私の英語学習
私が英語に初めて触れたのは5歳のとき。
父の仕事の都合、アメリカ留学するのに同行した。ちょうどロサンゼルスでオリンピックが開催される頃、私たち家族はインディアナ州のド田舎にいた。
それまで英語を話す人を見たこともない。何の準備もなしに日本語が通じる人が誰もいない幼稚園に放り込まれた。
それが良かったのだ。
初日からいきなり体育館のようなところに連れて行かれ、大人の肩ほどの高さの跳び箱からロープに掴まってターザンごっこという試練が始まった。
人間追い込まれると、五感をフル活用してなんとかするものだ。最初は見よう見まね。だんだんと友達とも遊びたい、先生にもかまってほしいと欲がでてくる。自己主張ができないと空気のように相手にされないことも肌で感じ取った。
くわえて、アメリカの幼稚園に「保護者への手紙」のようなナマ優しいものは存在しない。必要なものを家から持ってきなさいと先生から口頭で言われたことを理解して親に伝えるまで、5歳児といえど自分の責任なのだ。
あるとき「タマゴを幼稚園にもってきなさいって」と親に伝えた。イースターエッグの習慣が1980年代当時の日本人の両親には到底理解してもらえるはずもなく「そんなことはない」と聞く耳をもってもらえなかった。手ぶらで幼稚園に行くはめとなり、私と途中から編入してきたもう1人の日本人の男の子だけが行事に入れてもらえなかった苦い思い出もある。
母の証言によれば、アメリカの幼稚園から帰ってくれば、私は自宅で小一時間1人で英語らしきものをブツブツ言っていたらしい。実に怪しい光景であったことであろう。
父から教わったのは、せいぜいアルファベットの大文字、小文字の書き方だけ。
家で見るテレビ番組、アニメも当然英語。5歳児にとってはこれも大事な時間。
中でも、セサミストリートは良くできた番組だったと思い出しては、感心している。いまだからわかるのだが、キャラクターたちがそれとなく単語の発音の音節を区切って教えてくれていた。
このように、理屈は後からついてくる。
【耳で聴く、伝えたいことを話す、発音】
私の3点セットは5歳児のときの貯金がベースとなっている。人見知りしない性格もオマケでついてきた。
アメリカにいたのは1年1ヶ月。友達を家に連れてくるくらいまでは馴染んでいたが、残念ながら小学校にあがる前に帰国した。もし、まだあそこに滞在できていたならば、もうちょっと違う可能性もあったと思う。
高校時代は大学受験のために日本型詰め込み式で単語、文法と読解を習得した。日本の物差しでいうところの偏差値79.9をマーク。
大学1年生になってから、1ヶ月実家のテレビを独占し、CNNでリスニング特訓して英検準1級をクリアしたところがピークであった。そこから英語を使うこともなく能力は下る一方となってしまった。その上を目指す根性が足りなかったことを反省している。
仕事で英語が役に立つ場面に遭遇したのは片手で数えるほど。仕方ないといえば、仕方ない。ここは日本の地方都市。
長いブランクを経て、去年一人暮らしの自分の部屋でもCNNとBBCを視聴できる環境を整えた。お金払ってるのに日本語同時通訳音声聴いていては意味がないので、ストイックに英語音声だけで聴いている。BLM、パンデミック、大統領選挙などなど激動の時代を目の当たりにして、人間として勉強になるし、興味がある。
キャスターの言い回しや表現を聴いていて、「これは!」と思えば盗んでマネをする。これは昔5歳児だった私がマネから始めたのと大して変わりない自然な感覚でやっている。
私はCNN特派員Will Ripley氏のリポートがお気に入り。実に明瞭な発音なので聞き取りやすい。CNNアンカーAnderson Cooper氏も私は大ファンで番組が楽しみなのだが、彼の英語を全て理解するには単語力がまだまだ足りない。比喩表現などは日本で生活する私には難しいと感じる。
マネをするにはアウトプットする場が...。
そんなこともあってTwitterやnoteに時折コザカシイ海外ニュースの投稿をしている。
実際TwitterからWill Ripley氏にリプライを送って👍️が返ってきたときは嬉しかった。彼が東京特派員だったときには、彼の作った #joyfightsfear のハッシュタグに載せてエンタメを共有RTしてもらったりエキサイティングな時間だった。
モチベーション保持のためにも、お題のネタとしても幅が広がったかもしれない。
あの環境を5歳児の私に与えてくれた両親にはいまでも感謝している。
お粗末様でした。
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