見出し画像

実話 とんかつの母③(最終回)

【前回までのあらすじ】
茨城県北部に吹いた前衛の風──芸術家・クリストによる「アンブレラ展」は2名が亡くなる不幸な事故により珍曲「アンブレラ音頭」(流山市民音頭のパクリ)をわたしたちと工藤静香氏の心に遺すのみに終わった。それとはあまり関係なく母は一万円もらった。

 しかし、不毛と思われた土地に植え付けられた「前衛の芽」は長い時間をかけ開花し、「茨城県北芸術祭 KENPOKU ART2016」の為にやくしまるえつこ氏がリリースした公式テーマソング「わたしは人類」が、オーストリアで開催されているメディアアート界のオスカー賞「Ars Electronica・STARTS Prize」に於いて日本人として初のグランプリを受賞した。(2017年)

これは地元にとって「やくしまるえつこ音頭」が作られてもいいほどの快挙だと思ったが、母に訊いたところその頃地元では「NHK連続テレビ小説 ひよっこ」(2017年)の話題で持ちきりで、
「薬師丸ひろ子の歌はよぐわがらねえ。」
と言っていた。

そんな母は、わたしが生まれる前からずっとレコード店に勤務していた。本来ならば「わたしは人類」のCDを大量に売り捌くチャンスだったのだが───


実は「ひよっこ」のロケ地は実家から徒歩5分の場所。この橋の下にはかつてエロ本がたくさんあった。




──1970年代初頭、茨城県北部の町に一軒だけあったレコード店。そこに勤務する若かりし頃の母は、ジョン・レノンの「イマジン」を買いに来た青年にいきなり話しかけられた。のちの私の父である。
母からその話を聞いたのはわたしが30歳を過ぎた頃。それまでずっと見合い結婚だと思っていたのでなんだか驚いた。
「水戸でキツネの襟巻き買ってもらったんだ~。」
昭和時代はレコードがよく売れ母は忙しかったという。わたしが生まれる少し前に発売された「およげ!たいやきくん」が大ヒット。母は身重の体で「およげ!たいやきくん」を売りまくった。

お腹のあんこが重いけど
海は広いぜ心がはずむ

子門真人

レコード店の店長はたいやきくんのおかげで700万円のハーレー・ダビッドソンを買った。店長はハーレー・ダビッドソンを店内の一番目立つ場所に飾り、ビクターの犬とともに毎日ピカピカに磨いた。母にはたくさん出産祝いをくれたそうだ。
胎教でたいやきくんを聴いていたわたしが成長し、音楽に本格的に興味を持ち始めたのは11歳。ゲーム雑誌(マイコンBASICマガジン)で見たアーケードゲーム「グラディウスⅡ」のBGMが、やったことないけどどうしても聴きたくなり、母に頼んでカセットテープを取り寄せてもらった。祖母のラジカセ(日本舞踊のBGM用)で初めて聴いたそれはまさしくゲームのBGMというよりは「電子音楽」で、わたしは登下校の際ずっと「ンベンンベンテレロテロレ~ドントパン ドントパン」とグラディウスⅡの一面の音楽を口ずさんでいた。
音楽の素晴らしさに魅せられたわたしは、母にカセットテープの取り寄せをどんどん頼んだ。プラモやゲームソフトと違い母は快く買って来てくれた。
「社員割引で安ぐ買えっかんね。」
源平討魔伝…ダライアス…ギャラクシーフォース…R-TYPE…ニンジャウォリアーズ…全部やったことない(当時。大人になってから全作クリア済み)けど音楽だけ聴いて「かっこいい!」と興奮し、雑誌の画面写真で想像したゲームプレイにてエンディングまでの感動を何度も何度も味わった。
そして時代は平成へ。
CMで聴いた米米CLUBの「FUNK FUJIYAMA」をかっこいいと言ったら、母はすぐ買ってきてくれた。初めての歌入りの音楽。面白くてかっこいい!ゲームの電子音楽が持つクールでアカデミックで箱庭的な世界から、生楽器と歌によるグルーヴとファンクネスが未知へと誘う世界に飛び出したわたしを、急激な化学反応が襲った。
「昇華!!!!」
たぶん、その時のビッグバンの衝撃で、わたしの「宇宙」は偏った方向に拡大を始めた。もっと刺激を!もっとスピードを!もっとよく分からんやつを!!

5年後

スラッシュ!デス!ウオオオー。
音楽に刺激を求めすぎたわたしは、ヘヴィー・メタル雑誌「BURRN!」の中でも特に激しそうなバンドのCDを選んで母に取り寄せてもらっていた。そのせいで母の勤務するレコード店には演歌のコーナーの横に「スラッシュ/デス/グラインドコア/ドゥームメタルコーナー」が出来上がっていた。
倫理的に問題がありそうなジャケットのCARCASSやCANNIBAL CORPSEのアルバムを嫌な顔一つせず陳列している母の姿を思うと本当に申し訳ない。


母「何が書いてあんだが分がんね。」


そしてわたしは高校卒業とともにスラッシュ・メタルになるため上京した。地元に不気味なデス・メタルコーナーを残して…

その後、小室ファミリー、宇多田ヒカル、だんご3兄弟などのCDが売れたが、大型総合ショッピングセンターの進出、物からデータへと人々の音楽の聴き方の変化、何より大都市への人口流出など、時代とともに母の勤務するレコード店の需要は無くなっていき、ついには閉店してしまった。2008年の事だ。やくしまるえつこ氏所属のバンド、相対性理論のデビュー作「シフォン主義」(2008年)のCDは果たして取り扱っていたのだろうか。
いずれにせよ県北の奇跡「わたしは人類」の発売までお店は保たなかった。

………………………………………………………………………………………

2011年、東日本大震災を経て未だ世の中の混乱冷めやらぬ頃。
ある日、母は軽ワゴンで国道を走行中赤信号で停車した。見通しのいい交差点で、そのまま信号が変わるのを待っていたところ車体後部に何かが激しく突っ込んできた。
大きな衝撃に慌てて車外に出た母が見たのは、地面に転がるレコード店の店長と大破した700万のハーレー・ダビッドソンだった。

おわり



(おまけ)
・母は軽いむち打ち症になり店長はバキバキ骨折とかで入院した。
・前方不注意だったという。母の軽ワゴンと店長のハーレー・ダビッドソンは廃車になった。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?