24秒だけ数えて
※この記事は、地域活動団体しわりりとして更新している情報番組「しわりり ひやまの どすこいラジオ」第21回の《今週の推しが尊い》コーナー内で、ひやまが紹介した柴田聡子さんの楽曲『24秒』についての考察まとめと訂正・追記です。
ネタバレになりますので、もしよろしければ、先に動画の方をご視聴いただけると嬉しいです(15:00以降)。また、『24秒』は柴田聡子さんの公式チャンネルでも公開されていますので、ぜひ記事を読む前に聞いて頂けると楽しいと思います。
『24秒』についての話の発端はこうです。
事前情報として、「バスケソング」ということを実は知っていました。
すると、楽しみにしていたのは「バスケの試合」、悲しみとは「試合残り時間24秒の間に、応援しているチームが相手チームから逆転劇をくらってしまい、ガッカリしている」という感じの想像が出来てしまい、一応なんとなく筋は通っているような物語が出来てきました。それにしては、『世界はきっと/泣いてくれてるはず/私が家に帰って突っ伏すまで』という、ちょっとオーバーでコミカルな世界観に思えてきます。
しかし、解釈としてそれでいいのでしょうか。それに『24秒』という数字が、なぜそこまで語り手にとって印象深い数字なのかがまだ釈然としません。
そこで、よりこの曲の解像度を上げるためにインタビューなどの記事を掘り下げることにしました。
まずは『柴田聡子 24秒』で検索。
すると以下のサイトで掲載されている、『24秒』が収録されているアルバム「ぼちぼち銀河」のインタビュー記事にたどり着きました。
この記事の中盤で、『24秒』についてのヒントが書かれていました(柴田聡子さんの言葉はいつもヒントという印象で、詳細を語ろうとすれば出来るのだけど、あえて全部語らずに核心の部分だけしか教えてくれないので、真相がわからなくもあるし、一方で妄想が捗るということでもあります)。
なんということでしょう。この曲は私がファンである新潟のアイドル、RYUTistとも密接に関わっていたのです!
RYUTistの曲に「ナイスポーズ」というファンの間でも人気が高い名曲があるのですが、この曲を作ったのは柴田聡子さんで、この記事で触れている楽曲はこの「ナイスポーズ」で間違いないようです。
そして、「コービー・ブライアント」という人名が出てきました。これが『24秒』を読み解くうえで、かなりの鍵であろう予感がしてきます。バスケには詳しくないので存じ上げませんでしたが、たぶんバスケファンならこの時点で大体のあらすじが読めたのではないかと思います。
ここまでの情報で読めたのはこんな感じです。
楽しみにしていたのは「RYUTistの歌入れ」で、突然の悲しみというのは「コービー・ブライアントの訃報」。歌詞に『止まれよ/ああ止まれよ/これ以上前に進まないで/車だって/そうしたくって/してはいないって/頭ではわかってたって』とありますが、止まって欲しいというのは『24秒』という言葉に代表されるような時間・時計の針の他、新潟に向かう途中の車ということになりそうです。
コービー・ブライアントというのは物凄い功績を残したスター選手のようで、バスケファンにとっては常識ではあるようですが、一方で海外の出来事でもあり、悲しいのはもちろんですが同時に『あまりにも遠いとこの話』でもあります。
「RYUTistの歌入れ」というのは、もちろんメンバーとのコミュニケーションも取らなければいけないでしょうし、自分が作った楽曲をいよいよ歌ってもらうんだ!という高揚感もあったと思います。「相手がいる・目の前の作業」なので、その場で「実はコービー・ブライアントが亡くなったって聞いていまショックで作業出来ません…」ということを言えるような状況ではありません。心の中ではショックを受けつつも、あまり表に出さないように柴田さんも務めていたのではないでしょうか。
最初よりかなり歌詞の状況がわかってきました。ですが、まだ『24秒』の意味が判明していません。おそらく、コービー・ブライアント自身にまつわるエピソードがあるのではないでしょうか…?
そこで、次に検索したのは以下の通り。
『コービー・ブライアント 24秒』
すると予想通り、こんな記事がヒットしました。
あぁ…。そうなんだ…。
ここまで来て歌詞の意味がほとんどわかりました。
「24」というのはコービー・ブライアントの背番号。『24秒数える』のは彼に捧げる黙祷の時間…。
というわけで、色々な謎が解けました。
RYUTistの歌入れに新潟へと向かう道すがら、柴田聡子さんはコービー・ブライアントの死を知りました。ウキウキしていたのにとてもショックで、でも、同時にそれは目の前の楽しみと比べてあまりにも遠い世界の話。とてつもなく悲しいのだけれど、でも一方でどこか冷静に楽しみを優先してしまう自分もいて、それに若干の罪悪感すら覚えます。
何より、これから会うアイドルの子たちに暗い顔を見せたくない。
柴田聡子さんは、すべての作業が終わって家に帰るまでは、出来るだけ悲しみを表に出さないことを決めます。それはコービーには申し訳ないことではあるのだけど、せめてたった24秒だけでも、今は黙祷の時間を捧げるから…。
これまでの情報で想像できたストーリーは大体こんな感じです。
動画で話したときは「24秒の時間すら取れないので、帰って突っ伏してから24秒黙祷する」と言っていたのですが、考え直して「帰ってから存分に泣くので、いまは24秒の黙祷で勘弁してくれ、コービー」という方が自然かなと思うようになりました。
以下は動画でお話しした以外に、歌詞について考えた内容です。
結構ここには無常感・無力感を感じていて、24秒を数えることがコービーのための黙祷だと言いつつ、実際にはそこで奇跡も何も起きないし、ただ黙祷していると言っている側の自己満足にも思えるようにも取れます。それでも、ただただ24秒を数えることしか出来ない…。そんな悲しさがにじみ出ているように感じます。
多分金の糸の下りはダブルミーニングになっていると思っていて。
ひとつは、現実の事象として、全然関係ないことをコービーが繋げてきたことによって、すべてが運命である・コービーが運命的な力を持ったスターであると今まで思ってきたこと(実際にはそのように見えていただけで、コービーも現実には事故に巻き込まれれば亡くなってしまう一人の人間だった)。
もうひとつは、バスケの点数を次々に得ていくバスケットコート上でのコービーの動きが、まるで金の糸のように光って見えたのかなと。
まさにバスケソングだからこそ出てきた歌詞のように思います。
続く歌詞も同じような「運命と思っていた・すべてがコービーに繋がっていたと思っていたけど実際にはそんなことがなかった」という落胆。
ここがどうしてもわかりません。
悲痛な叫びにも聞こえるエモい部分なのですが、『どうしてここでこんなに』…こんなに、に続く言葉は何なのでしょうか。
これまでの流れを大事にするならば、「彼の周りのすべてが繋がっていると思っていたのに、コービーはこれからも偉大な功績を残していくスターだと思っていたのに、どうして亡くなった今になって、こんなに」現実は無常なのだろう、とか?
うーん。ぜひ他の方の解釈も聞いてみたいです。
最後になりますが、ラストの繰り返し部分です。
これは前述した目の前の「RYUTistの歌入れという楽しみ」が終わるまで待ってくれ、ということでもあるし、現実の忙しい諸々が片付くまで待って、という一般化した形でも取れます。
とにかくいまは24秒祈ることしかできないから…。
切実な終わり方ではありますが、個人的にはその続きがあると思っていて。
この曲が収録されているアルバム「ぼちぼち銀河」発売後のライブレポを見たりすると、セットリストの最後にこの曲を歌っているようなライブもあったようです。
曲自体もすごくいいのですが、柴田聡子さんの活動がこれからも続いていくことを考えると、当然ライブでこの曲が歌われることも増えていくと思うのです。
そのとき、この曲に込められた意味を考えると、柴田聡子さんがこの曲を歌うたびに、コービー・ブライアントに祈りを捧げていることになるんだろうなあと。
亡くなった人の記憶は時間が経つにつれ薄れて行ってしまうものですが、この曲が歌い続けられていく限り、故・コービー・ブライアントに捧げられた思いが、柴田聡子さん自身やこの曲の真意を知るファンの中に思い出されるのだろうなあと思ってしまうのでした。
ただただ、24秒だけを数えて。
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