見出し画像

推しが卒業するということ

新潟のアイドルRYUTistのメンバーで、僕の推しであるリーダーの佐藤乃々子さんが4月でグループを卒業するということが発表された。

ネットでこの話を見たとき、目の前が真っ暗になって、漫画みたいに膝から崩れ落ちそうだった。

何かの予感はあったが、それが何なのかはわからなかった。
そもそも先月のライブツアーで違和感を感じていたのは、「乃々子さんは体調不良なので、ライブには頑張って出ますがそれ以外の特典会などには出ません」というアナウンスだった。もちろんそれが嘘だとか疑っていたわけではないが、ただ真面目で正直な乃々子さんのことだ、もしかしてそれ以外にもファンの人に聞かれたりしたら嘘をつけないような、何か重大な事実があって、そのことで表に出られないんじゃないかと僕は勘繰っていた。彼女は何年か前、飼っていた子猫の体調が悪くなり、病院に連れて行ったというところまではSNSに投稿していて、その後のライブでファンの人に「猫ちゃん大丈夫ですか」と言われ「大丈夫です!」と明るく答えていたが、実際には既に子猫は亡くなっていたというエピソードがあった。その時はファンに対し嘘をついていることに罪悪感を感じつつも、ライブを楽しんでほしいという一心だったという。今回の件はそれに比べると、もう嘘をつけない段階までも来ているような、そんな深刻な話なんじゃないかと思っていた。

ただ、実際に卒業が発表され、メディアから『RYUTistリーダー佐藤乃々子 芸能界引退』の見出しが出されると、それは全然予想していない方向の事実だった。グループ引退ならまだ、今後もソロでメディア出演なども期待出来たのかもしれないが、芸能界引退というのは、地方の僕には現実には二度と彼女の姿が見られなくなるということを意味していた。
彼女の体調不良は4年前から徐々に悪くなっていて、コロナ前には既に”引退”という言葉が浮かんでいたようだ。ただ、実際にコロナ禍になってしまってそういうタイミングを逃してしまったし、そのまま4thアルバム「ファルセット」の発売や10周年、そしてラジオのレギュラー番組もスタートしてしまっていた。僕がRYUTistに出会ったのは2020年春だったので、僕が乃々子さんを推し始めたときには既に引退を考え始めていたということになる。引退を考えていた人を推し始めたこと、これを皮肉という人もいるのかもしれない。

推しがアイドルだった場合、推し事の終わりにはいくつか種類がある。
最悪なのは死別だ。推しの死という形で迎える最後は地獄というほかない。
グループの解散や卒業というのは現実的な話だ。卒業の仕方もいろいろあると思う、アイドル自身の家庭の事情や身体の理由、勉強に専念、夢のために留学、病気、怪我など。
もしかしたら自分自身がファンを卒業するという現象もあるかも知れない。単純に推すことに疲れたから、飽きたから。推しが結婚したりスキャンダルを起こして失望したから。
パッと思い浮かぶのはこんなところだが、多分想像もできないような別れがこの世界では繰り返されてきたのだろう。

そう考えると、今回の乃々子さんの卒業はまだ健全な方だ。
幸い、体調不良と言っても(詳しい症状はもちろん公開されていないが)ライブに出られるくらいには身体も動くのだろうし、これ以上悪化する前に卒業された方が、結果的に後でファンを悲しませないと思う。
なんとなくまだ卒業の事実にくらくらしながらも、僕はそう自分に言い聞かせていた。大丈夫だ、僕は冷静だ、涙だって出てないし納得している(と自分では思っている)。乃々子さん自身の未来のためにもこれは仕方ないことなんだ。

そう思っていたとき、メンバーのともえさんがInstagramで今回の件について書いていた。

『寂しいし、こわいよ。
 でも、毎日元気で毎日幸せでいてほしい。
 それが一番の想いだから、のんちゃんのことを応援します。』

これを読んだとき急に涙が出てきて、すごく自分が恥ずかしくなった。
自分のことしか考えてない自分。自分を守るために納得できる言葉を探していた自分。

本当のファンだったら、推しの幸せを願わなきゃいけないのに。
自分って本当のファンじゃないんだろうか?
こんな浅はかな自分がアイドル推してる資格なんてないのかなあ?

でも、そんな卑屈になっている暇もないくらいにともえさんの言葉は真っ直ぐ僕の心に突き刺さってきたし、自分が探していた言葉ってこれなんだろうなって思えた。

『推しがどこかで元気に暮らしていてくれるだけで、幸せ。』

いつか自分で言っていた言葉だ。
改めて、これに偽りがないと思えるなら、卒業まであと二か月の間、乃々子さんとRYUTistメンバーを追いかけていこうと決めた。

他のメンバーはそれを聞いたとき、どう思ったのだろう。
卒業の発表の翌日、ファンクラブで乃々子さんからの言葉を直接伝えるライブ配信があった。最初の画面にはプロデューサーやスタッフの方が映っていた。そこは乃々子さんのお気に入りのお寿司屋さんのようで、やがて乃々子さんが入ってくる。緊迫した配信になるかと予想していたが、そのときの乃々子さんから受けた印象は”安堵”だった。11月の5thアルバム発売から12月までの全国ツアー、悪化していく体調を押してなんとか最後まで駆け抜け、4年間メンバーにも言えずに(プロデューサーにはだいぶ前に打ち明けていたらしい)いた秘密をやっとファンに報告したこと。そして、(自分はうまく反応できなかったけれど)ファンのみんなが温かく理解を示してくれたこと。
なんとなくいつもよりか細いような乃々子さんの声を聞いて、僕は良いとか悪いとかじゃなく何も言えなかった。ただお寿司が美味しそうですねとか、プロデューサーの手がなんか綺麗ですねとか、他愛もないコメントをしていたのだった。

別に気持ちが定まったわけじゃないけど、美味しそうにお寿司を食べるののこさんを見ていて、なんとなく受け入れつつある自分もいた。

その週末の土曜日、メンバーのむうたんバースデーのアコースティックライブがあった。
一昨年、昨年も開催されていたが、それぞれ無観客での開催。今年は初めての有観客でありつつ、配信もしてくれたので僕も見ることが出来た。
そのライブは幸せそのもので、これまでの曲のアコースティックアレンジだけでなく、11月発売の5thアルバムの楽曲も新しくアレンジされ、驚きと新鮮さを味わうことが出来た。曲を聞きながら、こうしてののこさんが参加するアコースティックライブも最後なんだなと思った。それは悲壮感じゃなくて、ののこさんが最後まで笑顔で駆け抜けたいという想いも伝わってくるし、正面を真っ直ぐ見つめているメンバーの顔を画面越しに見つめて、みんなが前に進み続けているのだと感じた。

ののこさんが芸能界を去ってもRYUTistは続いていくし、僕の生活も続くし、ののこさん自身もどこかで元気に暮らしていくのだ。
そう考えると、なんだかいつまでもうじうじしているのも野暮な気がしてきて、”あの人がいない未来”じゃなくて、ただただ未来を楽しみにしていってもいいのかも知れないと思うようになった。

僕だって寂しいし、こわい。
でも、推しには毎日元気で毎日幸せでいてほしい。
僕もそう思えるから、ののこさんのことを最後まで応援します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?