![VR_シーズン野田](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/8380557/rectangle_large_type_2_76928d839d84fd19916da7515e1ccf05.jpg?width=1200)
僕とオカンと、ときどきVRと演劇コント公演をやってみた話。
どうも、シーズン野田です。
先週もちらっとこちらのnoteに書きましたが、先日、VRを使ったコント芝居に参加しました。自分は作家・役者・映像・宣伝美術などで関わってます。さて、今回はやってみてどうだったかを書きたいと思います。
そもそもこのプロジェクトは、イナカ都市というグループの大森さんが「演劇の面白さをもっと広めたいねん」というところから始まっています。
↑オープニング映像
演劇は、その日その限り、役者が集まりお客さんの前で見せるその情熱にこそ価値があるわけですが、例えばその熱気や振動は劇場に行かないと伝わりません。公演のDVDなどもありますが、映像で見ると面白さが半減してしまう。演劇は非常に閉じたメディアで、お金にもなりづらく、疲弊するばかりの印象があり、どうにかすることはできないだろうか?
そこでVRという技術で、少しでも広がりのある展開を演劇にもたらす実験をすることになりました。
VRは、そのままその世界に入り込むことができる場を支配する技術です。家でも、会社でもヘッドマウントディスプレイをつけることでそこは劇場になる。例えば、田舎暮らしで小演劇を見に行けない人や、なかなか身動きのできない人に向けてこのVRは威力を発揮することができる。
そこから発展しVRで見せるお芝居、物語とはなんなのかを考え、VRコンテンツ用にコントを書いたりしていたのですが、一旦公演をやってみようという流れになり現在に至ります。
どうせ稽古してVRコンテンツをつくるなら、ついでに公演をやってみよう!つまり、公演はオマケです。
本公演は、イチコという女性の生涯をコント仕立てで振り返る内容です。
ただ公演をやるだけなのももったいないということで、死に際の走馬灯を公演前にVRで見ていただき、そこから本編を観劇してもらうという実験をすることになりました。
座席にハコスコを用意し、スマホを入れて見れる仕様になってます。
チラシでは「VR×演劇!」などとうたってしまったので、本編にどうVRが絡むのかを期待しすぎた人もいたらしく「なんだよ、こんだけかよ。VR詐欺じゃねーかよ」なんて言われましたが、なかなかデバイス状況からも考えて、公演前に見せるというやり方しかできませんでした。予算もかかるしだまれよ。
それでも、VR界の重鎮の方が結構来てくださり、フェイスブックなどで取り上げていただき、かなりいいように解釈してくれました。
・VRではイチコという女性の視点を体感するわけですが、そこには本編で登場する役者が写っています。本番前に役者の存在を把握することで「あ、あの人だ!」という知り合いを見た感覚になり親近感を抱くことができる。
・VRの一人称視点でのイチコを体感した後、演劇という第三者視点のイチコを見たときに、ふとイチコに憑依する感覚がある。
・逆聖地巡礼的であり、あーあの場面はこういうことだったのかという、伏線回収的な面白さが内包されている。
という意見がなかなか興味深かったです。
ただ、演劇とVRの相性は果たしていいのか、悪いのかといった場合、けっしていいものではないなぁという感覚にもなりました。
とある意見に、
VRは、見えないことにしているものを強制的に見えるようにする装置であり、演劇は見えるはずのないものを次元をずらすことで見るための装置である、と。
つまり、対置関係であり、相対化されることで帯びる批評性にこそ意味があるのではないのだろうか?ということです。
融合という考えで突き進むのは難しい。
そもそもそこをコンセプトにはしていませんが、演劇にVRを絡めることでそのような解釈が出たのは、一つの成果だなぁと思いました。
今後VRはさらなる進化を遂げ、確実に生活の中に浸透していくことと思います。そんな中、手始めにVRと絡んだ公演をすることができたのはとても意義深く、また、自分の作家や役者としての腕前も試すことができたのでとてもいい経験になりました。誘ってくれた主宰の大森さんには心から感謝を申し上げます。
実は、プロジェクトの途中で、一旦は辞めようかと思ったことがありました。母の余命が告げられたのです。いつ死ぬかわからないと医者に脅され、もし公演の日とかぶったらみんなに迷惑をかけてしまうし、死に際に会えないかもしれない。主宰の大森さんにも「むりせんでええよ」とお言葉をいただきましたが、それでもこのプロジェクトを参加し続けたのは、母に自分の演技を見せる最後のチャンスだと思ったからでした。
自分は、今まで自分の芝居を両親に見せたことがありませんでした。まぁまぁ公演はしているのですが、なんだか呼ぶのが気恥ずかしく、両親にはずっと黙っていたのです。母の具合が悪くなり、遠出もすることもできなくなった今、自分の頑張りを恥ずかしがって見せていないということにとても後悔しました。売れたらいつか呼ぼうなんて、かっこつけてたのかもしれません。そんなとき、ドラえもんが出してくれたのがVR演劇です。床に伏した母に、なんとなく観劇している気分を味わってもらう。自分がくそみそになりながらヘッタクソな演技しているのを見てもらう。それは目の前で本当にしている演技ではないけれど、今の自分にとって、母にとっては限りなく本物に近い交流な気がします。
そして、久々にコントをやってみて思うのは、コントって素晴らしいなぁという他愛もない感想でした。前日の記事に、てっぺいライターも書いてますが、今こそコントなのではないだろうか?と本当に思いました。
映画や演劇を超えて、コントは本当に何にでもなれる自由な表現手段なのです。才能を発揮するのに、実はレバレッジが高いのがコントなのです。
本当に何にでもなれる。子供にだって、異性にだって、物体にだって、概念にだって、本当にありとあらゆるものになることができる。
妹が観に来てくれて、小学生になりきった自分を見て「お母さんこれみたら泣くかもね」って言ってました。もしかしたら小学生の自分は、母にとってもきっと走馬灯的な懐かしさを覚えるのかもしれません。。
いやまぁそれはないと思うけどな。明らかにおっさんが子供の真似してるだけだから。「いい歳こいて何やってんだよ・・」って意味で泣きながら死んでいく母の方が想像しやすいな。
それも含めてコントの自由さってことにしておきますね。
最後に、そんな色々あってもうやらないと思っていたコントや、くだらないネタに付き合ってなんとか面白くしてくれた天才役者の方々や制作陣、そして今回誘ってくれて、僕の役者の力を底上げしてくれた演出家でもある大森さんには本当に感謝しております。
また、三鷹という辺鄙な場所まで来てくれたお客様たちにも厚く御礼もうしあげます。合わせる顔がありませんが、本当にありがとうございました!みんな大好きです。
多分もうやりません。
最後にイナカ都市が制作した、VR作品が徳島映画祭で上映されるようですので宣伝しときます。「1K」という作品です。
なんか自分もVRで作品作りたくなってきた。どんなのにしようかなぁ〜。
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