冬のウィーン1日旅!?
前回、ウィーンを訪れた時にエゴン・シーレを見たという記事を書きました。
今回はウィーンでの旅の様子を簡単に書いてみます。
しかし2005年のことなので、詳細を全く思い出せない(;^_^A
滞在したのが1日なのか、2日なのかもはっきりしない(ヒドッw)。
宿に泊まった記憶が全くないので1日、早朝に到着し、夜には発ったんだと思うのですが…違ったらゴメンナサイ<(_ _)>
天気もず~っと冬らしい雪雲が立ち込めていて、時間の変化さえ写真から読み取れなくて…
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早朝、市の中心のバスターミナル(だと思う)に到着。
すぐ目についたのがシュテファン大聖堂
ハプスブルグ家の墓所で、モーツァルトが結婚式を挙げた場所でもあるそうです。
後にチラッと見えている塔は、世界で3番目の高さの塔だそうです。私が行った時は改修中でネットに覆われてましたが…
そしてまだ朝早くどこも開いていないので、それではとウィーン市街から少し離れた
シェーンブルン宮殿に行ってみました。
この黄色い壁は夏の緑溢れる風景の中でこそ映えるんだろうな~と思いつつ、雪景色の中、庭園散策までしてきました。
建物を抜けると、反対側に広大な庭園があります。
どうやってこの雪の中、あの丘を登ったのか全く記憶が無いのですが…
なんとか辿り着きました。
宮殿内部は改装中で入れなかったのか、別料金をケチって入らなかったのか、これまた覚えてない(苦笑)。
確かシェーンブルン宮殿は上の方の部屋に、貴族とかじゃなくて普通の人が住んでいるんですよね。賃貸住宅として。ふしぎ発見でやってたw。
ということでウィーン市街に戻って来て、午後からの美術館巡りの前に腹ごしらえ。
ウィーンといえばアレを食べたいと常々思っていたので、
ホテル・ザッハーにあるカフェ・ザッハーへ
そこで、コレ↓なんでしょう?全く食べた記憶が無いのですが、たぶん食べたんだと思う…(;^_^A
注文してこんなショボい大きさのサンド1個だったらイヤだなぁ~www
カフェ・ザッハーに来て食べたかったのは、やっぱり…
ザッハトルテ!!
オーストリア人、どれだけ生クリーム好きやねん!!って感じの組み合わせですな。ちょっと胸焼けしましたwww
ザッハトルテはただチョコケーキではなくて、間にアプリコット・ジャムが挟んであるのが味のアクセントなっているんだと、それはしっかり記憶しておりました。
美味しいですけども、天にも昇るほど美味しい、また何度でも食べに来たい!!というほどでもないかな? スポンジも日本のみたいに繊細でフワフワしてるわけでもないし、濃厚チョコでズッシリというほどでもないし、いわゆる昔から守ってきた老舗の味、といった感じ。
一応腹ごなしをしたので、
この後はベルヴェデーレ宮殿のオーストリア・ギャラリーでクリムトの「接吻」を見、その後レオポルド美術館でエゴン・シーレの作品を見に行きました。
そして美術館内のポストカードコーナーで面白そうな建物の写真を見つけました。
コレとか、
こんなの。
へェ~、こんなポップな建物があるんだ~と思い、
残った時間で街の散策を兼ねて探しに行ってみることに。
途中でモーツァルトの住んでいた家というのも有ったり…
そしてなんとか辿り着きました。
この建物はKunst Hausというミュージアム。
元々は家具工場だったのを改装し、フンデルトヴァッサーというこの一連のデザインを手がけた人のミュージアムになっているそうです。
フンデルトヴァッサー…”糞出るとバッサ~”というお下品な表現をどこかで聞いた覚えがあるwww
詳しくはwikiや
HP参照
植物との共生みたいなのもテーマのようで、
夏の写真では緑に埋もれてあまりこの楽しい壁面が見れない感じ。
なので、ココは冬に訪れて正解だったかも。
もう一つのフンデルト作品を見に歩いていると、こんなのも有ったり
はい、そしてこちらが名前もそのまま
Hundertwasser Haus フンデルトヴァッサー・ハウス
こちらは集合住宅で、今でも住めるようですね。
住んでみたいけど、観光地化してるから絶対に中を覗かれるのは必至でしょうね。
ぐる~っと回わってきたらこんな外観も。
隣の背の高いビルの壁面にもチェッカーフラッグっぽいタイルが付いてますね。
この外観を見ていて、アレ?どこかで見たことある様な…
と思い出したのが、大阪の舞洲にあるごみ処理場。
物凄く奇抜でメルヘンチックな外観。↓
上の記事を読んでみたら、このゴミ処理場のデザインこそフンデルトヴァッサーご本人によるものでした。なんと、日本にもあったんですね。
しかし彼は完成を見ずに亡くなられたらしいです。
この下は店舗っぽいですね。
コチラは違う角度から。
ウィーンの街中にはこんなオブジェがあったり、
昔ながらのオシャレな建物も健在。
こんな感じに駆け足で冬のウィーンを堪能し、
この後は”東欧の真珠”と呼ばれるブダペストに向かったのでした。
その話はいつかまた…。
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