初めての仕送りをATMから引き出したときの昂揚感は今も忘れない
大学への進学で、京都で一人暮らしを始めたあの日。
初めての仕送りをATMから引き出したときの昂揚感は今も忘れない。
自分が少し大人に近づいたような、そんな気がしたのだ。
でも僕にとって“仕送り”は、実はそれが初めではなかった。
***
中2の春。
大学生になった兄が家を出て、京都で一人暮らしを始めることになった。
仲のよかった兄だから、行ってしまうのはとても淋しかった。
それに、両親の仲はお世辞にもいいとはいえなかったから、これからは不穏な空気を一人で受けとめることになると思うと鬱々とした。
兄の下宿が吉田山の南、黒谷のほうに決まった。
大学生協で一人暮らしの備品を買い揃えるというので、つきあった。
冷蔵庫や炊飯器、タンスやふとん。
まだまだ娯楽のものしか買わない中学生にとって、生活のためのものを揃えていく大学生に大人を感じるのは自然なことだ。
早く両親から離れたい気持ちも手伝って、一日も早く僕もこの京都で一人暮らしを始めたいという思いを募らせるのだった。
母から、兄はこづかいから仕送りに変わると聞いた。
手渡しだったこづかいが、ATMを介した仕送りに――
仕送り、というなんとも大人な響きが羨ましかった。
どうにも我慢できなくなった僕は、母に頼みこんだ。
こづかいを、手渡しではなく郵貯の口座に入れてほしいと。
母は呆れていたが、毎月郵便局へ行って僕の口座に1,000円入れてくれた。
仕送りごっこ。
それでも全然構わなかった。
ATMからこづかいを引き出すのは、たまらなく誇らしかった。
***
数年後、僕は念願叶って京都で一人暮らしをすることになった。
5歳離れた兄はとっくに卒業し、もう京都にはいなかった。
僕は兄が最後に住んでいた吉田神社の横のアパートに入った。
そうだ、さっそく大家に最初の家賃を払わなければ。
“初めての”仕送りをATMから引き出したときの昂揚感は今も忘れない。
自分が少し大人に近づいたような、そんな気がしたのだ。
仕送りは確か、65,000円だったように思う。
(2022/10/4記)