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スイッチになりたかったんだ

先日、何をしに地球にきたんだっけ?なんてつぶやきましたが、
そういえば昔から「スイッチになりたい」と言っていたのを思い出しました。
noteのどこかにも、すでに書いた気がしますが
「物事の視点を変えるきっかけを提供したい(=スイッチになる)」
とずっと思っていたのでした。
だから、日々自分が気がついたことを
何十年も延々と、自分のホームぺージに書き続けてきたのでした。

視点について説明するには「写真」というものは本当に都合がよくて、
写真を撮ることについて説明すると、視点について説明することができます。
自分の見方で自分の世界が創られている、ということが、撮ることでわかります。
いまのようにオンライン講座なんてものが存在しない時代に
自分でテキストを作って写真の入門通信講座をやらせてもらいました。
私の写真講座は、メンタル重視の、写真を通して自分と対話する講座になっていたかもしれません。

大人になってから、写真クラブに所属していたこともあるので
写真家の先生とみんなで、ぶらぶらスナップを撮りに出かけたりしました。
同じ場所に行っても、それぞれ撮るものが違うのが本当に面白くて。
同じものを撮るにしても、見下ろすのか、しゃがんで見るのかでも見え方が違う。
逆に、あくまでも角度を変えない頑固な自分にも出会ったり。
いまよりもっと真剣に写真をやっているときは
他の人のいろんな視点にも出会えて、楽しかったな、と思います。

楽しかったといえば、モノクロの暗室作業。
あんなに楽しいことは、人生で他にあったかな、と思うくらい。
暗がりのオレンジ色の光の中で、印画紙に画像が浮かび上がってくる瞬間のわくわくといったら・・・。
パソコン上での現像では決して得られない喜びがある気がします。

「色」が好きなんだけど、たまにモノクロ写真を見ると
やっぱりいいなと思います。
モノクロは色が無いのではなく、白、グレーの諧調、黒という色なので。

たとえばカラーだと、どこかに赤なんかが入っていると
そっちに視線が引っ張られてしまうけど
モノクロだとフラットになって、色に意識を取られることがありません。

上の2枚の写真は、たぶん90年代に横浜で撮ったもので、
左の写真はどこか洋館だったんだけど、暗室の先生には「(なにを表現したいのか)わからない」と言われました。
でも、暗室の仲間には「私は好き」と言ってくれる人もいて。
今見ても、この時の光の当たり方と、放置された物の時間の経過と、その場の空気感を思い出して、なぜ撮ったのか、好きだったのかわかります。

独り善がりは良くないけど、
自分が好きだと感じるものは、やはりそれが自分にとっての真実。

こちらは、地元近くのお店のショーウィンドウ。
仕事帰りのバスの中からいつも見ていて、撮りたい・・と思っていました。
ある時、三脚を持っていって、やはり仕事帰りに閉店後のお店の前に三脚を立てて撮らせてもらいました。
この写真を見た暗室の先生に、「僕にはこういうのは撮れない」と言われました。
人にはそれぞれ世界感があって、
ときどき、「これ」と思う被写体や空気感に出会います。
私の撮る写真を先生は撮れないし、
先生の撮る空気感は先生にしか撮れない。
撮る前から出来上がりが見えていることがあって、
これはそういうものの一枚でした。


いま渋谷のヒカリエで
写真家ソール・ライターの写真展が開かれています。
彼の視点がとても好きだし、
彼の言葉も好きなんです。

神秘的なことは、馴染み深い場所で起こる。
なにも、世界の裏側まで行く必要はないのだ。

私たちは信じたがる。
公になっているものこそ世界の真相だと。

時折見逃してしまうんだ。
大切なことが今起きているという事実を。

以上「永遠のソウル・ライター」より


今日は、スピリチュアルな視点について書こうと思って書き始めたのに、写真の話になってしまいました。
でも、そんなふうに違うことをガシガシ書いてしまう、ということが
今の自分の本当なのだと思います。


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