依弦/Izuru

モノをつづることを愛するひと。英語を使って誰かと誰かの橋渡しをするひと。バイオリンを愛…

依弦/Izuru

モノをつづることを愛するひと。英語を使って誰かと誰かの橋渡しをするひと。バイオリンを愛するひと。自分は弾けない。

最近の記事

良性発作性頭位めまい症の記録(続)

さて、前回の note で綴ったように、2023年10月の終わりに私は突然のグルグル大回転めまいに見舞われた。なんとか立って玄関まで行こうとするが、立って歩くどころではない。玄関まで続く廊下がグニャグニャと波打ち、身体を根っこから跳ね上げるのである。 「こうなったら匍匐前進だ…」とズズズズズ…と身体を這いずらせ、玄関の鍵を開けた。持っていたスマホで救急車を呼ぼうとしたが、その前にGoogle先生で症状の検索をかけた。パニックになって救急車を呼ぼうというする行動を取りながらも

    • 良性発作性頭位めまい症の記録

      突然だが、10月の末に良性発作性頭位めまい症というものを突然発症し、ぶっ倒れた。この病名、X(旧Twitter)でもママスタでも5chでもいいから検索をかけてみよう。きっと驚くはずだ。なぜなら、かなりの割合の人が経験しているのだ。そして、残念ながら病院に行っても特効薬はない。 病院に行くとお医者さんからは「1~2週間で治る」と気楽な顔で言われるが、これはごく一部のラッキーな人であると思う。周りを見ていたら、違和感なく生活ができるまで、1か月~3か月は軽くかかっているし、これ

      • また書くことに疲れて考えてみた

        月イチで書こうと決めていた note だったのに、また七か月空いてしまった。これの前に書いていた本名で執筆していた note は、親に見つかって(まあ本名でやってたら仕方ないよな)、見つかる分には構わないんだが例によって例のごとく「うちの子すごい」の自慢のネタに使われたのが心底イヤになって、記事を全部消した。 こうやって、ブログも、note も、いろいろと書き散らかしては中途半端にやめてしまうこと20年ほど。ブログどころか人間関係もいつも中途半端にリセット症候群を発動して、

        • 無責任な大人が子どもには必要

          私は中学生の頃に美術大学への進学を希望し、それをこっぴどく母親に反対されたイヤな思い出がある。今思えば私も幼くて、その道がどんなに茨の道であるかも分かっていなかったわけだが、それにしたって当時の母の反対する理由は親子の信頼関係を打ち砕くには十分なエゴイスティックなものであった。 「あなたがいい大学行ってくれないと、子育てが失敗したって周りに思われるじゃない。何のために中学受験までさせて中高一貫に行かせたの?」 このとき私はまだ親に言い返すだけの語彙力や知性を十分に持ち合わ

        良性発作性頭位めまい症の記録(続)

          「なんとかなるさ」じゃダメなんか

          あと三か月でいよいよ中学校に入学する我が家の息子、親バカで申し訳ないのだが、映像制作の分野でめきめきと才能を伸ばしている。小さい頃はとにかく育てづらくて手がかかる、発達のことで気を揉む、将来のことで絶望するという三点セットで私の心労もMaxだったものだが、私自身の人生を振り返って、とにかく「普通の発達」をすることを押し付けないように、好きなことは好きなだけ没入してOKと言って育ててきた。 小学校高学年ぐらいで映像制作の魅力にとりつかれた彼は、「僕は映像芸術が勉強できる高校に

          「なんとかなるさ」じゃダメなんか

          こういうのは順番なのだ

          二日以上過ぎてしまったけれど、SNSで皆さんのクリスマスの写真を見てほっこりとしてしまった。 俄かで申し訳ないのだが、私はこれでも一応カトリックの信者である。2010年に家族全員で受洗した。なぜ受洗したかは今さら語るまい。とにかく今日一日を生きている意味すら分からなくなり、傷だらけの足を引きずるようにして歩くような時期があったのだ。そのとき、私は高校時代の恩師が教えてくれた作者不詳のある詩を思い出した。 人生の一番つらい時期を振り返ってみたら、砂浜には一つの足跡しか残され

          こういうのは順番なのだ

          罪悪感との闘い

          月末の朝は「今月中に進捗の報告を」と言われたり、請求書を打ったりと往々にして余裕がないのだが、それでも私は「月に一本は必ず note を投稿する」という自分との約束を今年も終わりに近づいてきたというのに破ってしまうのは心苦しい。というわけで、頑張って書くことにする。 今朝、私はオットがこたつの上に置いていった読み止しの『ブルーピリオド⑬』になんとなく目を通し、そして一人盛大に落涙してしまった。久しぶりに気持ちが良いほど「泣き活」をしてしまったのだ。細かいことはネタバレになる

          罪悪感との闘い

          完全にロストしてます。

          今の子供たちというのはデジタルへの親和性がすごい。高校生の娘は「友達との近況連絡は全部インスタのストーリー」だというし、娘の友達で絵が上手な子は絵の投稿にTwitterアカウントを作ったりしてどんどん自分の才能を世に発表している。 私の世代は絵や漫画を誰かに認めて欲しければ、白いケント紙(クソ高い)をバラで買って、ペン先とペンとスクリーントーン(クソ高い)を買って、親に隠して描いては、りぼんの新人賞に応募したりしていたものだ(←黒歴史)。それが今の若い世代はTwitterや

          完全にロストしてます。

          コロナ禍で嚥下ができなくなった話。

          今日は久しぶりに外食して肉を食べた。しゃぶしゃぶ。1,000円でお腹いっぱい肉と野菜が食べられるお店だったので、茨城に引っ越してきて以来ずっとことあるごとに通っていたのだが、コロナ禍に突入した2020年春あたりからぱったり行かなくなった。 最初の頃は感染予防や自粛のためだったが、途中から理由が変わった。 固形物を飲み込めなくなったのである。 この症状はコロナ禍で子どもの学校が3か月休校になったあたりから出てき始めた。 私は過度のストレスに侵されると、昔から喉のところに

          コロナ禍で嚥下ができなくなった話。

          星野くんの記事を読んで思い出した

          先週、Twitterで久しぶりに大学時代の友人を取り上げた素晴らしい記事と行き当たった。随分と反響が大きかったようで、いろいろなところでシェアされている。星野君とは折に触れて自分たちの育ってきた生育環境や、「らしさ」にがんじがらめになる生きづらさについて語り合ってきたけれど、こうしてまた彼の記事が多くの人の心の何かに触れる瞬間を見ることができて、私は本当に嬉しい。(リンクは星野君の記事である。是非ご一読いただきたい) 偉そうに上から目線な発言に聞こえるかもしれないが、星野君

          星野くんの記事を読んで思い出した

          好きなことを好きと言うことがこんなに難しいなんて。

          ここ数日、政府が「ギフテッド」とか「2E」とかをもっと支援するという方針を発表したことで、何らか支援を必要としている多くの子供の親御さんたちの心の揺れがタイムライン上で展開された。 そもそも私は「ギフテッド」という言葉が嫌いなので、本垢の方ではミュートしている。なぜかと言えば、この国における「ギフテッド」とは、とんでもなくお勉強系に拘りと能力があり、いわゆる「良い学校」に行く子供ばかりにフォーカスされがちだからだ。あるいはたまに芸術系も入るかもしれない。 うちの息子はIQ

          好きなことを好きと言うことがこんなに難しいなんて。

          みんな美味しいもの沢山食べて!

          若き頃の私、殿方とデートをすると嫌な顔をされて愛想尽かされることが結構ありました。なんでかって。食事をすることに全く興味がなかったから。興味がなかったってのも違うな。どちらかというと食べることに恐怖があったから。 幼少期の私、偏食が激しくてとても痩せていました。(ちなみにASDの息子も全く同じです。偏食激しくて食べるものが限られているので、好きなモノしか食べないし、痩せててガリガリ) 私が小学校時代を過ごした昭和の頃というのは、給食で完食指導というのが当たり前に行われてい

          みんな美味しいもの沢山食べて!

          親戚がみんなズレていった日

          2020年から約二年続いたコロナ禍。私はとにかく子供たちの日常を崩してしまうのがイヤで、せめて自分だけでも平常の状態でいようと頑張り続けた。日常に制限が加えられるとしても、家に帰ればいつもと変わらぬ家庭の風景があるように。それだけを目標に、日々の生活を粛々とおくった。そして結構疲れた。こうして生活が落ち着いてきて、一気に心身にいろいろとガタがき始めている。 なんとか日常をおくろうと努める私とは裏腹に、コロナ禍も一年目を過ぎたあたりから、親やら叔父やら、老いた親戚たちの歯車が

          親戚がみんなズレていった日

          ゆっくり大人になればいいって

          上の娘がまだまだ小さかった頃、「自分で食っていける大人にしよう」という幼児教室が流行った。メディアでもあちこちで取り上げられて、初めての子育てで不安ばかりの私には、とても魅力的に思えた。その幼児教室はどこもあっという間に定員いっぱいになり、変なところにアンテナが高かった私は一番ノリで入塾させた。 「今の子どもたちは野山で駆け回って「遊びきった」体験がない。それが生きる力の弱さにつながっている。」 そう言われて、幼児教室が実施している大自然での夏合宿に幼稚園の時分に参加させ

          ゆっくり大人になればいいって

          「次は?」はもう終わりにしよう。

          ここ数年、ずっと迷走していた。いや数年じゃないよ。物心ついてからずっと迷走し続けてきた気がする。何かを達成したら次の目標、次の目標が達成したら、ハイ、次の目標。駆け抜け続けてきた気がする。おかげで二年前には念願の訳書が出版できた。でもそこからまた、苦しい日々が始まった。 次の目標はどうしよう。 訳書をもう一冊出すか。 ちょっと趣向を変えて小説でも出版するか。 それとも年収を今の倍ぐらいにするか。 何かチャレンジしてみようと思って手を出してみても、横から次々に仕事が入って

          「次は?」はもう終わりにしよう。

          母親が「普通」ではなくなった

          突然母親が「普通」ではなくなった。いや、正確に言うと今までの意地悪さが煎じられて遠慮なく濃くなった感じになった。 それは一週間前。仕事中に母から電話が鳴った。もう数年前から私は母の電話は取らないようにしているのだが、そもそも母親は私が仕事をしているであろう時間には電話をかけてこない。それが突然鳴った。なんでだか分からないけど嫌な予感がして、そのときは電話を取った。 「もしもし、元気~?」 拍子ヌケするような朗らかな声だった。 「どうした?何かあった?」と私が聞くと、母

          母親が「普通」ではなくなった