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――それが編集者の仕事

先月、noteのメンバーシップ「ちょこっと倶楽部」を立ち上げた。
2コース用意したうちの一つが「エディターコース」というもので、元編集者の僕が編集にまつわる記事をメンバー限定で投稿している。

今日はまさに編集ドンピシャの記事を書こうとしていて、本来であれば「エディターコース」の限定記事にすべき内容だ。
だが、通常の記事として投稿するのにはちょっとした訳がある。

5か月も前のことになるが、こんな記事をあげたことがある。

「人生、すべて編集」という僕の思いを書いたこの記事に、ふーふーちゃんねる。の嫁です。さんからこんなコメントをいただいた。

「自分で書けるのに人に書かせることが趣味」の部分が気になりました。もしよかったら次はこの部分を深掘りして記事にしていただけたらうれしいです…!

また3か月前にはこんな記事をあげた。

編集者時代に僕が作った書籍の紹介だったが、これに対し、まいまいままさんからこんなコメントをいただいた。

本づくりをされたお話、もっと聞きたいです(^▽^)/

とりわけ仲よし(と僕が勝手に思っている)noterのお二人からこのようなリクエストをいただきながら、今までお答えすることもせず、やっと答えたと思ったらメンバーシップ限定記事だったなんて笑えない。

…というのが、今日の記事が限定記事でない理由だ。

おっと、前置きだけで600字近くになってしまった。
ふだん1000字を目安に投稿しているが、今日は少し超過することをお許し願いたい。

自分で書けるのに人に書かせることが趣味

編集者は文章のエキスパートだ。
全体の構成を脳裏に描き、効果的に文章を組み立てることができる。
1万字の文章でも、目の前の100字に近視眼的にとらわれず常に全体を意識して読むから、途中で路頭に迷うこともない。

だから書ける。
効果的な技法を知り尽くし、多彩な表現を自由自在に操る。
編集者の書いた文章はいたって美麗だ。

でも編集者は知っている。
自分には学者のような専門性もなければ、作家のような博識もないことを。
書けるが、書かせる方がいいことを知っているのだ。

常に問題意識を持ち、皆に伝えたいテーマをいくつも持っている。
このテーマならあの人に書いてもらえばおもしろいものが出てくるだろう。
わぁ、たしかにおもしろいの書いてくれたけど、文章ヘタクソすぎ。
ここ、こうしてみませんか? ここ要りませんよね?

多様な問題意識と多彩な執筆者のマッチング(キャスティング)。
出てきた作品を美麗に仕上げるお手伝い。
――それが編集者の仕事。

本づくりの話

出版社勤務だった僕が在職の最後に手がけ、未完に終わった企画がある。
「優越感と劣等感」についての書籍を作ろうとしていたのだ。

僕の中の問題意識は、優越感を持つことは悪いことなのか? というもの。
人を見下すことなく、優越感を前向きな原動力にすることはできないのか。

僕は、ライトな筆致の大阪の精神科医をピックアップし、原稿を依頼した。
精神科医はうーんと唸り、なるほど、持ってはいけないものとして認識されている優越感に光を当てる取組ですねと快諾してくれた。

構成案を打ち合わせ、大まかな方向性を固めた。
いきなり全編書き下ろしてもらうのではなく、構成案の1章ごとに雑誌に連載してもらう形をとった。

連載の反応は、正直僕が描いていたようなスマッシュヒットにはならなかったが、おもしろい着眼点だという声がいくつか見られた。
よし、これは後半うまく持っていけば書籍として成立する!

だがいろいろあって僕は出版社を去ることになってしまった。
「優越感と劣等感」の連載は3回ほどでいったん終了となった。
後任の編集者にあとを託したが、その本が出た話をついぞ聞かない。
残念だけど。

優越感に関する問題意識は、僕と精神科医の中だけにあったのだ。
あとをよろしく、というのは後任にとっては実に酷な話。
いくら美文を操る編集者といえど、自分が共感できないテーマを形にすることはできない。
――それが編集者の仕事。

***

今日の記事のきっかけになったお二人に心から感謝したい。
リクエストに対してハイハイ~と軽く答えておきながら、数か月もお待たせしたこの遅筆をどうかお許し願えたら。

お二人の投稿を日々、元編集者として楽しみにしている。

(2022/8/19記)

サポートなどいただけるとは思っていませんが、万一したくてたまらなくなった場合は遠慮なさらずぜひどうぞ!