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大丈夫、あなたは悪くない

心理職や対人援助職にいる友人たちの助けもあって、私は昨年の秋からトラウマケアを受けています。今のところ一回数時間のセッションを三回ほど受けました。最初に言っておきますが、自分自身のトラウマにたどり着くのってそんなに簡単ではなかったです。「トラウマケア受けてるのに何がトラウマか分からねぇ」っていう不思議な状況がずっと続きました。

何度かやって分かったのですが、私のトラウマは根っこの太いのがドンっとあって、そこから派生した生きづらさによって別のトラウマ的事象が無数にくっついてしまっている状態でした。しかも厄介なのは、根っこのトラウマについては記憶に残っていない、あるいは残っていたとしても「大したことではない」と自分が思い込んでいたこと。そして、最初の二回のセッションでは、根っこの回りにくっついている無数のトラウマを拾っている状態でした。

EMDRとかいろいろやりましたが、やっぱり拭い去れないのですよね。だって根っこが残っているんですもの。

私はずっと母の教育虐待がトラウマの根源だと思っていました。いい学校に行かなきゃ愛してやらないという態度をあからさまに取られ続け、条件つきの愛情ゆえに家庭で安心感を持って過ごすことのできなかった原家族との思い出。そこについては何度も心理的アプローチを試みましたが、やっぱりダメなんです。自己嫌悪や希死念慮はずっと消えない。

さらに、私には厄介なところがあって、他者に対して急に怒りがおさまらなくなることがある。きっかけは正直よく分からないのですが、一度怒り始めると手足はブルブルと震え、顔面蒼白になって怒鳴りつけてしまう。それで失った友達関係は数知れず。なので、私は人と深い関係にはならないようにしています。豹変した自分を見られて相手が去ってしまうぐらいであれば、自分から去ろうと思っていました。

こんな感じなので、友人関係はなかなか長続きしませんでした。

でも三回目のセッションで、臨床心理士の先生にやって頂いた最新の心理療法で、根っこのトラウマが期せずして露わになったのです。移動する棒を見ながら年齢ごとに記憶を思い出していくというワーク(?)で、私は6~10歳の部分で目を開けるのも辛くなってしまいました。でも記憶としては何も出てきません。11歳や12歳あたりはクリアです。あの頃は中学受験が本当につらかったので。私はそのあたりが自分のトラウマだと思い込んでいました。

「6歳から10歳、目を開けるのも辛そうですけど」と先生に問われ、私は「身体は反応するのですが、それらしき記憶は出てこないです…。別に辛かったという記憶はないです」と言いました。本当に特に象徴的な記憶は出てこなかったのです。これこそがトラウマ記憶の為せるわざ。私はそのときの記憶を「大したことがない話」として消していたのですね。もろに覚えていたら、生きているのがつらくなるから。

しばらく先生とセッションを続けていくうちに、「うちの父はアルコール依存症でした」とまるで「私の父は会社員でした」と同じノリで喋っていました。「祖父もアルコール依存症で死にました」「酒を飲むと暴力がすごかったんです」「一滴の酒で豹変して」私の口調はライトでした。そこには他のときとは違って感情が全く入っていませんでした。

「それは何歳頃ですか、ずっとですか」と先生に聞かれたとき、私は戦慄しました。

「母が仕事に出るようになってから酷くなったんです。家に子どもだけしかいないときに帰宅すると酒に酔って暴れて暴力を振うんです。母が仕事を始めたのは私が6歳のときから…。10歳のときには父が単身赴任になって、そのあと10年は別々に暮らして…」

あ、そうか、6歳から10歳。

父がアルコールを一滴飲むと豹変して、家で暴れて暴力を振っていたのがその期間だったのでした。

「怖かったと思います。ものすごい恐怖だったと思います。絶対にかなわない身体が大きい大人がそばで暴れて暴力をふるってくるって、子どもにとってはすごい恐怖です」

臨床心理士の先生にそう言われた瞬間、凍り付いていた記憶が溶け出した象徴のように、私の目からは涙が次々に溢れてきました。「怖かったって言っていいんですか…」と私は思わず言っていました。あの記憶はたいした記憶ではない、自分は傷ついてなどいない、そう思い込まないと生きていけなかった私。無意識に「怖かった」と認識することを禁じていたのでした。

先生に「あの頃の自分に声をかけてあげてください」と言われて、私はそのときの記憶に戻りました。私は記憶のなかで、私より酷く殴られている兄二人の手を取って、必死に家の外に逃げていました。

「兄ちゃん、ごめん、助けてあげられなくてごめん!もう大丈夫、ここは安全だから!」

記憶の中の小さな私は大泣きしながら叫んでいました。あの頃、小さな兄二人を助けてあげられなかったことも、ずっと私の罪悪感として残っていたことが分かったのでした。

記憶の中で兄二人を連れ出し、もう大丈夫だから!と言うことで、過去の辛かった記憶が少しずつ癒されていくのを感じました。

最後に臨床心理士さんから聞いた話。人は通常の記憶で処理するのが難しいようなトラウマティックな出来事に遭遇すると、解離したり、フリーズしたりして記憶と付き合っていこうとする、これはよく知られています。けれどももう一つあって、それは「トラウマになる相手の行動をそのまま自分自身に取り込む」ことで生き延びようとするということもあるそうです。

私はまさにそれでした。

他者に対して突如怒りが爆発して止まらなくなるのも、あのときに見た父の姿を自分のなかに取り込んで生きていたのですね。あんなに傷ついたはずなのに、同じことを他人にしていたのです。そう思うと自分自身も本当に罪深くて嫌になります。

三回のセッションを受けて分かったことは、ヒトの記憶というのは本当に一筋縄ではいかないということです。忘れていたことに苦しめられ、大したことないと思い込んでいたことに実はとらわれて生きています。

誰もが過去の記憶に一直線に飛んでいけたらどんなに良いかと思いますが。

それでもやっぱり、生きづらい思いをしている多くの人があの頃の自分に遭いに行って「大丈夫、あなたは悪くない」と言って欲しいです。

大丈夫、あなたは悪くない。

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