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推しの卒業を見届けに行ってきた:1日目

前回、新潟のアイドル・RYUTistのリーダー、推しである佐藤乃々子さんが卒業することになったという記事を書いた。

今回、その卒業公演を見届けに新潟に行った3日間のこと、新しい出会いや思い出について書き残した方がよいと思ったので、これを書いている。

前提としてはこんな感じだ。RYUTistはこのとき4人組のアイドルグループ。今年で12年になる確かなキャリアと実力があり、その中でも結成当初からのオリジナルメンバーである乃々子さんの卒業発表は、ファンにとってもメンバーにとっても衝撃的だった。
卒業の理由はいくつかあるというが、大きいのは活動を続けてきてここ4年、体調の不良が続いているためということだった。リーダーとして、グループの最年長としてみんなからも慕われ、頼りにされている乃々子さんの卒業。「推しの卒業」という事態に直面し、私自身もこの卒業ライブを迎えて自分がどうなってしまうのか不安だった。きっとメンバーも、乃々子さんのいなくなった後のことを考えると不安だったと思う。


新潟に行くのは三度目だった。
一度目は10年くらい前、浪人時代の仲間が新潟の粟島(佐渡よりずっと小さい島)出身だったため、同級生と一緒に高速バスで遊びに行ったとき。正直この時のことは、新潟駅についてすぐバスだかタクシーに乗って港に行ったため、よく覚えていない。
二度目は2年前のRYUTist10周年ライブの時で、当時コロナの流行も今よりずっと深刻だったし、自分も実家じゃないところに居候していたため、新潟に行ってきますなんてあまり公に言えなかった。だから、朝4時に岩手を出発して高速に乗り新潟へ、帰りは深夜2時に帰宅するという弾丸旅行だった。
それらの経験を踏まえ、三度目となる今回は休みを取って3日間、新潟に滞在することにした。4月1日は古町というRYUTistのホームである商店街のど真ん中で無料ライブ《古町前夜祭》を行い、2日には新潟テルサという大きな劇場で大々的に卒業ライブを行うことになっていた。その翌日の3日は軽く新潟を観光して、ゆっくり帰ろうという算段だった。

新潟には新幹線を使って行ってもいいのではという案もあったが、今回はあえて車で運転していくことにした。金銭的な問題もあるが、自分で運転していく時間が、きっと自分に卒業ライブの心構えをさせてくれるだろうと期待してのことだった。

当日は朝8時に盛岡を出発。古町の無料ライブが16時半からなので、6時間くらいかけても充分間に合う。東北自動車道を南下するのはよくあるがせいぜい仙台まで、それより南は本当に2年前の10周年ライブ弾丸旅行以来だった。
仙台を超えると、徐々に高速道路沿いの桜が咲いているのが見えた。この時期岩手はまだ開花しておらず、否が応にも自分が遠出していることを感じさせた。福島あたりで撮った写真には、満開の桜とどこまでも広がる青空が写っている。
郡山まで下り、そこから磐越道に入った。東北自動車道ばかり利用していると南北の移動なので、横からの日差しを受けながら高速を走るのは珍しい。また、磐越道はときどき1車線になることがあり、東北自動車道の広い高速道路しか知らないとなかなか緊張感があった。
すごく晴れていた。パーキングエリアで休憩をはさみつつ、最終的に「新潟」の文字が見えてきたときには胸の高まりが止まらなかった。


新潟に着き、会場近くの古町6番町あたりのパーキングに車を停めて飛び出した。時間は午後2時前、まだ開始までは充分時間があったが、7番町商店街モールの中央に出現した特設ステージの前には、既にファンのみなさんが集まっていた。


僕は知り合いを探し、すぐに見つけることが出来た。きりやまさん―――先週の仙台公演で初めてお会いできたが、柴田聡子さんの話題を通して以前から交流していて、今回は忙しい中色々な奇跡が重なり今日だけ来られたのだという―――だった。この日の無料ライブにはゲストとして、RYUTistが公式お姉ちゃんとして慕っている柴田聡子さん、音楽家の君島大空さん、それから一ファンとしてRYUTistと交流があり、地元に招いたりもしている北海道は西興部村の皆さんだ。きりやまさんは柴田聡子さんの熱烈なファンなので、きっとライブ前にもリハーサルで出てきてくれるのではないかと期待していた。その他にも待ちの間に何人かのファンの方とお話し出来た。同じく仙台で知り合ったかずぽんさん(北海道)、仙台でキーホルダーを譲ってくれたたっち~さん(関西)、色々な人に声をかけて交流している中で今回たっち~さんから紹介を受けたミドリムシさん(関西)。仙台で出会った人や全国各地から来た人と、RYUTistのホームである新潟の古町で集まれたことが嬉しかった。

思った通り柴田聡子さんやRYUTist、そして西興部村の皆さんの「きっと、はじまりの季節」リハーサル演奏があり、開始前からうるうるしていた。いよいよ始まるのだ!ここ古町では、年2回『古町どんどん』というお祭りがあり、RYUTistはいつもそこでライブを行っていた。去年の古町どんどんでもライブは行っていたが、実は当時まだ乃々子さんが卒業を発表しておらず、4人で迎える最後の古町どんどんだということをファンにも伝えられていなかったのが心残りだったという。このライブはそこも含めて本当に最後のののこさんの古町ライブだということで、無料ライブにするためにたくさんの方や企業が協賛していた。もちろんRYUTistは地元に愛されているグループだと思う、だけどここまでやってもらったのは、ひとえに乃々子さんの卒業を見送りたいという皆の優しさだったと思う。

なんだかんだ開始まで2時間以上あるところ、どこかカフェなんかに行きましょうかなどと言いながらも、結局ファン仲間と立ち話をしていたら開始時間になってしまった。ステージ前には椅子が並べられたスペースがあったがさすがに限りがあり、その後ろに立ち見席が設けられた。僕は立ち見席の2列目あたりに、きりやまさんと一緒に陣取ることが出来たため、ステージがよく見えた。


最初に西興部村の皆さんによる『きっと、はじまりの季節』の演奏。西興部村というのは北海道にある人口1000人程度の村だが、そこの浅野さんという方が昔古町どんどんでRYUTistのライブを見て衝撃を受け、それ以来毎年RYUTistを招待して交流していたという。ここ数年はコロナのこともあり行けていなかったが、今回乃々子さんの卒業ということもあって、この冬再訪が実現したということだった。
『きっと、はじまりの季節』はアイドルソングというよりはRYUTistのアーティストとしての側面が強く出ている美しい曲で、個人的に歌詞なども含めて好きだ。それを、西興部村の子供から大人まで、いろんな人が吹奏楽で演奏している雄大なアレンジになっている。今回も、このために10人以上が西興部村から来ていたらしく、子供たちも一生懸命練習した楽器を丁寧に鳴らしていてとても良かった。一番は演奏だけだったが、二番からはRYUTistもステージに上がり歌唱した。この西興部村バージョンは、Youtubeに上がっていたり西興部村ライブでは披露されたそうだが、まさか新潟で聞けるとは思わず、感激してしまった。

続いて、「RYUTist公式お姉ちゃん」柴田聡子さんの出番。
柴田さんはリハーサルの時点で、RYUTistに提供した楽曲『ナイスポーズ』『オーロラ』もセルフカバーを披露してくれていて、既に感動で胸いっぱいだったのだが、本番ではその第一声に度肝を抜かれた。
《新潟県、新潟市、中央区。全長4.29キロの東港線沿いに建つ、FM新潟の一室から…》
これは、柴田聡子さんの曲『ラッキーカラー』もエンディング曲として使わせてもらっている、RYUTistのレギュラーラジオ番組「東港線もどかしルーム」の最初の口上で、柴田聡子さんも毎回聴いているということだったから、ラッキーカラーを演奏してくれないかなというのはみんなの希望だったのだが、まさか前口上を完コピしてくるとは思わず、あまりの驚きに僕の口からは「ヒェッ…」みたいな変な声が出てしまった。そのまま待望の『ラッキーカラー』になだれ込むと、期待に真っ先に応えてくれた柴田さんのサービス精神と美しい歌声、そして大好きな曲を生で聞けていることへの感動から、僕は大粒の涙を流してしまった。その後もさすがライブ慣れしているだけあって、柴田さんは様々に会場を盛り上げてくれたが、アイドル現場では曲に乗って手拍子をすることがあり、柴田さんのライブではなかなかそういうことが無いため、戸惑っている様子だったと柴田さんウォッチャーのきりやまさんは語った。個人的にはその前のリハーサルではあったが思い入れの深い曲『24秒』もやってくれて、本当に柴田さんには感謝しかない。

お次は君島大空さん。
寡聞にしてあまりよく存じ上げなかったのだが、RYUTistに対しては新機軸の曲『水硝子』と、最新アルバムの爽やかな一曲『朝の惑星』を提供されている。また、その中性的な歌声もまた美しい。柴田聡子さんがどちらかというと一般的に言う所のライブの盛り上げ方をしてくれた手前、一体どんなライブを見せてくれるのか。
ロングコートに雪駄のようなラフな出で立ちでステージに立った君島さんは、壇上の椅子に腰かけると、持っていたギターをおもむろにかき鳴らし始めた。その音を、足元のエフェクターで重ね、ゆがませ、一体どういう作りなのかわからない複雑な音の世界を作っていく。そして歌いだす、その様子は圧巻だった。
正直それが超絶テクニックだったかどうかはわからない、ただわかったのは、君島さんはMC中でもずっとギターを鳴らし続けていて、呼吸のように音楽を鳴らす中で歌っているのだということだった。鳥肌がすごかった。
『水硝子』をセルフカバーしてくれたときは、曲本来のポテンシャルをまざまざと見せつけられた気分だった。柴田さんの『ナイスポーズ』『オーロラ』でもそうだったのだが、確かにRYUTistはそれらの楽曲を彼女たちのものにして歌っている。それはそうなのだが、作曲者がそれを歌ったとき、そこに本来の歌に込めた意図をこれ以上ないほどに表現しており、それはまるで別の曲のように聴くものを圧倒し、新しい発見をさせるのだった。
中性的な声と華奢な容姿の君島さん、しかし観客の拍手や手拍子が高鳴ると、急にニヤッと笑って挑戦的にテンポを上げたりしてライブを楽しんでいるのが印象的だった。

そしていよいよRYUTistの番が来た。実はこのライブ、最初に「声だしOK」ということがアナウンスされていた。ここ数年はコロナにより、ファンの主なレスポンスの仕方が手拍子くらいになってしまっていたが、アイドルのライブというのは本来ファンの大きな応援が飛び交うもの。手拍子だけの方が静かに曲を楽しめるのも実際のところだが、コロナ前からRYUTistを応援しているファンにとっては、乃々子さんの卒業前、最後に声を出して応援出来るというのは本当に嬉しかっただろう。実際、ライブ後のインタビューで乃々子さんも「皆さんの声を聞けるとは思っていなくて、嬉しかった」と語っている。
商店街モールの中心に設けられた立ち見席にはおそらく数百のファンの人がいて、コロナ前からのファン、コロナ以降のファンがごちゃごちゃになっていたと思う。自分はコロナ以降にRYUTistのファンとなったため、手拍子しかしたことがなかったが、今回のライブが始まってみると「コール」と呼ばれるメンバーの名前をタイミングよく叫ぶような、そんな活気あふれるファンの声が所々にあり、「これが本来のRYUTistのライブだったんだなあ!」とじんわりしてしまった。一方で、コロナ以降の曲では(ぶっつけでも出来たと思うがあえて?)コールが入らず、そうした社会情勢がこういうところに表れていて面白かった。

また、もうひとつ特筆すべきことがあった。今回スペシャルゲストがもう一組いるということが事前に告知されていたが、本当にそのときまで誰かはわからなかった。一部では、同じく新潟の先輩アイドルである「Negicco」なんじゃないかということが囁かれていた。NegiccoはRYUTistにハマる前から僕も好きなグループで、近年はメンバーそれぞれが結婚・出産を経験したことで、事実上の休止状態になっていた。果たしてそれが、今回来てくれるものだろうか…?

来てくれたのだ!!!!!

半分わかっていたとはいえ、実際にその光景を見て本当にびっくりした。
活動再開にNegiccoの3人が集まることだって、本当は自分たちのライブで一番にやりたかっただろうに、乃々子さんの卒業を祝うためだけにこうして来てくれたことは感謝の極みでしかない。


さらに、Negiccoと古町といえば『Falling Stars』という思い入れの深い曲がある。この曲は「ほしのふるまち」という歌詞で古町を表現したもので、その後に古町を中心に活動を始めたRYUTistが出てきたことには、内心複雑だったかもしれない。それが、2020年にNegiccoが主催した配信ライブ「NEGiFES」でコラボ曲としてRYUTistと一緒に歌われたとき、すごく感動したのを覚えている。それを今回目の前でやってくれて、いつも通りほんわか楽しくかわいいNegiccoと、それを慕うRYUTistのみんなの仲の良さ、そしてそんなNegiccoが肩を押して一番先頭に出してくれた乃々子さんという構図で、本当に涙が止まらなかった。いまこれを書いていても若干泣きそうなくらいである。たった一曲だったが、幸せな時間だった。

Negiccoがステージから降りても、何曲かRYUTistのライブは続いた。ここ一番で披露される曲『Beat Goes On! ~約束の場所~』も当然出てきて、僕は10周年ライブの最後でこの曲で大泣きしたのだが、今回は本当に最後なんだ、という感動と苦しさの間で複雑な胸中だった。この曲だけ撮影可能だったのだが、僕はとにかく推しの姿を目に焼き付けておきたくて、撮影はしなかった。
またファンが思っていたのと運営が意図していたタイミングがずれたため若干笑いながらもアンコールとして挟まれたこの日何回目かの『ナイスポーズ』、そしてライブが終わり、ゲストやみんなの挨拶も終わってからの観客のアンコールによって、急遽ダブルアンコールとなった『ラリリレル』。これが本当にすごかった。
『ラリリレル』はグループ初期からあった曲で、「来週この場所でまた会おうね」という内容の、毎週ライブをしていたRYUTistならではの代表曲だ。あまりにも毎回この曲で終わってしまうことからか、途中から「最後の曲に『ラリリレル』を固定するのはやめます」という異例の扱いになってしまったらしく、コロナ以降ファンになった僕のようなファンにとっては、あくまで「RYUTistの過去曲のひとつ」であったのだが、ここに来て急に特別な意味合いを持ってしまった。

「またあおね 次の日曜日
 きっとここで過ごそね」


来週の日曜日には、もう、推しはいないんだ…


そう思うとめちゃくちゃに泣けてきてしまって、僕は人目も憚らず泣いた。





実際には、次の日曜日に特典会が行われて推しと会えたのだが、それはまた別の話。


古町のライブが終わり、直後にそこでまたひとドラマあったのだが、そこは私から語ることではなさそうなので割愛させてもらいたい。

とにかくいいライブを見た、そういう気持ちでその場を後にした僕ときりやまさんは、またそこで出会ったミ谷一二ミさん(関東)と一緒にRYUTistオタの聖地とも言えそうなお店「かき忠」さんへ。ここはRYUTistメンバーや関係者も訪れるお店というだけでなく、店主さんもRYUTistを推しているということで、新潟に行ったら必ず行ってみたいお店だった。自分はあまり予約するという行動原理が無く、今回きりやまさんに予約してもらっていたため、無事入ることが出来たのだった。
ミ谷さんは別席を予約していたため、きりやまさんと二人で今日のことを思い返していると、そこにまた見慣れた人物が入ってきた。ライブ前に知り合ったミドリムシさんである。店員さんに「同じオタ同士相席でいいですか?」と言われ、どうぞどうぞと同席してもらった。
料理は抜群に美味しく、魚介類からカキフライまでぷりっぷりだったのは覚えているのだが、オタトークに夢中になってしまったためここでの描写はまた割愛させていただく。
乃々子さんの卒業ライブとしては翌日が本番なのだが、きりやまさんは元々今回の新潟の日程に来られないはずだったようで、いろいろ奔走した結果奇跡的にこの日だけ来られたらしい。それでも、柴田聡子さんファンとしては本望だったようで、今回のライブを最高に楽しんでいたようで本当に良かった。
他、別席で飲んでいたオタクの方と交流させていただいたりして、本当に楽しく嬉しかった。自分のことは3年前とはいえコロナ後に入ってきた新参ファンだと自認しているので、古参の方からも温かく迎え入れてもらうことは非常に嬉しいのである。

かき忠さんを後にし、きりやまさん、ミドリムシさんとそれぞれのホテル方面へ歩き出す。ここで、ミドリムシさんが聖地巡礼オタクだということが発覚し、道中にあるRYUTistゆかりのプチフォトスポット巡りになってしまった。
今まで聖地巡礼というのはほとんど経験がなかったが、実際に連れて行ってもらうと自分のテンションも上がり、とても楽しいことがわかった。
また、聖地とは違うが、町中でRYUTistがイメージキャラクターを務める大きな看板があって、真夜中に嬉しくなって三人でシャッターを切ったりした。

そういった楽しい経験もしつつ、ホテルへ。
いよいよ明日は推しの卒業ライブ。ここにきて一人になり、グッとさみしさがこみ上げてくる。この一週間前、仙台でのライブでは、楽しそうな推しの姿を見て自分の心がバラバラになってしまいそうな辛さを覚えていた。

果たして明日のこの時間、自分は何を考えているのだろうか。
心配もよぎるが、明日を万全の状態で迎えるため、僕は意識して眠りについたのだった。

2日目:


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