見出し画像

来日の10周年の振り返り

人間の短期記憶はそれほど良くないので何かを深く考える時、書きながら考えるのは個人的にいつも役に立っている。せっかく書くのであれば、私は「深く考えていること」を皆さんにシェアしていこうと思い、ブログを始めました。昨年末にUnsceneを立ち上げてから、もちろん最も多くの時間Unsceneについて考えています。このブログ経由でUnsceneの経営理念や、つくりたい世界について伝えていきたいと思います。社会やスタートアップに関する見解もシェアしていきます。

この4月で私は日本に来て10年になります。あっという間でした!現在25歳なので、人生の40%ぐらいを日本で暮したということです。次の10年間に向けて頑張る前に過去の10年を振り返りたいと思いました。ということで、初ノートのトピックはこのテーマにしました。

最近知り合った方々からよく一番最初に聞かれるのは、何故日本に来ましたかという質問です。フラッシュバックからスタートします。

私はインドのケララ州で約7万人住んでいる「二レーシュアラム」という小さい街で生まれ育ちました。

画像2

両親は遠隔教育の事業をやっていました。昔は地元では大きな大学がなかったので、遠くに行かなくても有名な大学に入学できて、地元にある教室で授業を受けられるということは父の事業のメリットでした。私は子供の頃から勉強熱心でした。世の中がどう動いているかということを知るための好奇心も高かったので、物理学から歴史までの幅広い分野が好きでした。

人生の転機

インドの多くの中学生のように私も頑張って受験勉強をしてトップ大学を目指すつもりでしたが、ある日、人生の方向性が大きく変わりました。15才の時、オイスカ財団が行っている、日本の高校に編入出来るInternational Educational Exchange Program(IEEP)と言う奨学金を受賞しました。毎年インド全国から3~4人が選ばれます。この奨学金は2年間日本での高校生活の費用が全て負担されます(学費、食費、寮費から往復の飛行機代まで!)。一般的なインドの学生にとって留学なんて高すぎて無理です。ですので、これは自分にとって夢のようなチャンスでした。新しい国へ1人で行って、日本語という新しい言語を勉強して、その言語で授業を受けるというのは非常に難しいチャレンジだと思いましたが、日本に行ってみたいという思いより、世界を見たいという意欲が強かったので2010年の4月に静岡県浜松私にあるオイスカ高等学校に留学しました。

画像2

インドの小さな街から日本に来た私は日本の豊かさに驚きました。稲刈りが機械で行われいる、スーパーに行ったらポテトチップスだけでも種類が多い、高速道路、新幹線、停電がない、インターネットが速い。1947年に独立したインド、第二世界大戦で取り壊された日本、70年後辿り着いた生活水準が全然違う。この理由を深く考え始めた自分は、経済とビジネスに強く興味を抱きました。高校卒業後、2012年の9月に世界88ケ国から3,000人の留学生が集まっている(在学生の50%)立命館アジア太平洋大学(APU)の国際経営学部に進学しました。高校のように、大学も奨学金のお陰で行けたことです。授業料は80%免除してもらい、4年間の生活費も文部科学省のJASSO奨学金が助けになりました。

APUの豊かな国際環境で、様々な国籍の学生と活動できたおかげで、多文化的な環境での働き方に慣れてきました。ですので、卒業後も多様性のある組織で働き続けたいと思いました。

Software is eating the World

経営管理学士(BBA)を目指した大学時代の主な活動は「ビジネスケース大会」でした。ビジネスケース大会と言うのは世の中の実際の企業のケース(ビジネスの領域、状況、ファイナンシャルなどの情報)を貰い、24時間以内で4人のチームでその会社の次の3-5年の事業計画を作ってプレゼンする大会です。ファイナルラウンドではケース企業の経営者が審査員役を担っています。学内大会で優勝した後、大学代表として3つの国際ケース大会に参加することができました。

画像3

大会の準備として様々な業界での複数の会社のケースを分析していました。そこで、全ての業界に適用する一つの大きな流れに気付きました。「ソフトウエアが世界を飲み込んでいる」。海運業界を見ればリアルタイムデータとクラウドによる自動化の進化、おもちゃ業界を見ると大量生産の前に3Dプリントのプロトタイプでマーケットテスティング。メディア業界でのGoogleやFacebookによるプラットフォーム化や、自動運転が交通業界に与えるインパクトなど。この事実に気付いた自分は、ソフトウエアを活用した良いプロダクトやサービスの作り方を学びたいと思いました。2016年の4月にWantedlyで海外事業開発のインターンをしました。2016年9月に大学卒業後、10月からインターネット広告代理店セプテーニのグローバル事業である「セプテーニ・グローバル」に入社しました。大学時代の様々な活動や成績のおかげて卒業の際「際安藤百福名誉博士栄誉賞」を受賞し、卒業式で卒業生代表スピーチもできました。

スタートアップの構築の仕方

セプテーニグロバルでインターネット広告枠の買い付けや配信の最適化をする「Demand Side Platform」(DSP)のプロダクトマネジメントをやらせて頂きました。当時仕事が終わって家に戻ったらプログラミングの学習をしていました。プロダクトマネジメントの勉強のためエリック・リース氏の「リーンスタートアップ」やY-Combinatorのブログなどを夢中になって読んでいました。この刺激的だった1年で、自分が周りに感じていた課題をいくつか特定し、それに対してプロダクトアイディアを考え始めました。とは言え、退職して全てをかけてやり切りたいと思うほど、解決したい課題ではなかった。但し、もし自分が解決したいと思う課題を見つけた場合どうやってスタートアップを作っていくのか全く想像できなかった。もし自分が作りたい物がないなら、作りたいと思っている人を手伝いながら、横から学ぶのがベストです。つまり、アーリーステージスタートアップの一部としてスタートアップの構築を学ぶということです。当時私のスタートアップアイディアの相談相手だったCoral Capital(旧500 Startups Japan)のジェームスの紹介で「インフォステラ」という宇宙スタートアップに2017の9月に入社しました。

インフォステラは低軌道人工衛星の通信インフラである地上局(Ground Station)のシェアリングサービス、StellarStationを運営している会社です。インフォステラでは、事業開発、プロダクト・マネジメント、プロダクト・マーケティングの領域に携わりました。インフォステラでの成功や失敗から、スタートアップの構築について重要なこといくつか学びました:

1. First principles thinking
スタートアップには一つだけの「ベストのやり方」はないです。各事業によって正しいやり方が何なのかをゼロから考えなければならない。類推的に考えると早く結論がでますが、必ずしも正しい答えとは限らない。インフォステラはよく宇宙通信のAirBnBと呼ばれていました。しかし、類似点は「シェア」という言葉ぐらいです。宇宙産業ではセールスサイクルが長くて信頼性が一番大事です。一般的なスタートアップ論はアジャイルの開発を推薦しますが、インフォステラの場合は一般的なアジャイル開発は適用できないです。
2. マネジメントで最も重要なのは、ポリシーの設置
チームが大きくなって行く時過去になかった課題がどんどんでてきます。その時一個一個にアドホックで対応して行くと、チームとしてうまく行かないです。必要なのは、全ての事態で、全てのメンバーに適用するポリシーです。例えば、エンジニア1人からテック・カンファレンスに参加したいという申請が来たとしましょう。すぐにイエスかノーを回答する前に、会社の社員育成制度を一度考えた方がいいです。どんな行動を認めるか、どんな行動がダメですと事前に考えて、チームの全員に言い続けなければならない。
3. Speed > Efficiency
スタートアップでは適切な判断をするために必要な数字は殆どの場合は手元にないです。例えば新しい商品をマーケットに普及して行きたいとしましょう。包括的なマーケット調査を行って完璧なGo To Market(GTM)プランを立ててから実行するより、短時間で作ったプランを一回実行して、反応をみながら、やり方を変えて行った方が会社としてもっと先に進む。途中でプランを何回も変更するのは不効率ですが、スタートアップでは早くスケールする会社の勝ちです。

インフォステラで活躍した二年間で社長の倉原さん、COOの石亀さん、ファイナンス部長の岡田さん、エンジニア部長さんのラグをはじめとしたチームメンバーたちから上の3つのポイント以外にも沢山のことを学びました。もし自分が起業するなら、どのような会社を作っていきたいかがなんとなくイメージがついてきました。

宇宙はグローバル産業なので、インフォステラで働いていた時は海外出張が多かったです。出張中に週末も絡んでくると、出張先の街の観光をしていました。その時にある課題に気付きました。課題をもっと深堀した時に作りたいプロダクトも見えて来ました。自分のキャリアを天秤にかけてもワクワクしてやりたいことだったので2019年の10月にインフォステラを卒業して、12月に株式会社Unsceneを立ち上げました。

このブログは随分長くなっているので、自分がそんなに作りたいと思っている世界はなんなのかと次のブログで皆さんにシェアします。

最後に

10年間の「私の日本史」を読んでで頂きありがとうございました。

10年間の日本の生活はあっという間でした。この10年間で高校、大学また社会人として沢山の方々にお世話になって来ました。しばらくは今後とも日本で頑張って行きますので、よろしくお願いします!

今後のアップデートに興味ある方はノートツイッターでフォローしてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?