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悲しみの果て - エレファントカシマシ 野音2020とEPIC時代を聴く

(2021年3月に書いた文章の再録です)

宮本浩次が歌う曲ばかり聴いて過ごしている。一度聴いたら内耳に痕跡が残り、いつまでも鳴り止まぬ音楽が心をとらえてはなさない。しかも聴く側の心情や耳のコンディションによってその都度驚くほど異なる様相をもって音楽が迫ってくるから、聴く度に新しい発見がある。いかに豊かな響きが内包された声であるかを実感させられる。それはもちろんもって生まれた天性の声帯と耳の素晴らしさによるところが大きいが、それと同時にエレファントカシマシのボーカリストとして表現力の幅を広げてきたからではないだろうか。
日比谷野外大音楽堂の公演日は2020年10月4日、「ROMANCE」の制作やカバー曲を発表する番組の収録も終え、宮本浩次の声がなお一層成熟していった時期と思われる。このタイミングでエレファントカシマシのサウンドが鳴り響いたらどんなふうに歌うだろうかと、公演を観られなかったわたしは映像作品の発売を喉から手が出るほど待ち望んでいた。
今回は私的野音鑑賞記として、特に心に残ったEPIC時代の曲のなかから、作品発表当時の音源が手元にある「夢のちまた」「晩秋の一夜」「月の夜」の3曲にしぼって宮本浩次の歌唱表現の変遷について考えてみたい。

1/ 「序曲」夢のちまた
青年期特有の嘆きや苦悩、焦燥を喉元からむき出しに、真正面に押し出した20代の歌い方もとても心を動かされるが、野音2020の舞台に登場した宮本浩次は、まるで音楽の神が降臨したかのような神々しさで、全方位に声が開かれ、伸びやかに発散していく。なんという表現の深さ、声の厚みだろう。
冒頭の「世を上げて 春の」までは静かに始まる一節が「景色を語るとき」になると一気に春の景色の階段を駆けあがり、自在な息づかいでそれぞれの母音に絶妙な緩急のニュアンスをつけていくさまは、オペラのアリアを聴いているかのようだ。どの節の歌い方も「夢か幻か」判然としないつかみどころのなさを見事に体現していて息をのむが、わたしはとりわけ最後の五節目の表現に注目したい。

「春の一日が通り過ぎていく」の「が」で音が上がるときに宮本浩次は声のポジションを切り替えない。「春の一日」で歌う位置を支えに保ちながら「が」でバンドの高まりとともに身体をゆっくりと開き、「通り過ぎていく」をクレッシェンドしてゆく。まるで春の光景が目の前の大きなスクリーンに映し出され、映画を観ているかのような鮮やかさだ。
バンドへの全幅の信頼とともに「ああ 今日も夢か幻か」で絶頂を越え、次のオクターブ「ああ」が絶頂から奈落の底へ深く着地したのを見届けた後、「夢のちまた」が消えていく。「ちまた」の「た」は「ま」と同じ音程の音なのに、ごくわずかに下げて暗く発音することで言葉の抑揚が一層引き立ち、部屋にこもっている人間の心情の暗さや深さが、曲が終わってからも残像のように心にざわめきを残す。かすかな音程の違いでありながら実に入念に、見事に用意された表現だ。宮本浩次が意図的にそうしたのではないなら、音楽の神が用意したギフトだと言ってもよい。

歌い終わりにわざと音程をずらす歌い方は、カバー曲「異邦人」や「喝采」、ソロオリジナル曲「冬の花」など、また先ごろ発表された新曲「shining」にもみられる宮本浩次ならではの魅力的な歌唱テクニックだが、実はEPIC時代はこの歌い方をしていないことに今回わたしは気がついた。録音でもライブでも「春の一日が」の助詞「が」は素直に音程を上がり、「ちまた」は「ま」と同じ母音の響きのままでまっすぐ上向きに「た」を歌って終わる。
語尾のぶら下がりピッチがいつから始まったのかは、全ての曲を網羅的に聴いてみないことには明言できない。しかしながら、後年獲得した表現手法をこのように初期作品にも実践することで発表当時にはなかった広がりや深さが生まれてくることは間違いないだろう。予想していたことではありながら、そのことにわたしは非常に衝撃を受けた。宮本浩次の歌唱が、エレファントカシマシと宮本浩次ソロの両方の世界を自在に往き来できることを見事に証明していると思った。

2/ 晩秋の一夜
EPIC時代の「晩秋の一夜」は単語を一音一音ずつに丁寧に分解し、音符ごとにわたしたちを直撃し、引きずり回す。外では晩秋の冷たい夜風が吹きすさび、部屋には青年の咆哮が荒々しく炸裂する。
これに聴きなれていたわたしは、野音2020を聴いて言葉を失った。絶唱だった。

素晴らしいレガートで音と音の間に空白のすき間がない。長いヴォカリーズが特徴の曲だが、どんなに音程が移動しても声のポジションを切り替えずにひとつの息づかいで表現する。そうすると不思議と長さが気にならなくなり、旋律に必然性が生まれる。歌詞の部分も、音程の移動が多く歌うのが難しい旋律ばかりなのに、旋律に流されて声を移動させるのではなく、あえて抑揚を大切に息づかいで歌うことによって声が立体的に深くなる。歌のなかに言葉の情感が表現され、歌詞の意味が際立つ。鮮やかにイメージが喚起される。
「くもった空気の部屋のうち」の火鉢から暖気がたちのぼるような描写力や「虫の鳴き声と共にいた」の絶望的な寂寥感。「ひとり動かず部屋にいた」を壮大なスケールで歌うからこそ示される孤独の深さや「残った余生には希望を持とうか」で託される「希望」のなんという心もとなさ。「俺の」「死ぬる身の」での丁寧な「の」によって引きたつ「懐かしい」の表現の重み。「死ぬまでは」の「は」を「死ぬまで」と同じフレージングにおさめることで、ヴォカリーズ「あ」の嘆きの深さがくっきりと浮かびあがり、次のクライマックス「ある秋の夜」へと飛翔してゆく。
一番見事だと思うのは最終節の「遊んでいた」の「た」をたっぷり歌わずに、息を多く混ぜて表現するところだ。季節を過ぎてもまだ鳴いている虫の命のあわれを息で表すことによって、そこに「生きようか 死ぬまでは」という己の吐露を重ね合わせることが可能になる。

EPIC時代の録音が、20代前半で部屋にこもっていた俺の一人称の独白、もしかしたら読者が想定されていない日記であるとするなら、野音の「晩秋の一夜」は音楽表現によって圧倒的に立体的な奥行きのある世界が構築されており、部屋にひとりいる人を見ている誰か——自分を見つめるもうひとりの己、日記文学を書いた書き手の存在、主人公と書き手との間の距離を感じさせる。それが宮本浩次がステージ上で言った「すごいリアリティーあります。今こそ聴いてくれ」の意味ではないだろうか。
丹修一監督の俯瞰的なカメラも、野音公演が持つ奥行きや立体感を暗示しているように思う。この曲に限らず、何度も挿入される舞台上からの視点や野音全体を映しだす遠景での視点は、誰の視点なのだろうか。エレファントカシマシを地上に送り出した音楽の神の視点なのか。それとももうこの世にはいない、わたしたちの大切な人が天上から見ているのだろうか。

3/ 月の夜
EPIC時代にこの曲を歌っている姿を見るたびに、胸をかきむしられる思いがする。20代半ばにもなればたいていの青年は自分の思いが様々にありながらも、それなりに世間と折り合いをつけていくものではないのか。それをこんなに激烈な絶叫をむき出しに歌えるなんて、実直さ以外の何であろうか。だから歌い方も、月に向かってどこまでもまっすぐに叫ぶ。誰もいない月の夜に、相手をしてほしいと月に向かって叫ぶ。

その孤独の深さや強烈さは少しも変わらないが、野音2020の「月の夜」の最も素晴らしい表現は、「も少し遊ぼうか」や「我をつつみたまえ」の最後の消え方だ。このような消え方はEPIC時代の演奏には見られないニュアンスのように思う。
最初はどうやっているのか分からなくて何度も映像を見返し、聴き直した。単に音量をしぼっていくというのではなく、まるで金管楽器の弱音器やピアノの弱音ペダルを入れたかのように音色ごと変わっており、どうやら途中でファルセットを混ぜて下の倍音をカットしているらしいということまではわかるものの、難しいテクニックがあまりにも自然すぎて、宮本浩次の喉という楽器が一体どうなっているのかさっぱり分からない。遥か彼方から残響がこだまになって聴こえてくるかのような効果で、音量は減っていくのに曲が大きな広がりを持つ瞬間だ。それによって聴いているわたしたちは自然と月に思いをはせたくなる。
音楽表現によって歌詞の世界を描き出すということが、ここでも実践されている。

今まで述べてきた3曲はいずれも部屋にいる人が描かれた歌だ。発売当時の音源を入手していないので今回は取り上げなかったが「何も無き一夜」もとても抒情的で美しい曲だと思ったし、野音2020で歌われなかった「偶成」も「遁生」もわたしを魅了してやまない。どうやらわたしはEPIC時代のなかでも閉塞的な状況にある人の歌にとりわけ強く心を動かされるらしい。最初はそれが、若くしてこんな大きなテーマを、様々な文学や音楽のジャンルを越えて歌詞と音楽の両面から見事に表現した宮本浩次の才能に感嘆しているからだと思っていた。しかし自分自身の内側にある本当の答えに気がついたとき、わたしは野音の映像を前に茫然と立ちつくし、大きな声をあげて泣くしかなかった。
それを書き上げて私的野音鑑賞記の結びとしたい。

4/ 結びにかえて: 悲しみの果て
わたしの親友は、14歳から心身を病んで引きこもり、24歳で命を終えた。
もしかして亡き友が見ていたのはこういう光景だったのだろうか。彼女の優しいたおやかな心情や鋭敏で透徹した知性、わたしにはぼんやりとしかうかがい知ることのできなかった彼女の苦悩や焦燥が、これらの曲に表現されているように感じた。24歳で彼女を喪った後、長い間誰とも悲しみを共有できなかったわたし自身の絶望や孤独、精神的な閉塞感までもが音楽のなかに凝縮されているように感じた(そのことで周囲を責めるつもりはない、喪失とは人それぞれの固有の体験だからだ)。わたしたちの14歳から24歳は1987年から1997年で、かなりの部分がEPIC時代にあたる。はっきりとは言葉にできなくともおぼろげながら感じていたことが、浮かれた強がりな時代の深層に織りこまれていた影が、ここにこんなにはっきりと歌われていたとは。
彼女はエレファントカシマシを聴いたことがあっただろうか。
もし彼女が当時「夢のちまた」や「晩秋の一夜」「月の夜」、そしてその後のエレファントカシマシを聴いていたなら——。

悲しみとは、喪失体験によって引き起こされる感情だとわたしは思っている。そこにいた誰かがもういない、戻ってこないという救いようのない不可逆的な現実からわき起こる感情。
だから悲しみはなくならない。悲しみの果てには悲しみがあるだけだ。宮本浩次も「本当の悲しみというのは、自分で慣れていくことしかできないんじゃないのかな」(『新録・宮本語録集』)と言っているではないか。

「悲しみの果て」という抽象的な言葉づかいがどうして日常的な「部屋を飾ろう」に突如飛躍するのかずっと分からないでいたが、野音2020を繰り返し聴くことによってわたしは納得するにいたった。「悲しみの果て」はEPIC時代とはまるで正反対な曲のように言われるが、本当はその延長線上にある曲なのかもしれない。この時期に多く歌われた「いつもの部屋」、世をはかなんで働く人を眺め何もしないでいた部屋、若くして亡くなってしまった親友の部屋、わたしだって一応日常生活を送ってはいたものの、心にはいつも雨が降っていた、比喩的な意味での「いつもの部屋」、そういう自分だけの場所を大切に手をかけて育てていけというメッセージがこめられているように、わたしには聴こえた。だからたとえ「何も無き一夜」を「ただ漫然と」過ごしたとしても、朝が来たらわたしは部屋を飾り、「素晴らしい日々を 送っていこうぜ」と思えるようになった。

悲しみの果て、亡き親友と共に。
エレファントカシマシと、宮本浩次と、その歌を愛する人たちと共に。

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