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3回生の秋、僕はやっと大学生になれた

中高時代、僕の大学への憧れはサックスCDスパゲティでできていた。

🎷サックス

中1のころ、5つ上の兄が京都の大学に合格した。
下宿探し、家財の調達、引越と忙しい兄に、僕はよく同行した。

大きなキャンパスから、図太い音が響いてくる。
最初は遠慮がちに、すぐ大胆に。
サックスだ。

おそらく軽音サークルの練習だろう。
いつ行ってもキャンパスには何本ものサックスの音が混じり合っていた。
そのたび足を止め目を閉じて、しばらくその音に身を預けた。

いつしかサックスの音こそが大学と思うようになり、早くこの音を毎日聞けるようになりたいと夢見るようになったのだった。

💿CD

中2のころ、ともにヘヴィメタバンドを組んでいた友達の家に行った。
文化祭のオーディションに向けた最後の練習だ。

いつも元町のスタジオを借りて練習していたが、費用もバカにならないと思っていたら、家でできるとその友達が言う。
早く言え。

彼はバンドの名ドラマーであり、開業医のどら息子でもあった。
広大な彼の部屋にはステレオやドラムセットなどが鎮座し、床にはキラキラ光る円盤が転がっている。
当時出たばかりでまだ誰も現物を拝んだことのなかったCDだ。

その日は軽く流して最終確認をするはずだった。
しかし、僕たちの頭には共通して「豪奢な貴族の暮らし」「高まる庶民の不満」という歴史の教科書の見出しが浮かんだのだろう。
最終確認のはずの音はてんでんばらばらだった。

自信を喪失したまま臨んだオーディションはみごと落選し、僕の頭に残ったのはただただキラキラ光る円盤。
大学生になったらそれを手に入れることを、庶民の細やかな目標に据えた。

🍺スパゲティ

高校の現代文の授業で、村上春樹の短編が題材に使われた。
気になった僕は氏の小説を何冊か読み、その怠惰な文章のとりことなった。

村上春樹の書く主人公は、急に出かけることになったときになぜかシャワー、髭剃り、ビール、スパゲティが欠かせない。
それを何度も目にするうち、大学生になって独り暮らしを始めたら、その4点セットをやらなければならないものとなっていた。

🏫そして大学

僕は無事、兄と同じ大学に入学した。

もちろんサックスは引っ越したその日から毎日聞けた。
下宿は大学のすぐ横だったから、僕は常にその音に包まれる幸せを得た。

CDは入学直後に大学内のショップに駆け込み、ショパンを買った。
プレーヤーを手に入れるまで数か月間、ただひたすらキラキラのCDを眺め、僕はうっとりと暮らした。

ところがなかなか村上春樹的スパゲティの機会は訪れない。
1年経っても、2年経っても、誰も僕を急に呼び出したりしない。
かくなるうえはと、終日実験の日の昼休憩に照準を合わせた。
午前の実験が終わったらすぐ下宿に戻り、手早くスパゲティを用意して缶ビールとともに腹に収め、シャワーを浴びて丁寧に髭を剃った。
あ、うそ、スパゲティではなく焼きそばだ。
1時間後、僕は急に呼び出された設定で慌ただしく下宿を出て、午後の実験に戻った。

3回生の秋、僕はやっと大学生になれた。

(2023/9/5記)

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