が、生活保護に関してはとにかく多い。というか、根本的には生活保護受給者が減れば減るほど自治体がいろいろな意味で得をする構造なので、桐生市の対応は生活保護行政によって方向づけられていると言ってもいいでしょうね。それが違法な水準まで逸脱していったのはなぜか、ほかの自治体が逸脱していかない、または逆に生活保護の受給を推進していく方針を取っているのはなぜなのか、というは結局は上に書いた成立過程の話なわけです。

おわりに

 前回と今回の記事を書こうと思った動機は、わたしが桐生市をめぐる一連の報道と検証から中の人の人間像を捉えられなかったことにあります。
 わたしは生活保護行政の中の人とも外の人とも言えない曖昧な立場の人間ですけれど、クライエント理解、自分の感情への洞察、そして福祉事務所への同一化など、ケースワーカーの心的過程が非常にリアリティを伴って感じられる場所にいます。彼らが未定の状態から彼らなりに葛藤し、福祉事務所の人となり、ケースワーカーとなり、そして同時に良心の人でもあり続けるような力動的な過程がそこにはあります。おそらく桐生市にも力動的な過程があったことでしょう。結局のところ、わたしの関心は桐生市福祉事務所の中にいる人間の存在の様式に注がれていたのだと思います。ですが、そこに関心を持つことが彼らから被害を受けた受給者や要保護者たちに寄り添うことと相反することだと見なされるとすれば、それはもうしょうがないことかもしれません。


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