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当時の僕にとって東京は誰の顔も見えない街だった

たしか作文のお題は「顔」だった。

ン十年も前の、大学最後の夏に受けた出版社の就職試験の話。
その日の試験はこの作文から始まって、性格テスト、知能検査、筆記試験と5時間ほども続き、後日さらに一次面接、役員面接と。
一連の選考過程の最初の関門がこの作文だったのだ。

400字で、制限時間は40分だった。
お題はその場で発表されるから、構成を考える時間も含めて40分だ。
当然手書きだから、いったん書き上げてからの書き直しはあり得ない。

僕は幼稚園の頃から、なにかと取りかかりが遅かった。
今日はお絵描きですよと先生に言われ、画用紙や筆、パレット、絵の具、バケツを用意したら、そこで終わり。
皆が思い思いに描いていくのを腕を組んで眺めながら、時間だけが進む。
でもアイデアがまとまってからは早かった。
描き終えて片づけても皆はまだ描いている。
そんな絵のクオリティたるや。

就職試験の作文もまるで同じだった。
幼稚園から何も変わっていない。
皆が一心不乱にカリカリと鉛筆の音を立てるのをぼんやり眺めていた。
「顔」か、どう書こう。
カリカリ、カリカリ…
室内に鉛筆の音がこだまする。
カリカリ、カリカリ…
皆の背中から、時間と闘う必死が伝わってくる。
誰の顔も見えない…顔…顔?

東京に苦手意識を持ちながら、出版なら東京しか選択肢がない。
そんな不本意を抱えた当時の僕にとって東京は誰の顔も見えない街だった。
そうだ、そのことを書こう、そう決めてからは早かった。

まちを歩く。

僕はそう書きはじめた。
孤独な思いを書き出したら止まらない。

すれ違う顔、顔、顔。
一人とて知る顔はない。
僕の顔を知る人もまた、ない。
顔って何? どう見える? どう見せる?
顔は人から見られるものではなく、見せるもの。
そして顔は、作るものではなく、作られるもの。

制限時間を大いに残して僕は一気に書き上げた。

思えば子供の頃から文章を書くのが好きだった。
読書感想文なんて何枚でも書きたいくらい好物だったが、僕の書くものはどうも人とは違っていて、感想文の形式をとる自己主張だったようだ。
決められたことはどうにも苦手。
主張の権化のような出版業界に進んだのも当然の流れだったろう。

後日聞くところによると、この作文の評価は最高点ではなかったということだが、結果として僕はただ一人の内定者に選ばれた。
3000人受験して君一人だよ、と社長は言った。
うそ、あの会場にそんなに入らへんて。
真相は今も謎だが、3000倍は僕の自信のひとつになっている。

(2023/5/26記)

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