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亡き父へ ーこの瞬間も戦っている消防士達に捧ぐー

急報

その男は人生の大半を、昭和の時代、救急車に乗って駆け抜けた。

その男は人生のわずかを、空手に注いだ。やがて彼は師範である4段に昇格する。

その男は人生から消防と空手を除いた時間、一人の夫であった。そして、父親であった。

そして彼をかろうじて「祖父」にしたのは、僕が彼に貢献できた、数少ないイベントの一つだ。

彼は昭和21年、この国で生まれた。戦後と高度経済成長期、世間がバブルで狂うなか、消防士という道を選んだ。そして彼は消防で、彼にとって天職ともいえる「救急隊員」になった。人間関係で鬱になりかけ、腰のヘルニアで二度の手術を受けたが、彼は救急隊員であり続けた。

同時に不規則勤務のなか、空手の鍛錬に勤しみ、良き夫であろうとし、良き父であろうとした。

どれが彼の本当の顔なのか、僕は今でも、分からない。

一昨年の12月9日、22:05分。僕の携帯が鳴った。母からだった。

「お父さんが大変なの! 救急車を呼んだから、あんたも来なさい!」

母は悲鳴とも怒号とも涙声ともつかない声をあげると、電話を切った。

実家は、我が家から近い。歩いて五分もかからない。それでも僕が実家に着いたとき、父は救急車の担架の上にいて、母は車内に座りながら

「お父さんしっかりして!」

と声をかけ続けた。

僕は救急車に乗って父の顔を見た瞬間、彼の死を悟った。その顔は、生者のそれではなかった。それは母も分かっていたと思うが、病院に着いても彼女は、彼女の夫へ声をかけ続けた。彼女もまた良き妻であり、良き母であり、大和なでしこだ。

病院に搬送されると、医師と看護師は懸命に救急治療を行った。大勢の医師が呼び出された。医師からのリアルタイムな説明で、父の心臓が二度、動き出したことを知った。母は「先生!お願いします!」と医師にすがりついたが、僕は違った。僕は「お父さん、もう無理しなくていいよ。もう、楽になっていいんだよ」と、それが本音だったけれど、口に出すことはできなかった。

22:50分。母の急報から1時間も経たず、医師から死亡宣告が行われた。死因は、ハッキリ言って不明だ。人から尊厳を奪う無理矢理な延命を母と僕は希望しなかった。その旨を聞いた医師は、すでに仏になった父が寝たベッドに向った。

そのベッドでは救急隊員達が、まだ心肺蘇生を行っていた。医師が救急武員達に「もう結構です」と声をかけるまで、彼等は任務を全うし続けた。

父はその最期のとき、頼もしい後進達に寄り添われ、この世を去った。

後で母から聞くと、その日、父に変わったことはなかったそうだ。いつもと同じ時間に飯を食い、同じ時間に風呂に入り、そしていつも同じ時間、母とソファで二人、時代劇を観ていた。

トイレに立った父に、何一つ不自然な点はなかった。だからトイレから出てきた父が突然、ドカッとソファに倒れ込んで痙攣を起こしても、母は冗談だと思ったそうだ。

父が死んだ瞬間、僕は生まれて初めて、喪主になった。兄弟はいないので、母と二人で全てを行わなければならない。人手も経験も時間もないなか、僕は喪主として走り出すことを強制された。

突然の喪主

喪主になって一番初めに行うことは、病院から実家へ、父に帰ってもらうことだ。両親は葬儀会社の会員であったため、送迎の手配は行えた。その手配中、驚いた一幕がある。父の蘇生に携わっていないはずの救急隊員が、母に熱心に話し掛けていた。

「生前、自分はお世話になりました! この度は」

生真面目そうで、逞しくて。40代に見える消防隊員は母に頭を下げ、父に黙祷した。

喪主になると分かるが、「一息つく」余裕なんて、1秒も無い。当時、僕が眠った記憶は、父の火葬後のバス車内で、父の遺影を胸に抱きながら、うたた寝した瞬間だけだ。

葬儀会社の車で、父、そして母と僕は自宅に帰った。帰った瞬間から、葬儀会社の社員と通夜と葬儀についての協議が始まる。

まずは「枕経」の手配だ。父より一時間早く、亡くなった方がいた。日本は今、多死社会だ。お墓の土地さえ、奪い合いだ。僧侶の段取りは母が行ったが、僧侶にこう言われた。

「仏様は生前、寺の会計幹事をしてくださいました。優先して、枕経に向います」

亡くなった方には申し訳ないが、僕達は僧侶の言葉に甘えることにした。

枕経では、一合の米飯が必要になる。けれど実家の炊飯ジャーで、一合炊きはできない。僕の自宅の炊飯ジャーなら、可能だ。夜中遅く、幼い娘と息子と寄り添って寝ていた妻は、一合の米を炊いてくれた。僕はとても静かな夜、自宅まで一合の炊き立ての米飯を取りに行った。目の下にドス黒いクマを作った妻から、こう言われた。

「できることがあれば、何でも言って」

総力戦だ。僕達家族は先人達の残した「儀式」に、総力戦で挑むことになる。

驚いたのが、父方母方双方の親族が、親身になって協力してくれたことだ。従兄弟の夫は率先して、出棺をリードしてくれた。従兄弟の子はセンター試験前だったのに、父の顔を見に来てくれた。リクルートに勤めている親戚は、夜中に父の顔を見て「明日、仕事があるからゴメン」と詫びて、泣きながら帰っていった。フランス旅行中だった親戚は、慌てて帰国した。

総力戦は、僕達家族だけではなかった。一族全員がスクラムを組み、「儀式」と「死」に立ち向かった。モノを知らない僕に、僧侶と葬儀会社の社員は親切に、色々と教えてくれた。

忘れられないのは、父の姉が、父の顔を見て呟いた一言だ。

「私より先に逝くなんて……」

慟哭。

遺体を清める「湯灌」を知ったのも、初めてだった。湯灌には隣県から三人の女性が来て、父を清めてくれた。丁寧な物腰、洗練された所作。アロマのいい香り。連綿と続く総力戦のなか、ホッと一息つけた瞬間だった。

福井県は、自動車社会です。親戚が集まってくれましたが、路上駐車はいけません。普段は会話の無い近所の方が「うちの空き地に、車を停めればいいから」と言って、颯爽と去っていきまいた。

父は退官後、保育サポーターという名の、保育園のボランティアをしていました。

父が死亡した翌日、保育士が怪訝な顔で尋ねてきました。

「あの……どうして今日は、サポーターにお見えにならないんでしょうか?」

保育士に死を伝えると、驚いて保育園に帰っていきました。間髪入れず、園長が来ました。その保育園は通夜と葬式に飾ってほしいと、父がボランティアしていた活動をアルバムにおさめて、渡してくれました。

父が死んで、僕は彼の、息子の僕が知らない「顔」を次々と見せられました。僕は父のことを、何も知りませんでした。今なら父と二人、熱いおでんでも食いながら酒を飲んで、一晩を過ごせるかもしれません。

葬式。父との最後の場。娘は無邪気に走り回り、父にこう言いました。

「オジイちゃん、ネンネしてる」

「オジイちゃん、ばいばい」

彼女が一番、「死」を感じていたのかもしれません。父にとって待望の初孫でしたから。

火葬場で親父は、骨になりました。骨になった親父を見て「人が死んだ」と、「人間が終わった」と感じました。

日本人は死ねば、骨になります。それは等しく。骨になり、仏様になります。


父を越えられるか

葬式が終わった後も、諸々の手続きが待っていました。父の携帯を解約したり、通帳の管理について金融機関を回ったり。

父はジムに通っていたので、解約に行きました。店員にその旨を告げると、奥から店長が現れ、こう言いました。

「おくやみを見て、驚きました。お父さんは、あの日、ジムに来て、体を鍛えておられました」

絶句。

父の死は急過ぎたので、何の終活も行っていません。ただ父は生前、母に「親戚は仕方ないが、何で死に顔を他人に見られないといけないんだ」と言っていたとのことで、家族葬になりました。元気だった父が家族葬になり、おくやみは全てを終えたあと、新聞に掲載されました。近所の人達は驚いたようで、後日、「自殺したのかと思った」と言うほどでした。

最近ふと、「父を私は超えられるか?」と考えます。

AEDも使えなかった時代、父は救急隊員として定年退官するまで、現場で戦いました。空手の猛者で、親不孝な僕を育てました。「漢」という土俵で僕は、父を永遠に超えられないでしょう。ですが当然のこととして、父は僕に孫の顔を見せられない。

結局、家族で「勝ち負け」なんて、存在しない、それが結論です。

勝ち負けのジャッジは分からないけれど、父に言う言葉は痛いほど分かっています。

「お父さん、僕を産んで育ててくれて、本当にありがとう」

家族を失った方へ

心の準備があろうと無かろうと、家族の死はやってきます。それは容赦なく、必ずやってきます。無慈悲で、逃れられない現実です。

嘆いてください。惜しんでください。思いっ切り、泣いてください。心の生理なんて、つきません。母は今でも父の死に「実感が湧かない」と言います。私もです。全てが急だったので、喪失感すら湧きません。

「死」には、色々なパターンがあると思います。「流産」だってあります。私と妻は、不妊治療で失敗した経験があります。人の命が宿ったとき、間違いなく、その「人」は「生きて」います。オギャーと生まれることはなくても、お腹の中で、あなたと大事な時間を過ごしています。そのかけがえの無い時間に、どうか思いを馳せてほしい。

耳を澄ませると、階下から妻と子ども達の声が聞こえます。その声は「生」に満ちていて。

けれど「死」は突然やってくると、僕は思い知りました。家族は思い知りました。一族は思い知りました。狭い田舎町は、思い知りました。

今この瞬間、大雨による土砂災害に立ち向かっている消防士達がいます。見たことも話したことも無い人々のために、命をかけて戦う人々がいます。彼等に幸あれ。そしてどうか、無事に帰還できることを祈って。


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