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推しの卒業を見届けに行ってきた:3日目

推しの卒業を見届けに新潟に来た3日間、最終日。
肝心の卒業公演は2日目で終わったので、3日目は本当にオタクが新潟周辺でわちゃわちゃしていただけなのだが、個人的に一番ドラマティックな日だったので、この日のことも書き残しておくことにした。

1日目:

2日目:


新潟滞在3日目となるこの日は4月3日、月曜日。
さすがに2日目のライブを夕方まで見た後、6時間ドライブして岩手に帰るのもどうかと思ったので、休暇を取っていた。
昨日までで推しを追いかけるイベントもすべて終わっていた。
今後のRYUTistのことや、来週の特典会(まだ迷っていた)のことはあるとはいえ、とりあえず今日はゆるっと新潟観光でも楽しもう…。午後3時頃に出発すれば夜9時には岩手に着くかなというくらいのしばりを除けば、昼過ぎに北書店に行ってみることくらいしか予定がなかった。

昨日とは違い朝遅く起きてホテルからチェックアウトする準備をしていると、昨晩別れたミドリムシさんからメッセージが来ていた。なんでも、昨日卒業公演のあとの会場で配られたセットリストチラシを、来られなかったきりやまさんの分まで受け取ったのだが、それを僕に渡す際にミドリムシさん自身のものも一緒に渡してしまったため、出来ればそれは返して欲しいのだという。
思わず笑みがこぼれた。昨日あんなに別れを惜しんだのに、思ったより早く再会することになってしまったのだ。

新潟駅前のホテルをチェックアウトした僕は、昨日のように信濃川方面に歩き始めた。
現在が大体午前10時。12時過ぎに信濃川沿いの北書店に着くとして、川沿いの桜並木の通りをゆっくり歩いたらちょうどいいだろう。途中、万代バスセンターがあるので、名物のカレーも食べていきたい。このように思い、ミドリムシさんには「とりあえず万代バスセンターで落ち合いましょう」と伝えておいた。

この日も雲一つない青空だった。曇りの多いはずの新潟でこの三日間の晴天は本当にどうしたことだろう、もしや推しの加護?いや推しは人間に戻ったのだから(?)、今回はどちらかというと新潟という町や土地が、推しの卒業を祝福していると思うのがオタク的には妥当だった。

町をのんびり歩いていると、面白い発見もあった。

川から随分離れたところに萬代橋の昔の橋名板(きょうめいばん)があって、なんだろうと立ち止まって碑の説明文を読んでみると、現在の3倍の川幅があったころの信濃川を想像させたりして驚いた。

このあたりの土地を開発する際に「万代シティ」と名付け、その中にある古くから親しまれている場所が万代バスセンターらしい。そして万代バスセンターといえば、この「蕎麦屋(?)のカレー」だというのだ。とりあえず記念という意味でもカレーを食すことにした。時間はまだ昼前、券売機に並ぶ人も少なく、食券を渡すとすぐに大盛り(これが普通サイズらしい…)のカレーが出てきた。

辛かった…!!!!
最初口に入れたときの甘みから、食べやすい感じなのかな?と思ったら、後味に結構強烈な辛み!これは意外な組み合わせだった。
ただ辛いのが苦手な僕でも食べられた絶妙なバランスだったので、新潟にお立ち寄りの際はぜひ!万代バスセンターのカレー!!!

食べ終わって外で待っていると、遠くから歩いてくるミドリムシさんが見えて手を振った。お互いに笑って思ったより早い再会を喜んだ。ミドリムシさんは、聖地のひとつであるりゅーとぴあの草地で、乃々子さんに捧ぐ四葉のクローバーを探していたのだというからまた面白い(結局見つからなかったらしい)。流れで彼もミニサイズのカレーを食べ、じゃあぼちぼち歩いて北書店に向かいましょうかというところで、ミドリムシさんが言った。
「新潟日報のビル行ってみません?もしかして、あそこに行けば過去の新聞を購入できるんじゃないですか?」
そう言われて、僕はすぐに一昨日の古町前夜祭のときのことを思い出した。

一日目の投稿では書かなかったが、僕が古町に到着して古町前夜祭の開始を他のオタクの方々と待っていたときのことだ。北海道から来たかずぽんさんも交えて喋っていると、先ほど出会ったばかりのミドリムシさんがやってきて、かずぽんさんに新聞を差し出した。
「これ、乃々子さんの卒業インタビューが載っている新潟日報です。東京に行ったときゲット出来たので、かずぽんさんにぜひ!」
「いいんですか!」
そんなやりとりが目の前で行われたのを見ていて、僕は「いいなあ~」とつぶやいた。かずぽんさんは僕と同じ乃々子さん推しであるが、同担の僕がTwitterを見ていてもその推しっぷりはハンパなく、ミドリムシさんもそんなかずぽんさんを見て、どうしてもその新聞を彼に渡したかったようだった。

回想から戻ってくるが、そのときのことをミドリムシさんは覚えていたのか、可能なら僕にもそのときの新潟日報を手に入れさせたいのだな、とわかった。個人的にもかずぽんさんも尊敬しているしそのときのことは僕も納得していたので気にしていなかったが、なんとなく僕のことも気にかけてくれているミドリムシさんの気遣いを感じてほっこりした。

上部にでかでかと『新潟日報』と書かれた、天高くそびえるガラス張りのビルはバスセンターからそんなに離れていなかった。中に入ってエレベータ横の案内板を見ると、高層階にはいくつもの企業が入居しているらしく、新潟日報の本社はその中の一つのようだ。だがこういうとき、突如本社に乗り込んで「過去回下さい!!!」と言ってもいいものだろうか?
周りを見渡すと、一階にはサービスカウンターを兼ねた部屋があり、僕たちはそこに入って案内のお姉さんに声をかけた。
「新潟日報の過去のもの、えーと、3月26日のものが欲しいんですが、在庫ってありますか?」
「少々お待ちください」
そう言ってしばらく待つと、お姉さんは裏から一部の新聞を持ってきた。
受け取って開いてみると、そこにはちゃんと乃々子さんの卒業インタビューの記事が載っていた。

「ありがとうございます!これです!これを一部下さい!」
そういうわけで、僕も記念にこの日付の新潟日報を手に入れることが出来たのだった。ミドリムシさんありがとう!ちなみにミドリムシさんは、また他の方に配るときのためにちゃっかり三部購入していた。

無事目的を達成して新潟日報ビルを出ても、まだ時間的には11時。
このまま萬代橋をまっすぐ渡ると北書店に着くが、それでは早すぎるし、なにより当初の予定通り、僕は川沿いの桜並木通りを歩きたかった。
同じ方向から来たミドリムシさんには悪かったが、川沿いのやすらぎ堤を歩きながら上流の八千代橋を渡り、向こう側のやすらぎ通りを通って(つまり遠回りして)北書店に向かうことにした。

ちゃぷちゃぷと音のするような近さの信濃川沿いを二人で歩いた。昨日まで遠くから見ていた桜並木は近くを歩いても明るく華やいで素晴らしく、心地よい春の日差しの中、散歩している人ともたくさんすれ違った。自分は歩きながらこの景色の気持ちよさに感じ入っていたし、一方ミドリムシさんは「この角度!!やはりMVのみくさんのシーンはここで撮っていたに違いない!!!」とせわしなく写真を撮りまくっていたので面白かった。

歩きながら、土地が、そこに関わる人たちに愛されることについて考えていた。素晴らしい景観、住みやすい環境、町への愛着にもいろいろあると思うがその中に、「地域のアイドルが好きだから」集まる外からの人がいる。自分もその中の一人で、縁もゆかりもなかったけれど遠くからやってきて、こうして本来のアイドル目的以外で町を楽しんでいるというのは、すごいことだ。そんなRYUTistもメンバーの卒業という大きな節目を迎えたけれど、地域の良さ・グループの素晴らしさをもっと全国に知ってもらうために活躍していってほしいなあと思ったし、このまま行けるところまでついて行こうという気持ちを新たにした。
八千代橋を渡り、また萬代橋方面に歩く。こちらもまた美しい眺めだった。

萬代橋を通り過ぎ、いよいよ北書店も近くなってきた。時間的にもちょうどいいな、そう思っているとメッセージが来ていることに気が付いた。
今度はたっち~さんからだった。
「いまどのあたりにいます?」
そろそろ北書店に着きますよ、と返信しようとしたところで、ミドリムシさんに言われて後ろを振り返ると、遠くからたっち~さんが近づいてきていた。あんなに昨日別れ惜しんだのに、結局、また三人揃っちゃった(笑)。


北書店は、新潟の歴史ある本屋『北光社』の流れを汲む個人店で、店内で開催されるイベントにRYUTistもしばしば参加しているらしかった。佐藤店長はRYUTistのレギュラーラジオ番組『東港線もどかしルーム』にもゲスト出演していて、本好きのともえさんとよくお喋りしている様子を楽しく拝聴していた。
そんな中、あるとき佐藤店長が脳出血で倒れてしまう。リハビリによりある程度は歩けるようにまで回復はしたが、多少の麻痺は残り、その身体で広い店舗を維持することは難しかったため、惜しまれながらも昨年に一旦閉店。数か月後、この信濃川沿いに新しい店舗でオープンしたのだった。そういう理由で、昨日お会いしたときは杖をついていたというわけだ。

川沿いのマンション一階のなんとなく雰囲気ある廊下を歩いていくと、そこに北書店の看板が光っていた。
通路からは店内がガラス越しに見える。決して広くない店内(だからこそここに移転したのだろう)とレジカウンターが見え、そこに佐藤店長がいた。三人で扉をくぐり、店長に挨拶をした。
「こんにちは」
ああ、来たの。そういう感じで佐藤店長は僕たちを迎えてくれた。昨日の卒業ライブ前に話しかけた他にも、何人かから問い合わせがあったらしく、今日は定休日だがお店を開けているということはTwitterでも告知されていた。

佐藤店長は一見クールに物事を語るタイプに見えるが、RYUTistのオタがその縁でお店を訪れたことに対して、ここに来るRYUTistメンバーの普段のお話しをしてくれたり、メンバーが載っている本をすぐ渡してくれたり、店内にあったRYUTistゆかりの絵を出してきて見せてくれるなど、精一杯もてなしてくれた。サービス精神がすごい!
「『春にゆびきり』MVの遊歩道で乃々子ちゃんが最初歌うじゃん、あの背景に写っている三角屋根のビル、その一階が前の北書店だったんだよね」
こういう話をしていると、佐藤店長もそのままRYUTistオタクの一人というか、すごく楽しそうに話してくれて、お話しを聞いているこっちも楽しくなってしまった。
店内を歩いてみると、一般的な本屋さんのセオリーというものがあるかどうかは知らないが、そういう「売れ筋」の本をストレートに置いているというよりは、限られたスペースの中で佐藤店長が置きたい本を優先して取り扱っているのかな、という印象を受けた。
RYUTistの連載も載っている『月刊にいがた』はありますか、とミドリムシさんが聞くと、「そういうのはコンビニで売っているから、そっちで買って(笑)」と言われてしまい、やはり他の書店との意識的な住み分けをしているんだろうなと思った。

僕は佐藤店長が乃々子さんにプレゼントしたという『ぼのぼの人生相談』を、たっち~さんは推しのともえさんがゲストとして参加している本を買うつもりで手に取っていると、そこに佐藤ジュンコさんがやってきた。そのときは詳しくは存じ上げなかったのだが、佐藤ジュンコさんは仙台のイラストレーターで、仙台公演のときもいらっしゃっていたことは覚えていた。後々僕が地元の紫波町図書館にいくと、佐藤ジュンコさんの本がちゃんと所蔵されており、パラパラとページをめくると僕らよりもずっと前から、北書店・そしてRYUTistや新潟と関わってきた方だったようだ。
「ここで佐藤ジュンコさんの本を購入すれば、今ならサインしてもらえるのでは…?」
僕のそのつぶやきを聞いたミドリムシさんは目をカッと見開き、すぐにその場で本を購入してサインをもらっていた。オタクの鑑やな。

北書店の窓に佐藤ジュンコさんが描いた乃々子さんのイラストがあった。乃々子さんと一緒に暮らしている猫たち、にゃんにゃんフレンズも一緒でなんともかわいらしい。卒業ライブも終わったので、どうやらそれを消しに来たようだった。

店内でミドリムシさんがサインをもらっている間、たっち~さんと廊下で立ち話をした。
「ここに(たっち~さんの推しの)ともえさんが、いつも通っているんですね。」
何気なくそう言うと、
「…!ああ…!そうなんですよね…!」
推しがいつも通っている本屋さんに今いること。そのことを改めて実感して、たっち~さんも感慨深そうだった。三人で来られてよかった。


時間は午後1時くらいになっていた。
北書店を出て三人はまた新潟駅方面に歩いていた。
関西から来たミドリムシさんとたっち~さんは、これまた示し合わせたわけでもないのに、午後3時ごろ発の同じ飛行機で帰るらしい。
ミドリムシさんは早めに空港に行って、ラウンジで休んだりお土産を買いたいというので、新潟駅でお別れすることにした。昨日の夜別れるときはあんなに寂しさがこみ上げて来ていたが、今日また会えたので、案外またすぐどこかで会えるのかも知れない。今回は湿っぽくなることなく、割とあっさり別れの挨拶をした。
たっち~さんは、余った時間をどうしようか決めかねているようだった。まだ2時間はあり、せっかくなのでどこかしら行きたそうだ。
僕はと言えば、車もあるし同じように3時くらいに新潟を出ようとしていたため、『きっと、はじまりの季節』のMV撮影地である福島潟に行こうかと一瞬思ったのだが、地図で調べたら遠すぎてあまり現実的でないことがわかった。
二人で腕を組みながら新潟駅前の周辺マップを眺めていると、見覚えのある文字を見つけた。

《日本海夕日ライン》。

「「こ、これだ~~~!!」」

RYUTistの2ndアルバムの名前にもなっている日本海夕日ライン!夕日が見える日本海沿いのこの道路をいつかドライブしたいなと思っていたのだった。

二人の間に異論が出ようはずもなく、たっち~さんと共に意気揚々と僕の車に乗り込むと、早速西に向かってハンドルを切った。距離感もよくわかっていないため、とりあえず新潟大まで町中を走っていき、そこから日本海夕日ラインを通って海沿いに北東の新潟空港にたっち~さんを送り届けようという算段だった。

広くゆったりとした道幅のにいがた2km圏内から道路が外れると、そこはよく見知ったようなごちゃごちゃとした町並み、あるいはさすがお米の産地と思わせるような田園が混在していた。僕はある意味安心していた、あの優雅なにいがた2kmの風景がどこまでも続いていては、とてつもない規模の都市ということになってしまう。だが、そういう雑然とした風景にすら、新潟の愛おしさを感じてしまうのだった。

15分くらいは走っただろうか、まだちょっと早いと思ったが、町並みを走りながらも2ndアルバム『日本海夕日ライン』をかけ始めた。このアルバムは、日本海の朝から夜までをコンセプトにしているらしく、出だしから爽やかな曲たちがドライブにはもってこいだった。海が見え始めたら、また最初からかけ直せばいい。そう思っていた。

目印にしていた新潟大の脇道の小高い丘を越え、そして下った。
ナビによれば、いよいよこの先に海が見えるはず…!

…見えるか?

……見えた~~~!!!!

そのタイミングで、『Sunset ガール』が流れ始めた。
Sunset(日没)という時間帯ではまだ無いが、ドラマティックな曲調と踊るようなリズムが、海沿いを走るというシチュエーションにばっちりとハマっていた。
「タイミング最高っすね!」
たっち~さんが言った。
左手に日本海の景色を眺めながら、車は日本海夕日ラインを北東に向かって走り出した。海沿いには思ったよりも砂丘や防風林が多くあったが、それでもなおその間から垣間見れる海の景色は、普段盆地に暮らしている僕のような者にとっては感動的だった。
風は強くなく、海は穏やか。ゆったりと上下する波を眺めながらのドライブは楽しかった。


アルバム『日本海夕日ライン』は何度も聞いたことがあるCDだったが、このときの僕は、不覚にも次の曲がなんであるかをすっかり忘れていた。

だからその前奏が鳴り始めたときは、息が止まるような気分だった。

「いつも 聴いてたはずの キミの 声は聴こえないけど…」

それは神曲とも名高い『Blue』だった。
この曲の中で歌われている”キミ”というのは、今の僕たち二人にとって、タイミング的に完全に乃々子さんのことを指していた。
脳裏に急に、いなくなってしまった乃々子さんのことが強く思い出された。

(ちょっと出来すぎなシチュエーションだよなぁ…)

そんな軽口のひとつもたっち~さんに言おうとしたのだが、気づいた時には僕の目にはもう水分があふれていて、とにかく視界がぼやけて前が見えなくならないように運転を続けようと集中しなければいけなくなっていた。でも、黙って曲を聞いていると横から鼻をすする音がして、たっち~さんも同じことを考えているのがわかった。

途中で海が見える駐車スペースが左手にあり、僕はそこに車を停車させたが、エンジンはかけたままでじっと曲の続きを聴いていた。

「キミの 大好きだった 空も 海も変わらないけど
 置き去りの季節と 潮風くるりってパラソル
 キミがいた 景色を連れてく…」

そうして、僕とたっち~さんは車内から無言で海を眺めていた。
たまにどっちかが鼻をすすったり、涙をぬぐったりする以外には、ただBlueの美しくも切ない歌と低いエンジン音、そして波の音だけが聞こえていた。

「ずっと やわらかなまま
 そっと あたたかなまま…」

曲がしっとりと終わったのを確認し、僕は車のエンジンを切った。
ゴシゴシと目をこすって、わざと大きなため息をついてから「いやぁ、参りましたね…」と照れ隠しに言うと、たっち~さんは「タイミングが完璧なんだよなぁ…」と応じた。

昨日の幸せな卒業公演を見た後では、ネガティブな気持ちは全然なかったのだけど、それと乃々子さんがいなくなってしまったという寂しさはまた別だったので、ここは素直に泣けてよかったと思う。

そのまま二人はちょっと車を出て海を眺めて、日本海の雄大さと左手の向こうに見える山脈のような佐渡の大きさに驚いたりしながらも、しばらくしてから再び車に乗り、新潟空港へと走り出したのだった。


3時前に新潟空港に着くことが出来た。
車を停め、たっち~さんにくっついて空港の中のお土産コーナーに行くと、まさにそこでミドリムシさんが買い物をしており爆笑してしまった。

さっきのドライブの話をしたり、自分もお土産を買ったりして、今度こそお二人とはここでお別れだ。大丈夫、日本のどこにいたって、RYUTistを応援し続けている限り、また絶対会える。今日のことでそういう謎の確信が得られたのか、全然寂しさは無かった。

大体3時くらいになった。そろそろ新潟を出発すれば、9時頃には岩手に戻れるだろう。コンビニで遅めの昼ご飯をすませ、高速手前でガソリンスタンドに寄った。ここでスタッフさんがサービスでフロントガラスを拭いてくれたことに感動してしまい(岩手から高速で来るときにたくさん虫が当たって汚れたままだったのだ)、お礼を言ったら驚かれてしまった。セルフスタンドに慣れていたためではあると思うのだが、新潟で出会った人たちとの心のやりとりがとても多かったから、親切心に対しての感謝が大きくなっていたのもあるのだろう。
燃料が満タンになったことを確認し、僕は高速に乗った。

新潟から福島に向かうときは西側に傾く太陽を背にしていたし、夕方には山脈を越えて東北自動車道に入っていたから、結局日本海夕日ラインに沈む夕日を見ることは出来なかった。
黙って運転しながらも、僕は今回の三日間のことを思い返していた。
RYUTistや出会った人たちのこと、新潟やこれから帰る岩手のこと。
その時間は、ここに来る前に僕がきっと必要だろうと思って用意した時間で、その時間のためにドライブして新潟まで来たのだった。

高速を走行中、ミドリムシさんからメッセージが来ていることに気が付き、パーキングエリアで休憩しながら内容を確認した。
ミドリムシさんは、やっぱり古町前夜祭で僕にも新潟日報を渡せなかったことを悔やんでいて、それを今日無事入手出来てよかったということだった。
「もう僕ら友達っすよね?また会いましょう!」
という最後の一文に、新潟で初めて出会った彼の優しさと気遣い、あとちょっとそそっかしくて心配症なところを思い出して、グッと来てしまった。
それに返信しながら、僕は思った。

絶対また会えるよ!





…と、もしこれが映画だったら、このあたりでエンドロールが流れるんだろうけど、この話はもうちょっとだけ続くんじゃ。

月曜の夜21時30分からは、RYUTistのラジオ番組『もどかしルーム』がある。
21時には岩手に着いているつもりでいたが、よく考えたら、休憩しながら運転すると岩手に着くのは22時過ぎとかになってしまう。今日の回は、古町前夜祭や新潟テルサ公演当日に、メンバーや関係者の皆さんからもらったインタビューを流すという告知がされていたので、きっとディレクターの下條さんは昨日の今日で編集が大変だったろうなと思いつつ、僕はその放送時間を楽しみにしていた。

時間になり、もどかしルームが始まったのを、真っ暗な高速を運転しながら車のスピーカーで聞いていた。
時系列で、メンバーや関係者がイベントに参加してのインタビューが流れていく。

前夜祭前日のむうたん、いよいよその日が近づいてくることを受け止めつつも、いいシャンプーを使って、ゆっくり休んで備えようという自分なりの向き合い方を語ってくれた。
卒業前に思い出の古町で前夜祭ライブを終えた乃々子さんの嬉しそうな声。
ちょっと戻って、前夜祭前日のともえさん。他のメンバーとは違って、最後の実感がどんどん迫ってきて余裕がない気持ちを打ち明けてくれた。
古町前夜祭で演奏してくれた柴田聡子さん、君島大空さん。
前夜祭前日のみくさん、一人になったときにふと、乃々子さんとの日々の終わりを考えると怖くなってしまうこと。
日付が変わって新潟テルサの卒業公演前、当日に新幹線のチケットを買って東京から駆け付けたファンの人。岩手から来て、涙声になりながらも卒業を祝いたいと言っている人。
公演前、最後の掛け声をまとめる乃々子さんとみんなの声。
公演後、乃々子さんへの温かい言葉を送る関係者のみなさん。沖井さん、望さん、佐藤店長、タガヤスさん、佐藤ジュンコさん、カンケさん、南波さん。

そしていつものエンディングテーマ、柴田聡子さんのラッキーカラーをバックに、公演後の乃々子さんの明るい話し声が流れて来る。ファンやメンバー、みんなへの感謝と、町のどこかで見つけたら声をかけてね、3人のRYUTistもよろしくお願いします、という乃々子さんらしい気遣い。
番組の締めの挨拶になった。「RYUTist、佐藤乃々子でした!」を合図に、この二日間を象徴するようなとびきり明るい『ラリリレル』の冒頭が流れ、乃々子さんの最後の出演となるもどかしルームは終了した。


高速を降り、まだ帰宅はしていなかったが、地元のコンビニの駐車場に車を停車させ、僕はTwitterにつぶやいた。




こうして、推しの卒業を見届けるために新潟に行った僕の三日間は終わりを迎えたのだった。















■エピローグ



これで僕の新潟3日間の話はおしまいです。
最後まで読んでくださってありがとうございました!


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