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ダライ・ラマに会いに、ローマへ行く

毎日寒いですね。
地元で初詣はしたものの、どこか大きめのお寺か神社に行きたいと思いつつ、寒くて動けません。
ですので、久しぶりに海外体験の話を書きました。
アッシジの語学学校の同級生のことも少し思い出して書いてみました。
長めなので、お茶でも飲みながらどうぞ。

***

イタリアやヨーロッパのことばかり書いているので、アジアには興味がないと思われるかもしれないが、一時期チベットが妙に気になっていたことがある。

チベットの旅エッセイの本が好きだったり、チベット仏教の高僧がスペイン人に生まれ変わって、その子を探し出してお寺で学ばせるノンフィクション本を読んだり(彼はもうとっくに大人だろうけど、その後どうなっただろう)、チベット仏教に興味を持っていたので、ダライ・ラマについての本も読んだ。

きっかけはなんだったか忘れたが、「チベット死者の書」が話題になった後だったかもしれない。
その本は読んでいないが、確かチベット(のあたり??)に理想郷といわれる地下帝国シャンバラがあり、そこに潜入した西洋人の体験本も夢中になって読んだ。
本の題名も著者名も思い出せないが、とても有名な本で、それを読んだヒットラーがその地下帝国を探させたと解説に書いてあったと思う。

話がいきなり逸れるけど、事実であればかなり衝撃的な本だった。
そこは天国のようなところだと皆(住んでいる人たちも)思っているのだけど、そうではないことに気づいたその著者が脱出するところもすごかった。
うっかりその国に自分のものを置いてきてしまって、それを使って呪いの術をかけられるのだけど、確かチベットの賢者みたいな人たちの力を借りて跳ね返したのだ。
呪いというのは跳ね返されると、かけた人がそれを被って呪われることになるのよね。

なんだか映画みたいな話だけど、そういえばこれ、インディージョーンズの元になった本だったような気がする。
本当にノンフィクションなのかというところは、読んだ人が信じるかどうかだけど、私は事実だったのだろうと思っている。

【追記】投稿後、色々調べてテオドール・イリオンの「チベット永遠の書」という本だと思い出しました。

閑話休題。

イタリアのアッシジで語学学校に通っていたある日曜日の朝、のんびりベッドの上でイタリアの女性雑誌をめくっていた。
その時ふと目にとまったのが、俳優のリチャード・ギアがチベットのダライ・ラマ法王と共にイタリアに来ている、という記事だった。
イタリア語の文章はたいして読めるわけでもないが辞書片手に読んでみると、ローマの大学で講話があるという。
日時を見ると、なんと当日だった。

ローマでダライラマに会えるかも?!
そう思ったら、私の中のなにかのスイッチが入ってしまった(そうなるともう誰にも止められなくなる)。

ガバッ!と起き上がると、場所などの詳細を知りたくて、ニュースになっていないかとラジオをつけた。つけた途端、耳に飛び込んできたのは「今日、ローマ大学サピエンツァでダライ・ラマ法王が講話・・・」というニュースでびっくりした。
こういうシンクロニシティが起こるとき、自分の動きは間違っていないという確信が生まれる。

講話は確か、午後からだったのだと思う。急いで列車に乗れば2時間半くらいでローマに着けるから、間に合うかもしれないと思った。

でも、講話のチケットはどうするのかなど詳細がわからないので、家の近くの電話ボックスに走り(携帯電話なんて存在しない時代だ)、電話帳でローマ大学サピエンツァなる場所を調べるも、病院のような番号しかない。おそらく大学付属の病院だったのかもしれないが、とりあえずめぼしい番号にかけてみれば、ダライラマの講話なんだからわかるのではと思い、かけてみる。
あせっているのでイタリア語事前準備は無しで聞いてみるけれども、情報は得られない。
だったらもう行っちゃったほうが早い! ということで家に戻って支度をし、駅まで下りてローマ方面の列車に飛び乗った。

大学はローマのテルミニ駅の近くのようなので、行けばわかるかと思ったけれど、これがまたよくわからない・・・。駅のインフォメーションを探したり、バス停を調べたりしてもわからなくて、駅構内を巡回警備していた警察官をつかまえて、ダライ・ラマの講話はどこであるか知ってるか?!と聞いてみた。

おかげでこの時、conferenzaコンフェレンツァ(講話)というイタリア語を完全に覚えたのだけど、この言葉で女性警官が「ああ!それなら」とわかってくれて、行き方を教えてくれたのだった。

開始の時間が迫っていたので急いで行ってみると、講堂のような建物の出入り口あたりに人が群がっていた。ちょうどそこが会場の入り口だったのだけど、私が着いたところで係員と入れない人たちとのやりとりがあり、ほどなく扉が閉められ、鉄格子のような戸まで閉められて、他のマスコミの人達とともに締め出されてしまったのだ。
ガーーーーン。

いきなり行ってそのまま入れると思うほうがおかしいが、こういう流れで突き動かされる時、必ずなにかに導かれていると信じていたので、入れなかったことがショックで、なんのためにローマまで来たんだろうと呆然とした。

そのまますぐに帰る気にはなれなかったので、建物の表に回ってみると、マスコミの人たちが壁に耳をそばだてていた。
ダライ・ラマ法王が英語で話し、通訳がイタリア語に訳しているのが微かに聞こえるのだ。
英語もイタリア語も中途半端なので、入場できたところで話がわかるとも思えないが、姿を見て、存在のエネルギーを感じるだけでもよかったのになあと思いながら、なんとなく平和のことを話されているのだということはわかった。
ひとつだけはっきり聞き取れたイタリア語は、

Dobbiamo pensare il futuro lontano.私たちは遠い未来のことを考えなければならない

そうして話が終わるまで、建物のまわりをぶらぶらとしているうちに、中の人たちがわやわやと出てきた。終わったのだ。

羨ましいなぁと思いながら、駅のほうに向かって帰っていく人の群れを眺めていると、突然マスコミの人たちがわっと動いて、さきほどの出入り口のところに群がった。
なんだろうと思って行ってみると、しばらくしてチベットの僧侶たちが出てきた。どうやらお付きの高僧たちのようだったけど、その中の一人になんとなく目を引きつけられた。
そしてそのあとから、ダライ・ラマ法王が現れた。

その場にいたのは、20人くらいだったかと思う。
法王を囲んでみんなカメラを向けて写真を撮っていたので、少しためらいつつ私もカメラを向けてみた(が、なぜか撮れていなかった)。
ダライ・ラマ法王は私の2mほどの前にいて、そのことがなんだか信じられなかった。
私の隣にいた女性が、自分がかけていた白いカター(チベットのスカーフ)を法王に差し出し、法王はそれを祝福してまた彼女の肩にかけて返したので、彼女は飛び上がるように喜んでいた。私も思わず嬉しくなってしまった。

それから、車に乗り込む法王と高僧たちを皆んなで拍手で見送った。
その場にはなんともいえない連帯感のような空気が流れていた。
車に乗り込んだ高僧の一人が、私の顔をじっと見ていた。それは、さきほど私がなんとなく目を引かれた人だった。その場にいた人たちの中で私が唯一の東洋人だったからかもしれない。

会場に入ってふつうに講話を聞いていたら、終わってすぐに駅に向かっていただろう。やっぱり何かに導かれているような気分で、私も駅に向かって歩き出した。

高い位ではない僧侶は、歩いて帰るらしい。
私の前に、チベットの臙脂と金色の僧衣を来たひとりの若い僧が歩いていくのが見えた。
その姿はローマの通りに不思議と馴染んでいた。

週末が終わった月曜日の授業の始めは、休みに何をしていたかひとりづつイタリア語で報告する時間がある。
私は、ローマまでダライ・ラマに会いに行った話をした。
西洋人の多くは、ダライ・ラマやチベットにさほど興味を示さない。
イタリア人のペンフレンドにローマに行った話をした時も、「リチャード・ギアに会ったの?!」というのが反応だった(ちなみにリチャード・ギアはいなかったと思う)。
その時もそんな感じの反応だったけど、
授業が終わった後、ロシア人のパオロが話しかけてきた。

パオロは、外見はどう見ても韓国人だった。
はじめて会った時も、韓国の人だとばかり思った。
私は彼に会って初めて、ロシアに日本と同じモンゴロイドの国があることを知った。
確かカルムッキャという国で、宗教はチベット仏教だ。
その彼が「ダライ・ラマに会いたかったなら、僕に言ってくれれば会えたのに」と言った。
まあ、実際会えたのだから良かったのだけど、この人はもしかして国の高官の息子か、身内に宗教的に高い地位の人がいるのだろうかと、その言葉がずっと印象に残っている。

彼はアッシジに、修道士になるために来ていた。
チベット仏教国に生まれて、なぜキリスト教の修道士になろうと思うのか、聞いてみたことがある。なぜかということが書いてある文章が載った何か冊子のコピーを渡されたのだけど、英語の長文で面倒くさくて結局読まなかった(ごめん)。

パオロは、クラスメイトの韓国人シスターに「ぼくのこと愛してないの?!」なんてイタリア語でしょっちゅう言うような女の子好きだったけど、あれからちゃんと修道士になったのだろうか。

日本でも私はダライラマ法王の講話を2度ほど聞きに行ったことがある。
確か東京ビックサイトだったか、それがイタリアの前か後だったかも忘れてしまった。
その後、チベットから意識は離れてしまったけれど、イタリアでの体験は強力なシンクロに導かれた、いい思い出の一つになっている。


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