見出し画像

夫が脳梗塞になったときの話 その10

退院への道

切り刻んだ食事ではあるが、固形食が食べられるようになってから数日後、ようやく夫の鼻のチューブが抜かれた。
透明だったチューブだが、体内に入っていた部分は茶色く色が変わっていた。これが夫の命をつないでいたんだと思うと感慨深く、同時に恐ろしくもあった。


病院には患者さんの食道を兼ねた談話室があったけれど、夫は決してそこにはいかず、食事は自分の病室のベッドの上で取っていた。
あるとき、向かいのベッドのおじいさんが、食事を喉に詰まらせて、看護師さんやお医者さんが集まる大変な事態になってしまったらしい。
そんな中、夫が食事中だったことに気づいた看護師さんは、「気にしないで、食事してて下さいね」と優しく言ってくれたそうだ。いや、普通無理だと思うけれど。
おじいさんは、順調にいっていたリハビリが、その一件でリセットされてしまったようだった。誤嚥の怖さを思い知った。

体が身軽になり、食べ物も食べられるようになると、夫は
「早く退院したい」
とばかり言うようになった。
体に後遺症は残っているものの、病院でのリハビリで元に戻せることと戻せないこととの線引きをしたのかもしれない。
もちろん、仕事のことも気になっていたに違いない。
ちょうど年末年始の休みに重なったこともあり、まだ年休という形で休みも取れていたが、早く会社に戻らなきゃと焦り始めたようだった。

好きな時間に好きなだけお風呂に入れないというのもストレスだったようだ。入浴の曜日も時間も決められ、万が一のことがないように、初めの頃はスタッフがドアの前で待機。
髪を洗うと、抜け毛がすごいんだよ。と都度聞かされた。

理学療法士さんには、「そろそろ退院ですよね?」と念を押し、担当の先生には「早く退院させてください」と直談判。

そしてついに、熱意に押された先生から退院の許可をもらった。
救急車で病院に運ばれてから約1ヶ月が経っていた。
そりゃもう本人だけじゃなく周りも大喜び!

退院前に、栄養士さんから今後の食事の注意点などをわたしも一緒に聞いた。
塩分少なく、脂少なく。お酒ほどほど、量ほどほど。
わかってた、わかってた。
今までなんとなく意識していたつもりではあったけれど、重みが違ってくる。

そして、いよいよ退院の日がやってきた。
1ヶ月ずっと替えの下着ばかりを運んでいたので、外出着を運べるというのはとっても嬉しい。

会社に提出する用の書類には、いつから仕事復帰できるかという欄があったのだが、夫は「すぐ出社する」と言い張り、夫の圧に屈した先生は、
「普通は、退院してから1週間は休むものなんだけど」と言いながら、3日後の日付を書いた。

支払いなどの手続きをして、お世話になった方達に挨拶をして退院。
シャバの空気を味わいついでに、コーヒーを飲みたいというので病院から一番近い、ドーナツ屋さんでコーヒーを飲んだ。
夫と向かい合わせでコーヒーを飲むのはいつ以来だろうな。っていうか、向かい合わせで座るのも。顔がほっそりしていた。

つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?