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作っても食べられないものは多いけれど

退院からまもなく1か月を迎えるが、体力は順調に回復してきた。
近くのスーパーへの往復で息が上がるなどということはもはやなく、その点ではまったくふつうの暮らしが送れるようになった。

しかし一方で、手術を受けた口の中の状況は大きな進展はない。
100%回復した体力と、いまだマイナスに沈んだ口のギャップに結構苦しめられている。

退院直後、体力が大きく落ちていたときには、その日を過ごすのが精一杯だったから無理ができようはずもなかった。
ところが今は、身体の調子がよいから、つい自分がまだ問題を抱えていることを忘れてしまうのだ。

たとえばこうだ。

タウンサイトなどで神戸のグルメレポートや新店情報を見かける。
反射的に、あ、これうまそう! 行きたい! どこ? となる。
そして、いつ行こうかなと考えはじめるあたりで、あ… となる。
行っても食べれんやん。

求人サイトなどでやってみたい仕事が見つかる。
これえぇやん! めっちゃおもろそう! となる。
そして、いろいろ条件を確認するあたりで、あ… となる。
仕事行っても喋れんやん。
昼、何も食べずにどうやって夜まで働くん。

喋れんやん、食べれんやんと毎日気づくくせに、また翌日になったらそれを忘れて探してしまう。
ひとしきり選んで、さぁという段でまたションボリするのである。

けれど。

忘れてならないのは、僕が確実に回復途上にあるということだ。
喋れない、食べられないのは病状が悪化しているからではない。
他にできることが増えたから、際立っているだけだ。

もちろん、できないことへのもどかしさはある。
これもできない、あれもできないと苛立ったりもする。
でもここで、えぇい!と投げ出すのか、これしたいよな? あれもしたいよな?と自分にいい聞かせるのか。
その意識が問われているのだと思っている。
おそらくリハビリというものはそうしたものなのだろう。

最近、元気になったから夕食の準備を担当することが増えた。
作っても食べられないものは多いけれど。
あぁこれも食べられないのかと思うのか、早くこれを食べられるようになりたいと思うのか。

仕事にはまだ出られないが、食事を用意できるまでになった。
給食のおっちゃんとして家族の役に立てているなら、それでいい。

(2023/5/2記)

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