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おいしい魚をこれからもいただくには

"おいしい!"と心から感動することが、食と、食を支える環境を守り続けようという行動の出発点になると、ぼくは考えています。

新鮮魚介の料理教室

先日、foodskoleのオープンカリキュラムで、対馬の海の幸をおいしく味わう料理教室が開催されました。講師は合同会社フラットアワー代表の銭本さんと、フーディストリンク代表でシェフの高田さんです。

ぼくは当日予定が合わなかったため、収録された動画を後から見る形で参加しました。

作ったのは、

・鰤のカルパッチョマーマレードソース

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脂の乗った鰤には柑橘系のさわやかな香りがよく合います。ぼくはマーマレードソースに、手作りデコポンジャムを使いました。

・サザエのアヒージョ

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たっぷりのオリーブオイルで。今回はシメジとエノキを入れました。

・穴子のサラダ

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高田さんが動画の中で使っていた赤ピーマンが魅力的で真似したかったのですが、残念ながら手に入らず。代わりに緑のピーマンを使い、彩りのためにトマトも入れてみました。

以上の3品です。

ぼくにとっては「痛風になってしまうんじゃないか!」と心配になるほど、普段はあまり食べない、贅沢な食材です。銭本さんこだわりの技術によって、新鮮さを保たれたまま届けられました。

そんな食材を最大限においしく味わう料理を、高田シェフに導かれて作っていきます。ぼく自身も、素材を最大限に活かしたい!との思いで手作りのデコポンジャムを使ったりと工夫をしました。

ぼくが現在住んでいる大学の寮では、コロナ感染対策のために個室で食事をとらなければなりません。友達と食べたらもっとおいしいのになあと思いつつも、自分にできる最大限で味わおうと、いつもよりも多めに噛んで、じっくり時間をかけていただきました。


この教室の主題

この教室のタイトルは、『漁師と料理人と考える 「この先もおいしい魚が食べたい!」』でした。教室の冒頭では、銭本さんとfoodskole校長の平井さんから、水産業界の現状について触れられていました。

今、海には1970年代と比較して49%の海洋生物しかいないこと。
にも関わらず、漁獲量は世界全体で見ると増え続けていること。

原因としては、魚の獲りすぎで、魚が生まれるスピードが人の消費に追い付かなくなっていることや、魚が住めるような環境がなくなってしまっていることなどが考えられるそうです。
今後もおいしい魚をいただくには、私たちはその魚を取り巻く環境問題に向き合っていかなければなりません。

おいしい魚を自分で調理して愛着を持ったり、実際に食べてみて感動したり、そんな体験を入り口として、環境問題に向き合ってみよう。
この教室の裏にある思いが伝わってきました。


食は自然と人の中間点

食を楽しむことは、環境問題について考えてみる入り口となります。
自然環境は私たちの生活の基盤であり、その基盤が脅かされている現状があるにもかかわらず、都市に住んでいると、それを実感し行動に移すことは難しいかもしれません。

けれど食は、自然環境が私たちの生活の基盤であることを痛感させてくれます。

生物としての魚だけでなく、魚を”食べること”について考えるとき、単に魚が自然の循環の一部であるだけでなく、人もその大きな循環の一部なのだということに気づくことができます。

人も含めた生物は、自然にあるものを食べて、それをエネルギーとして生き、使い終わったら排泄します。この一連の流れの中で、どこからどこまでがある個体で、どこからどこまでがその外側の環境なのでしょうか。

お腹の中に入った食べ物は私の一部?
朝のうんちはもう私の一部じゃない?

考えてみるとおもしろいです。
このように、食べること(と消化すること・排泄すること)は、人という個体と自然との中間点であり、人と自然に明確な境界線がないことを気づかせてくれます。


捨てたゴミが食卓に返ってくる。

だからこそ、おいしいご飯を食べるためには、その食材を取り巻く自然の循環にまで思考を巡らせる必要があります。

海の幸で、いくつか例をあげてみます。
例えば、ぼくの大好きな料理に、カレイの煮付けがあります。カレイは海底で生活するのですが、実は海の底には工業廃水などによって海の放たれた重金属が沈殿しています。カレイの体内には、摂取された重金属がたくさん溜め込まれてしまっているそうです。

マイクロプラスチックも海での大きな問題となっています。今回いただいた鰤のような大型の魚は、食物連鎖による生物濃縮によって、プラスチックをはじめとした化学物質を体内に多く溜め込んでいることが考えられます。

このように、人も含めた自然は循環しているから、人の自然への働きかけが、結果的に食という形で人に返ってくるのです。おいしいご飯を食べるためには、料理の段階だけでなく、そのもっと前、私たちの生活の仕方から変えていく必要があります。

魚の場合も同じで、おいしい魚を食べ続けたいのなら、海をきれいにする。きれいな海のためには、きれいな街、森…が必要というようにさかのぼることができます。

"おいしい!"から始まる行動の変化

けれど、上に書いたようなことを、どれだけ頭で理解しても、実際に行動に移すことは難しいのだと思います。

頭での理解で終わらずに、実践に移行するのには、何か自分事としてとらえられるような"きっかけ"が必要なのかもしれません。世の中にある社会問題に当事者意識を持って向き合い始めたような人たちも、自分自身が当事者であるか、または知人や身内が当事者であることがほとんどです。

環境問題について考えるとき、ぼくが食に期待するのは、その親しみやすさです。食は、生きていく上で誰でも避けることのできない営み。みんなにとってエッセンシャルな存在です。だから、その日々の食への意識が変わることは、

"環境問題"っていうと、とっても堅苦しくて難しそう。けれど、"おいしいごはん"という、みんなにとって大切で、あったかいひびきのあるこの言葉が、堅苦しい問題への入り口になれると思うのです。

人が自然にあるものを食べて命をつないでいることは、当たり前のことのっようですが、あらゆるものが出来上がった商品として店に並んでいるような都市に住む文明人は、つい自然と自分たちの存在を切り分けて捉えてしまいます。そんな文明人にとっては、その本来あるつながりを改めて感じるきっかけが必要。食は、そのきっかけになりうるとっても身近な営みなのです。

「ああ、おいしい!」
そんな素朴な小さな感動が、食と、それを支える環境に対する関心を生む、大きな可能性を秘めています。

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ごちそうさまでした。

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