veronique

宮本浩次の歌について、音楽と言葉の間を書いていきたい。

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宮本浩次の歌について、音楽と言葉の間を書いていきたい。

最近の記事

20年後

小学校のときに一緒にピアノを習っていた幼なじみがヨーロッパ旅行のためパリに寄るという。 待ち合わせ場所で分かるかなあ…との心配は杞憂に終わり、お互いに開口一番 わぁー。お母さんにそっくりじゃない? わたしの母は高齢出産だったので、当時すでに40代半ば。 だからさすがに当時の母親の年齢、とはいかないがでも確実にそこへ近づいている。 そりゃーね。20年もたったのだもの。 一緒にピアノを習っていたとはいえ、小学校も違ったので週一回のレッスンのときにしか会わない。 何をしゃべっ

    • "巷に雨の降るごとく わが心にも涙降る" - 宮本浩次『縦横無尽』と雨

      かつてわたしは、野音2020の私的鑑賞記の結びとして次のように書いたことがある。 ---------- 「悲しみの果て」はEPIC時代とはまるで正反対な曲のように言われるが、本当はその延長線上にある曲なのかもしれない。この時期に多く歌われた「いつもの部屋」、世をはかなんで働く人を眺め何もしないでいた部屋、若くして亡くなってしまった親友の部屋、わたしだって一応日常生活を送ってはいたものの、心にはいつも雨が降っていた、比喩的な意味での「いつもの部屋」、そういう自分だけの場所を大

      • "stranger" そして「異邦人」- 宮本浩次の極北を生きる衝動

        stranger とは本来、人づてや土地勘のない場所に生きる者、見知らぬ環境に放り込まれた部外者を指す。 だから外国人のこととは限らないし、誰しもが"stranger"になりうる。 見慣れた場所がある日突然見知らぬ場所になっていることもあるだろうし、馴染みのある人間関係が急激な変化を遂げることもあるだろう。 勢いある子音が続く語感もあいまって、この言葉からは寄る辺なき身の心細さや寂しさ、孤独、そしてそれでも生きていく逞しさやしなやかさまでも感じずにはいられない。 この感じは宮

        • 「光の世界」というfantaisie chromatique - 宮本浩次における半音階的/色彩的幻想曲

          素晴らしい曲「光の世界」が3rdアルバム『縦横無尽』の第一曲目に用意された。 この曲について「音楽と人」2021年11月号のインタビューで宮本浩次は印象的に語っている。 「表面は普通の笑顔でいる人たちの裏に、ものすごく暗い何かがべっとりとくっついているじゃないですか」 心の内奥にある最も暗い闇の部分を光の世界に引きずり出すという作業は、やりようによっては非常に乱暴で残酷なものになるが、宮本浩次は自分の声を素材にその作業を丁寧に行うことによって、これまでにない新しい歌、美

        • "巷に雨の降るごとく わが心にも涙降る" - 宮本浩次『縦横無尽』と雨

        • "stranger" そして「異邦人」- 宮本浩次の極北を生きる衝動

        • 「光の世界」というfantaisie chromatique - 宮本浩次における半音階的/色彩的幻想曲

          光あれ - 「縦横無尽」に宿る神

          「浮世小路のblues」聴きました。 とっても日本歌謡ロックな激渋曲だけど、歌詞に「神様の思し召し」「光あれ」と入っているのが私には非常に印象的。 アルバム「縦横無尽」そのものが「光の世界」に始まり、最終曲2曲は愛が全面に出た曲。 「光あれ」と言って天と地を分け、光と闇を分け、世界を創造し転がり続ける宮本浩次という歌の神の、壮大な愛の贈り物なのではないかと私は思っている。 闇の中にひとすじの光を見いだす力。 希望の歌に耳をかたむける力。 どんな時も宮本浩次の歌が共にいて

          光あれ - 「縦横無尽」に宿る神

          宮本浩次という身体のスケール -「東京協奏曲」発表によせて

          「東京協奏曲」MVが公開された。 デュエットのときにいつも感じることだが、宮本浩次の声は、およそ異なる声質の持ち主とでも軽々と楽々と歌をなじませてしまう。なんという音色の豊かさだろうか。 今まで以上に丁寧な言葉運びや緩急つけたのびやかな息づかいも素晴らしい。 「ベルリン天使の詩」を髣髴とさせる構図や、実際に空調室外機の上で上着をひらひら風になびかせている姿が、自然と天上から東京に舞い降りた天使を想像させる。 天使の比喩は作詞作曲した小林武史自身の言葉でもあるから、まずは

          宮本浩次という身体のスケール -「東京協奏曲」発表によせて

          悲しみの果て - エレファントカシマシ 野音2020とEPIC時代を聴く

          (2021年3月に書いた文章の再録です) 宮本浩次が歌う曲ばかり聴いて過ごしている。一度聴いたら内耳に痕跡が残り、いつまでも鳴り止まぬ音楽が心をとらえてはなさない。しかも聴く側の心情や耳のコンディションによってその都度驚くほど異なる様相をもって音楽が迫ってくるから、聴く度に新しい発見がある。いかに豊かな響きが内包された声であるかを実感させられる。それはもちろんもって生まれた天性の声帯と耳の素晴らしさによるところが大きいが、それと同時にエレファントカシマシのボーカリストとして

          悲しみの果て - エレファントカシマシ 野音2020とEPIC時代を聴く

          宮本浩次の音楽を解剖する - カバーアルバム「ROMANCE」より

          (2020年12月に書いた文章の再録です) 0/ 前書きにかえて: 私の育った家では、歌謡曲が一切禁止されていた。歌番組は見せてもらえないし、小学校でお友達から聞きかじった曲をピアノでポロンポロンと弾いてみようものなら、母が台所から飛んできて「そんな曲は変な癖がつくから弾いたらだめ。お稽古の曲を練習しなさい」と烈火のごとく怒った。そうして私の音楽はほとんど全てクラシック音楽で形成された。 そんな私がカバーアルバム「ROMANCE」を契機に宮本浩次に魅了され、その素晴らしさ

          宮本浩次の音楽を解剖する - カバーアルバム「ROMANCE」より

          名前の由来

          veroniqueという名前は20年ほど前に独り暮らしをしていた頃のブログのHNなのだが、今も名前の由来を面白がってくださる方があるので、当時書いた日記数編から再構成して載せておきたい。 ********** 留守電にこんなメッセージが入っていたことがあった。 「もしもし、ヴァレリーだけど。ヴェロニク? さっき電話したんだけど、やっぱり帰るのが遅れそうだからそのつもりでいてね」 そのつもりって言われても… あたしはヴェロニクじゃない。 ヴェロニクとヴァレリーは姉妹なのだ

          名前の由来