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夏の終わり、今日から一人の昼ごはん

先月、姪の結婚式で横浜に行った。
そこに駆けつけた東京の長男、京都の娘はちょうど大学の夏休み中ということもあって、式のあとそのままいっしょに神戸に帰ってきた。

久しぶりに家族が全員揃ったはいいが、折しも灼熱の8月。
昔まだ子供たちが住んでいた頃は地球もこんなに暑くなく、エアコンのない部屋がほとんどだ。
となると、夜はエアコンのあるリビングに皆集まってくる。

さらに、冷房をつけたまま寝ないと命の危険があるという昨今。
結局、皆そのままリビングで寝ざるを得ない。

ソファと机の隙間に1人、食器棚と食卓の隙間に1人、カウンターと食卓の隙間に1人、襖を開け放して隣の座敷に2人。
ふだん夜ふかしな娘も、さすがに皆が寝ようとしているその部屋で煌々と電気をつけるわけにもいかず、諦めたようにふとんに入る。

「そういえばさぁ…」誰かが口を開く。
「ん? 何? 聞こえへん」誰かが答える。
「いや、そやからさぁ…」声が大きくなる。

ソファの向こうから、食卓の向こうから、カウンターの手前から、声が行き交う、飛び交う。
なんだ、この修学旅行感。

さすがに枕投げはなく、一人また一人と眠りに落ちていく。
いい夢見てね。

しかし、10畳用くらいの非力なエアコン1台で、LDK・座敷あわせて30畳ほどを冷やそうとしても冷えきらない。
夜半過ぎ、暑くて眠りの浅い誰かが、ソファの向こうから「あぁ…」、食卓の向こうから「うぅ…」と呻く。
なんだ、この野戦病院感。

長男は先日、東京へ帰っていった。

娘はいったん京都に戻っては神戸に帰り、淡路に行っては神戸に帰り、東京に足を伸ばしては神戸に帰り、と大忙しだったが昨日ついに、しばらく帰らへん、忘れ物してたら送って、と言い残して上洛していった。

あぁ、なんか淋しなってもたやん。
子供といってももういい大人、こういう淋しさもだんだん減ってくるのかと思っていたが、全然慣れない。

そういえば、中学を出た長男が高専への進学を決めて家を出たとき、たまらない淋しさに襲われたのを思い出した。
引越の手伝いを終えたあと、寮の窓から小さく手を振る長男を見て、帰りの運転は涙で視界がにじんだ。

あの何もできなかった子供が自分の世界を見つけ、巣立っていく。
その嬉しさは、頼られてきたのが突然頼られなくなる淋しさの裏返し。
娘が大学に進んで家を出たときも同じだった。

しかし、いま子供たちがそれぞれ東京に、京都に帰って感じるこの淋しさは、逆に頼りになる子供たちに今日から頼れない淋しさだ。
まったく頼もしい子に育ってくれた。
ということは、この淋しさ、これからどんどん増していくのか。
ふぅ、やれやれ。

夏の終わり。
今日から一人の昼ごはん。

(2023/9/7記)

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