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良性発作性頭位めまい症の記録(続)

さて、前回の note で綴ったように、2023年10月の終わりに私は突然のグルグル大回転めまいに見舞われた。なんとか立って玄関まで行こうとするが、立って歩くどころではない。玄関まで続く廊下がグニャグニャと波打ち、身体を根っこから跳ね上げるのである。

「こうなったら匍匐前進だ…」とズズズズズ…と身体を這いずらせ、玄関の鍵を開けた。持っていたスマホで救急車を呼ぼうとしたが、その前にGoogle先生で症状の検索をかけた。パニックになって救急車を呼ぼうというする行動を取りながらも、私はあと何時間かすれば子どもたちが学校から帰宅するということが頭の中にあった。何の連絡もなく私が家からいなくなっていたら、どう思うだろうか。高校生と中学生だから「買い物に行ってんのかな?」ぐらいしか思わないかもしれないが…。家に帰ったら母親が救急搬送されていていなくなっていたという歴史はなるべく作りたくなかった(なんだそりゃ)。ただでさえ、私は一度パニック障害で救急搬送されており、その記憶は幼少の子どもたちの心に「お母さんが死ぬかも」という大きな傷を残したらしい。

「めまいは酷いが、手足にしびれはない。意識ははっきりしている。呂律も回る。これは恐らく脳ではない。良性発作性頭位めまい症である」と私は自己判断し、検索で出てきた「エプリー法」という外れた耳石を元の場所に戻す体操をやってみた。

お、おええええええええええええええええ(実際に出た私の声)

エプリー法、強烈である。めまいがある方向に敢えて頭を動かして、めまいを誘発させる、拷問のような体操。頭を動かすと、激しく大回転する視界の中で、回転がおさまるまでひたすら耐える。それを何度も何度も繰り返すのである。

これは嘔吐恐怖症には地獄である。

冷や汗が流れ出てき、涙と鼻水が噴き出し、一体何の罰なのだ、私が何をやったのだ、ちょっと過労が過ぎただけじゃないか(←それだよ)とガタガタ震えながら大回転に何度も何度も耐える。

それでもエプリー法を何度かやったらあら不思議、立って歩けるようになった。それでもふらふらした感じは全然抜けず、吐き気も酷く、翌々日に病院に行って吐き気止めと眩暈止めの薬をもらったものの一か月は地獄のような状態が続いた。食欲はめっきり落ち、完全に鬱状態になってしまい、体重はあっという間に5キロ減った。詰まらないダイエットをするもんじゃない。以前の蓄積があったお蔭で、5キロ減でも十分余力があった。

お医者さんは1~2週間で耳石が溶けてスッキリ治りますよ、と言っていたが、残念ながら2か月経つ今も船に乗っているようなグラグラ感は治っていない。1~2週間で治る人は運が良い人だと思う。これは本当に人によるのだ。数か月経ってようやく治る人もいれば、年単位の人もいる。

結局、私は安定剤がめまいに効くことが分かったので、心療内科で相談した。心療内科の先生いわく、「良性発作性頭位めまい症がきっかけで、後遺症のめまいで悩む患者さんって本当に多くてね」ということだった。とはいっても、現代医学ではまだ解明されていない病態のようで、結局対症療法しかないようだ。これだけ悩んでいる人が多いのにね。

私の場合は安定剤が効くからまだマシなのかもしれない。何をやってもダメだから寝たきりだという人もたまにいる。

とにかく今は安定剤を飲みながらでも、めまいと共存しなければならず、これを教訓にもう過労は二度としないと誓った。

この病気、更年期で発症する人も多いようだが、過労やストレスが大きな発症因子となることはよくあることらしい。残念ながら私は両方を満たしている。

齢46歳である。仕事が楽しすぎて、すっかり自分が更年期のステージにいることを忘れていたのだ。本当はもっと、仕事をセーブして、自分の健康に気を遣わなければならない年齢にさしかかっていたのだ。

自分が更年期に苦しめられるなんて思ってもいなかった。

私はバカである。つわりのときも、産後うつのときも全く同じことを言っていた。

女性ホルモンをあまりに舐めすぎた人生だったのかもしれない。

もう本当に今回という今回はこりごりである。

めまい発作が起こる前の自分に戻りたい。切実に戻りたい。だが、そう考えること自体がストレスになると心療内科の先生に言われたので、最早いうまい。

もっと自分を大事にしてあげれば良かった。一度壊れてしまったものは、二度と完全に元には戻らないって、数々の精神疾患を通して分かっていたはずだったのに。

2023年、自分を大事なしなかった自分に再び鉄槌がくだされた一年だった。
ごめんね、私。

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