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推しの卒業を見届けに行ってきた:2日目

今回の話の趣旨と1日目については前回の記事を参照。

新潟2日目は、午後にいよいよ推しの卒業公演がある。
前日ご一緒したきりやまさんは、残念ながら仕事でこの日は来られないため、昨日でお別れ。
聖地巡礼オタのミドリムシさんは、引き続き午前中に新潟市内の聖地巡礼をするという。僕はというと、そういうものにも興味があったがまず致命的に朝に弱いため、一緒に行動するという約束はせず、とりあえず「起きられたら」連絡するということにしていた。

が、この日は午前7時にちゃんと起床。
さすがに推しの卒業のことを考えると、緊張感で二度寝は出来なかった。ホテルで朝食を取り、すぐにミドリムシさんと合流することになった。


昨日解散した、新潟駅北側でミドリムシさんと合流すると、続けてミドリムシさんに僕を紹介してくれたたっち~さんとも合流することになった。彼との合流場所は駅の南側。北側の駅前は大きな工事をしており、それを眺めながら駅南側に向かうと、いつか見た光景が広がった。そこは、10年前に粟島の友達に会うために降り立った場所だった。「ここだったんだ…」
「ここです!」それとは別に、ミドリムシさんが叫んだ。
「この場所が、『黄昏のダイアリー』のMVでみんなが解散する場所なんですよ。ほら、あそこにホテルが見えるでしょ…」
さすが聖地巡礼オタク。と感心しつつ、だけど駐輪場の場所が…看板が…とあーだこーだ面白がっていると、たっち~さんが合流した。

「とりあえず、どこに行きましょうか?」
午後には卒業ライブがある新潟テルサに着いていなくてはいけない。そこは新潟駅からはちょっと離れていて、彼らはバスで行くつもりのようだった。一方僕はそんなことも知らずに自分の車で向かうつもりで、そういえば昨日パーキングに停めっぱなしの車の駐車料金が気になってきていた。そこで、僕はこんな提案をした。
「車に荷物も積んでありますけど、もしかしたらお二人を乗せるスペースが確保できるかも知れないので、一旦古町に停めた私の車の方向に向かっていいですか?可能なら、そのまま二人を新潟テルサまで乗せていきます」
というわけで、とりあえず午前中は僕が古町に停めた車の方向に向かいつつ聖地巡礼。車の状態次第で、可能なら二人も乗せて午後の会場に向かうことにした。

昨日は新潟到着から暗くなるまで古町にいたため、明るい状態で新潟駅~信濃川方面に歩いて向かうのは新鮮な気持ちだった。東北の都市、例えば仙台に比べて新潟は道幅が広く、背の高い綺麗な建物も多かったため、かなり綿密な都市計画で作られた町のように思えた。信濃川は雄大で、町のど真ん中にこんな大きな川が流れていることには驚いたし、何より川によくある堤防がほぼ無く、増水したときにはどうなるんだろう…とちょっと不思議に思った。立派な萬代橋を渡っていると、昨夜も見えた川沿いの桜並木が咲き誇っていた。昨日から続く雲一つない青空から桜に、春の陽気が降り注いでいた。

何も考えずに二人について歩いていくと、カフェにたどり着いた。
「ここ、ともちいが上げてた喫茶店なんですよ」
後でわかったことだが、そこはBlue Cafeというお店で、もどかしルームの第63回でもゲストのNegiccoぽんちゃがともえさんにオススメしていたところだった。(余談だが、第2回頑張った大賞の受賞理由にもなった「朝出社する」と書いてある僕のメッセージを、サ行が苦手なともえさんに読ませてしまったのもこの回だった。ごめんなさい🙇)

とりあえず店内で一息ついて、飲み物や朝ごはんを食べながら三人で話していると、次々と話題が出てきた。午後の卒業ライブのこと、これから三人になるRYUTistのこと、もどかしルームの投稿のこと…

そうこうしているうちに時間も進んでいってしまうので、お店を出て次の場所に行くことにした。
ミドリムシさんが言った。
「みくさんチャリ使いません?」
みくさんチャリとは…?話を聞くとこの辺で使えるレンタサイクル(自転車)らしく、アプリをダウンロードしてエリアを「にいがた2km」に指定すると、近くにあるステーションがわかりレンタル出来るのだという。RYUTistも宣伝してた「にいがた2km」がいま自分達が歩いている範囲なんだというのがまた感動だったし、検索すると公式ページにでかでかとみくさんが写っているのを見て笑ってしまった。

近くのステーションで自転車を借りた。
小型の自転車だったが電動アシスト付きで、軽い踏み心地でグングン進むのは爽快だった。どこをどう走ったのか覚えていないが、ミドリムシさんに着いて行くと、歴史的な建物が密集した一画にたどり着いた。どうも今調べると、新潟市歴史博物館みなとぴあのある敷地だったらしい。
一旦自転車を入り口に停め、敷地内に入ると、広い庭園のような場所に桜も満開で咲き誇っており、家族連れも多くいた。旧新潟税関石庫の柱を見て「こ、この柱に『センシティブサイン』のMVでむうたんが寄りかかっていたーーーっ!!!」などと、完全にオタムーブをかましてしまった。周りにいた方々の目には、さぞ奇怪な集団に見えてしまったことだろう。
遠景に写る高層ビルを目印に、「みくさんはここで歌っていたように思うんですけどねえ…」とミドリムシさんは言っていたが、どうも桜の位置的にここではなさそうだった。時間も無くなってきたので、いよいよ古町に移動することにした。

「古町6番町あたりに車を停めた」ことしか覚えておらず不安だったが、なんとか自分の車にたどり着くことが出来た。幸い近くにレンタサイクルのステーションもあり、自転車を返却して車内の整理をした。二人を乗せるスペースもあったし、半日の駐車料金も600円で済んだのは驚きだった。
時間は多分11時過ぎくらいだったと思う。卒業ライブの開場は14:30だが、12:30からは物販も始まるという情報だったので、もう行っちゃおうということで新潟テルサに向けて出発した。新潟まで来る途中で流していた4thアルバム「ファルセット」がスピーカーから流れて、三人はノリノリになりつつも、いよいよライブ会場へと向かう緊張感も漂っていた。

新潟特有の東西道路(今思えばこれが7号線、”ルートセヴン”だったのね)を越え、遠くに大きなスタジアムが見えた。ビッグスワンスタジアム。このほとりに「カナール」があることはわかっていたので、時間もあるしちょっと入ってみようかという話になったのだが、これが想像以上に混んでいて駐車場は満車、諦めて新潟テルサに向かった。


新潟テルサに着いた。
駐車場は広く、また桜の木が所々に植えてあった。
駐車場の横は高校らしく、雰囲気的に卒業式の会場にでも来たかのようだった。僕は胸元のポケットから、今日来られなかったきりやまさんの分身として預かってきたSHIBATA COFEEのコースターと一緒に、写真を撮った。

中に入ると、まだ物販の列は出来ていなかった。広場のソファにはもうオタと思われる人たちが点点と座っていて、僕たちも空いている席に腰を下ろした。コミュ力全開のミドリムシさんと一緒にいたおかげで、古参オタの方達にもちょこちょこ挨拶することが出来た。もどかしルームにたまにメッセージを送っているからかTwitterでフォローしているからか、何人かの方には名乗るとなんとなく存在を認知していただけていたようで嬉しかった。かなりたくさんの方にご挨拶したので、ひとりひとりここではご紹介出来ないのが申し訳ない。

途中たっち~さんは新潟の友達と合流しに行ったり、僕は僕で車に物を取りに行ったりしている間に、物販列が始まっていた。配られたグッズのラインナップ表を見て、僕は大きく悩むことになる。

「3000円お買い上げごとに、乃々子さんの直筆色紙一枚か、来週に開催される乃々子さん最後の特典会の特典券をお渡しします。」

僕は、一度も乃々子さんとお話ししたことがなかった。
そもそもコロナ以降にRYUTistのファンになったので配信で見ているだけだったし、仙台に来てくれた(エン)ツアー、今回の「会いに行きます」ツアーでも、乃々子さんは体調不良だったので直接お話しは出来なかった。それはそれでタイミングが悪かった、仕方のないことだと思っていたが、ふとかずぽんさんが言っていたことを思い出した。かずぽんさんはつい先日の西興部村のライブに行ったらしく、そのときは乃々子さんとお話し出来ましたよ、と。もちろんそれを聞いて悔しい気持ちもありつつ、でも、今回苦労して来た新潟に、来週もまた来るのを想像するのは難しい。今回は卒業ライブの重みをかみしめるために車で来たが、もし来週来るなら新幹線だろう。そのお金を、捻出できるのか…?

そんなことでもやもやしていたが、物販列が会場前ホールまで進むと、乃々子さんの卒業をお祝いするたくさんのお花が飾られていたのが目に入った。乃々子さんのメンバーカラー・黄色で統一されたお花が多かったが、中にはとにかく卒業を祝おうというカラフルなお花もあった。ファン寄贈のお花もあり、これは仙台で自分も一封出させてもらったものだった。きっと乃々子さんも喜んでくれただろうか。たくさんの方が乃々子さんの門出をお祝いしていた。RYUTistが紡いできたたくさんの方達との絆、そして乃々子さんがたくさんの方に大事にされていることがひしひしと伝わってきた。それとは別に、乃々子さんへお花を贈ろうプロジェクトが公式で募集されていて、たくさん並んでいるかわいい小鉢のなかに「ひやま」と書かれた自分のお花もあった。

物販が自分の番になった。事前に連絡していたきりやまさんの分も買い、合計額は10000円を超えた。
「特典券か色紙、3つ分付きます。」
僕はきりやまさんの分の色紙と僕の色紙、そして特典券1枚を選んだ。

さすがに日和ったと思った。

後から「やっぱり特典会に行こう」と思ったときのために、保険として1枚の特典券を手に入れてしまったのだ…。行くお金も思い切りもないくせに。

物販を終えると、ランダム絵柄のロコ岩もちゃんと乃々子さん柄が出ていたし一安心した。あとは開場まで一時間程度あったので、ミドリムシさんと会場近くにあったセブンイレブンに行って、昼食を取ることにした。
セブンイレブンはさっき通ったビッグスワンスタジアムの斜め向かいだった。同じく昼食を取りに来た他のオタの方に挨拶すると、「ここからならカナールに歩いて行けるんじゃない?」という話になった。僕とミドリムシさんは、速足でビッグスワンスタジアムへ向かった。

スタジアムの横に堀があり、六角形のステージ『カナール』があった。ここは(個人的に)伝説の配信ライブ「ファルセットよ、響け。」の会場だったし、Negiccoの曲にも『カナールの窓辺』というものがある。ただ、想像していたのとは違って、堀の水は枯れていた。どうも、水質の調査のためにしばらく水は止めているらしかった。
せめてもと写真を撮りまくっているミドリムシさんを横目に、僕は堀の横に並んだ椅子のひとつに腰かけた。春の陽気の中に、ここにも桜の並木が揺れている。芝生にはたくさんの家族連れがいて、思い思いにお花見やピクニックを楽しんでいた。
「来週の特典会、どうしようか迷っているんです。」
僕はミドリムシさんに打ち明けた。本当は、特典券1枚をもらってしまった時点で、自分の中では「来週も来るんだろうな」という気持ちにはなっていた。ただ、現実的にそのためのお金をどう工面するかという問題はあった。先週の仙台~今回の新潟のために、ほぼ全ての力を使い切っていた。もし本当に来るのであれば、手持ちの資産(ここでは別の趣味であるカードゲームのカードとかである)を売ったりする覚悟が必要だ。ミドリムシさんもそのことはわかってくれていて、あえて「行った方がいいですよ!」とも「行かなくてもいいんじゃないですか?」とも言われなかった。ただ、行かなかったら後悔だけはどうしてもするだろうし、ましてこの1枚の特典券を使わずに手元に残したまま、一生グズグズするのは重そうだなあとも思った。

カナールから新潟テルサに戻る道すがら、ミドリムシさんとは色々なことを話した。リアル職業のことやチャットGPTについてとか、各々の出来る範囲でアイドルを応援することが長くファンを続けるためにはいいだろうなと思っていること、ミドリムシさんがファンクラブチャットで真っ先に反応するために工夫していることや、昨日のライブがどうであったとかいろんなファンの方のこと…。
そうこうしているうちに、いよいよ開場時間の14:30になった。


ホールに入る前の人が溢れるロビーで、僕はある人物を探していた。RYUTistのレギュラーラジオ番組『東港線もどかしルーム』のディレクター、下條さん。番組を愛聴しているし、ライブの前後にインタビューして回るという話もあったので、せめて見かけたらご挨拶だけてもさせていただきたいと思っていた。そして、アフロっぽくてマイクを持っている人がすぐに見つかったので勇気を出して話しかけてみた。
「下條さんですか?ひやまと申します。」
「ああ!ひやまさんですか!岩手から?」
番組にメッセージもちょこちょこ送っているとはいえ、すぐにわかってもらえたのはやっぱり嬉しかった。
「せっかくなので、今のお気持ちをインタビューさせてもらってもいいですか?」
そう言われるのを期待していなかったと言えば嘘になるが、きっとたくさんの人に聞いて回っているのだろうし、その中の一人だと思えばいいかと思って、インタビューを受けた。

自分は岩手から運転して来たこと、前日の古町前夜祭もすごく良かったことを明るく話したんだと思う。そして、推しの卒業ライブ直前である今の気持ちを聞かれた。
深く考えず、思ったままを伝えた。もちろん、本人が決めたことだし、応援したいし明るく見送りたい。ただ、今日が来てしまうのが実際には怖かったことも事実で、それでも…
最後まで見届けたい…
そんなようなことを言おうとして、自分の目から急に涙がこみ上げてきた。あわてて呼吸しようとして、言葉が出なくなってしまった。
僕は泣き出してしまい、話せなくなった。
「いいんです、大丈夫ですよ。」
下條さんは優しく、僕の言葉が出てくるのを待ってくれたのだった。

インタビューが終わって下條さんが次のインタビュー相手を探しに行き、僕はぼんやりロビーに立ち尽くしていた。
さすがに急に泣き出すとは自分でも思わず、恥ずかしかった…。これは使われないだろうな。
そんなことを考えていると、今度はまた別の人影が目に映った。杖をついていたので、確信があった。もどかしルームにも何度かゲスト出演している、北書店の佐藤店長だ。このときの自分のコミュ力はどうかしていたと今でも思うのだが、僕は迷いなく店長に話しかけた。
「新潟に来たら北書店に行きたいと思っていたんです!明日行きます。」
「明日は休みだよ。」
「えっ!!!!!!!!!!!」
これは誤算だった。なぜ定休日をちゃんと調べておかなかったのか。
佐藤店長はちょっと考えて、
「ただ、明日は佐藤ジュンコさんも来ることになっているから、昼前後にはお店にいるんだよね。明日何時ごろ帰るの?」
「午後3時くらいには新潟を出ようと思っています。」
「じゃあ、昼過ぎくらいに店を開けておくから、来なよ。」
このようなことを言ってくれて、その後も何件か問い合わせがあったのか、実際に翌日お店を開けてくれた。店長には本当に感謝しかない。
(若干迷惑かけちゃったかなと思ってしまったが、他にも何人もRYUTistファンがお店に来たらしいので、今回は大目に見ていただきたい…佐藤店長、ありがとうございました。)

さあ、いよいよホールに向かう決心がつき、僕は扉をくぐった。
1500席あるというホールは、10周年ライブのときのりゅーとぴあ劇場のほぼ2倍の広さだった。チケットは指定のSS席。実はこれも今回来られなかったきりやまさんが取ったチケットで、それを譲ってもらったのだった。
4列目、ということだったが、実際に客席として座れたのは3列目からだったようで、実質2列目と言えた。
面白いことに、全く示し合わせていないのに二つ隣にミドリムシさん、その前にたっち~さんという座席配置で、僕たちは「なにか導かれているよね」と言って笑った。


ここからが肝心の卒業ライブのことになるのだが、本当に申し訳ないことに、自分は心情的にいっぱいいっぱいで、ライブの様子をつぶさに書き記すことは出来ない。

自分がずっと泣いていたことだけは覚えている。最初にバンドメンバーが入場し、入場曲を演奏し始めた。これは聞いたことが無い曲で、ゲームとかでよくある最終決戦のような「いよいよか…!」という高揚感を感じさせた。後で配信を見返してわかったのだが、この日のために作られた新曲「ターミナル」のアレンジであったらしい。そして曲に合わせてRYUTistのメンバーが入ってきた時点でもうだめだった、自分の目から大粒の涙がポロポロと流れた。これが推しのラストライブ。泣いても笑っても、今からやる全ての曲一つ一つが、推しの最後の曲なんだ。登場の演奏曲中ではひとりひとり見せ場があり、そしてライブがスタートする。4人が着ている新しい衣装も美しくたなびき、そしてそれは乃々子さんの最後の衣装だった。

僕の席は下手側で、最初はずっとむうたんに視線が釘付けだった気がする。
むうたんは最初のほうからハッキリと泣いているのがわかった。ただ、彼女はそれを隠したり拭ったりすることはなく、すごく堂々としていたのが印象的だった。涙の筋が頬に光っていた。
次に、みくさんが泣いているのが見えた。
アイドルとしてのプロ意識が高いみくさん、でも後ろを向いた瞬間目を瞑ってうなだれつつ涙をこらえ、次の瞬間にはまた正面を見て歌っていた姿が記憶に残っている。
そんな中ともえさんは、かなり気丈に頑張っていたと思う。自分もそんなともえさんにある意味励まされていたのかもしれない、けれど結局後半のMCになると、こらえきれなくなり、口元を覆って泣いていた。可憐だと思った。

そして推しの乃々子さんはというと最後の方まで笑顔だった。「これで最後だという実感がない」と本人も言っていたし、その後南波さんだったか、「乃々子さんはツアー後半になるにつれてどんどん気持ちが身軽になっていった」と言っていた。なんなら、このまま笑顔で舞台を去ってくれるなら、それはそれでいいと自分も思っていた。

自分はライブ中、泣くか、めちゃくちゃに泣くかの二択しかなかった。
泣き虫なのは認めるがさすがにデフォルトが泣き状態はマズい。
ただ、めちゃくちゃに泣いているときは本当に前も見えないくらい顔をしかめて泣いていて、これは今までになかった極限の状態で自分でも驚いた。

あっという間にライブは進み、最後の最後でダブルアンコールがあった。
そこで乃々子さんが最後の挨拶を始めると、これまで元気だった乃々子さんがだんだん涙声になっていったのがわかった。もう会場みんな泣いていたと思う。
最後までリーダーとして、アイドルとしてすごくしっかりした言葉だった。だけど本当に優しくて、オタみんながずっと元気でいることをお願いされた。「それは、俺たちが乃々子さんに伝えたいことなんだよなあ…。」と思ったらまた泣けてきた。

「たくさんの愛をありがとうございました!」

そんなようなことを乃々子さんが言っていた気がする。
愛かあ…。
ガチ恋系のオタクでない限り、アイドル現場で『愛』なんて言葉なかなか使わないと思うけど、今日この日だけは、その言葉だけが的確にみんなの気持ちを表現しているような気がした。

最後の曲は、昨日と同じ『ラリリレル』だった。
昨日と今日で、こんなに違って聞こえる曲なんだと思った。

自分はずっと、乃々子さんがいなくなってしまうことが寂しくて、泣いていたんだと思う。それは現場のオタクのみなさんや、メンバーのみんなも同じ気持ちだったのではないだろうか。ただ、乃々子さんの最後の挨拶を聞いた後だと、なんだか自分の気持ちが変わっていくのを感じていた。
こんなにも愛に溢れた舞台で、お互いのことを心配しながらも、幸せに去っていく推しのことを見ると、いつまでも自分がくよくよしているのも何か違うのではないか。もちろん会えなくなることは寂しいけど、これからも乃々子さんの人生はどこかで続いているし、3人になるRYUTistを応援しているとき、きっと同じ光景を乃々子さんも見ているのだと思えるから、いまはただ、乃々子さんの新しい門出をお祝いしよう。

今までありがとう。
そして、卒業おめでとう!
さっきまで言えなかったそんな言葉が、今なら言えると思った。

「元気でいてください。それだけは頼みます!」
それが、推しが最後に舞台で口にした言葉だった。


車でミドリムシさんと戻ってきた新潟駅前で、たっち~さんと合流した。
三人で夕食を食べに行き(このハンバーグ屋さんもまた、ともえさんがいつか上げていたお店ということだった)、いわゆる”感想戦”を行った。
ライブ前はあんなに複雑な胸中だったのに、卒業ライブの後は、憑き物が落ちたかのように晴れやかな気分だった。

ライブの興奮冷めやらぬ中、ライブ自体のことはもちろん三人の話題は尽きることなく、ファミレスに場所を移し、深夜23時くらいまでずっと話していたと思う。僕は前述したようにすっきりした気分だったけど、もちろん二人が同じ心持ちだったわけではないだろう。ただ、この二日間の出来事が終わってしまうのはなんだか名残惜しくて、こうしていたかったのは同じじゃないだろうか。
一応三人とも明日まで新潟にいる予定だったけど、明日はそれぞれに思うところがあるだろうし、会わないかも知れなかった。
だから別れ際、こうして新潟という地で集まれたことを喜びつつも、またいつか会いましょう、そう言って解散した。

ホテルに着き、僕はベッドに倒れ込んだ。
Twitterを開き、今後のRYUTistの予定とか、今日のライブの感想を見てまた思い出し泣きしたりしながらも、心地よい疲れと共に目を閉じたのだった。

三日目:


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