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アッシジお散歩ツアー(3) フランチェスコ生家跡〜父ピエトロのこと

先日、アッシジのウォーキングツアーという4K画像をYouTubeで見つけて、あまりに画像が綺麗で、自分で歩いているように町歩きしているので、映像にあわせて要所要所の紹介をしようと思い、お散歩ツアーのページを書いています。

映像を見なくてもわかるようになるべく写真も添えていますが、見られる環境であれば動画もおオススメします。イタリアらしい雲ひとつない青空の下、町の音が心地よくて、私はその空気感をBGMのように流してみたりしています。

お散歩ツアー(2)では町の中心にあるコムーネ広場までたどり着きました。今日は、広場のフォンテ(噴水)から出発します。

コムーネ広場のフォンテ(37:18頃)は16世紀に造られ(映像では1762年になっています。どっちが正しいのか?)、3体のライオンの石像で飾られています。

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2000年の旅の時、だったかな? モノクロフィルム撮影。

フォンテを通り過ぎて右の通りをまっすぐ進んでいくとコルソ・マッツィーニという通りになります。両側にお店が立ち並びとても賑やか。バール、ジェラテリア(ジェラート屋さんですね)、レストラン、ホテル、ジュエリーショップ、陶器のお店、少しセンスのいいお土産やさんなどが並んでいます。
映像を見ていると、バールに入ってカプチーノと甘いもの食べたい、ここの陶器見たい、、、と観光欲が出てきてしまい困ります。

旅に出て、教会やお寺、自然の多いところに行くのも大好きですが、ふらっと気になるお店に入る町歩きも大好きです。

映像では、マッツィーニ通りに入る手前で右折れると、ヌオーヴァ教会が見えてきます。(39分頃)

ヌオーヴァ教会

ここはフランチェスコの両親の家の遺構の上に建てられた教会で、アッシジで最後に建てられた教会なのでヌォーヴァ(新しい)という名前だそうです。
フランチェスコはここにあった家で、父親のピエトロ・ディ・ベルナルドーネ、母のピカ(南仏出身といわれる)、弟のアンジェロとともに、24年を過ごしました。

父は裕福な織物商人で、フランチェスコも店を手伝っていました。その店もしくは工房か倉庫も、当時の古い扉などと一緒に残っていて、いまも見ることができます。
労働環境はあまり良くなかったかもしれません。当時の重い空気が残っているようです。フランコ・ゼフィレッリ監督の映画「ブラザーサン・シスタームーン」の中でも、店の裏で働く使用人たちの過酷そうな環境が映し出されていました。

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教会前の広場にたたずむ両親の像。ピエトロはフランチェスコが脱いだ服を、ピカはフランチェスコが繋がれていた鎖を手にしています。

フランチェスコはアッシジの若者のなかのリーダーで、商才もあったようですが、騎士になることにずっと憧れていました。父親に鎧や馬など揃えてもらって戦に向かいますが、ペルージャで捕虜になります。そのせいで、解放されてからも病気で療養したり、再び戦争に行こうとしたりと紆余曲折あり、ある時、神の声を聞いて、これまでの生活が虚しくなり、ハタから見ると奇行に走ります。

父が商用で留守の間、店の布地や馬を持ち出し、売り払った金を崩れかけた教会の司祭に持って行き、自分も修復を始めたり、岩穴にこもって祈ったりしていました。

ある時、父のピエトロが店の帳場にいると、通りから罵り、笑い騒ぐ声が聞こえてきました。

次の瞬間、ピエトロ親方は戸口へ行って、そばに来ていた騒ぎ立てる人々の間に、長男フランチェスコを見た。偉い男になってくれるだろうと、あれほど希望を抱いていた、その息子の姿を見つけた。 ・・・・恥ずかしい服装で、見るも無残にやつれはて、髪をもじゃもじゃにし、・・・・子供たちの投げつけた泥で汚れていた。これがフランチェスコだった、彼の目の誇り、老後の支え、人生の喜びと慰めであるはずの、、、もはやこうなってしまった、いまいましいゆがんだ考えのせいで、こんなになってしまった・・・・。(「アシジの聖フランシスコ」(J.J.ヨルゲンセン)

ピエトロはもう自分を抑えきれず、「泣かないために荒れざるをえなかった」。人々の群れのなかに飛び込んで息子を抱え上げ「われを忘れてぶっ倒れそうになって」息子を暗い地下牢に投げ込みました。

そんなフランチェスコの鎖を解いて逃がしたのが母・ピカなので、銅像は手に金の鎖を持っています。

結局、この父と息子は司教の前で裁判になり、フランチェスコは自分の着ている服もすべて脱いでピエトロに返し、「これからは、天の父を父と呼びます」と言いました。
この場面は有名で、ジョットーの連作フレスコ画に描かれていますし、映画でも主演の俳優が全裸になる場面なのです(寒そう、、)。

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右と左で、聖と俗に分けられていて、左に人が多いのは、世の中に彼の教えに関心がない人がどれだけ多いかを表しているそう。フランチェスコの祈る手は、それを繋ごうとする願いだそうです。

町歩きが、途中から父と子の話に力が入ってしまいました。以前は思ったことがなかったのですが、いまはフランチェスコの両親の思いに共感できます。やはり、年を経たということか(笑)。

父ピエトロは、お金や物質が幸せに繋がると信じていて、聖人と対比させれば「俗物」ですが、現代までそういった価値観はずっと続いています。
商売で稼いで、そのお金でいい暮らしをし、家族を養い、息子に後をついでもらって、老後は安泰。それのどこが悪いのか、ということです。使用人の使い方についてはなんとも言えませんが、貧者に施しもしていた人のようです。

彼は物質優位の次元に生きていましたが、息子は物の豊かさの中で育った故に、本当の幸せは別のところにあるのではないか、ということに気づいてしまいました。フランチェスコが神の愛に目を開くためには、この両親の元に生まれることが必然だったろうと思います。
実際、はじめに彼の元へ行き仲間になった人たちは、アッシジの貴族や裕福な家の若者が多かったのでした。

今日は聖キアーラ聖堂まで歩こうと思っていたのに、ヌオーヴァ教会で止まってしまいました。
では、この辺にしておきます。次回は聖キアーラのことと聖堂の紹介をしたいと思います。



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