週末の夜は映画をお供に『嘘を愛する女』
週末の夜は早めに家事を済ませてソファに腰掛ける。
サブスクの海からみたい映画かドラマを探り当てるこの時間が好きだ。
部屋の明かりを暗く,さながら映画館のようにしてみるのがお気に入り。
今回選んだのはこれ。
『嘘を愛する女』。公開は2018年1月らしいので,ちょうど5年前になる。
5年前って何してたかなぁなんてぼんやり思い出しながら見ていた。
予告の印象からはミステリーやサスペンス的な展開を期待していたが,ふたをあけてみると,よくいえば穏やか,悪くいえば終始淡々としたストーリーだった。好きな人は好きかなぁ,という感じ。人を選ぶ映画かもしれない。
主人公の由加利の勝ち気でわがままな性格がどうにも受け入れられず,最後までこの人苦手だなと思っていた。いかにも女性的だ,と言われればそうなのかもしれないが,近くにいても友達にはなりたくないタイプ。
途中で吉田鋼太郎扮する私立探偵から「そんな性格でよく5年も一緒にいられたな」というようなことを言われるが,本当それ!と頷いてしまった。
私が異性ならうんざりしてしまう。
主人公のことを好きになれない映画ってなかなか辛いものがある。
これは新しい発見だった。
でもよくも悪くも妙にリアルというか,瀬戸内の雰囲気も含めて映画らしすぎない感じが新鮮だった。後から知ったが実話から構想を得たらしく,なるほどなと思う。そうじゃなければ出ないリアルさだった。
それにしても現実にこういうことって起こるんだなと思うと,そっちの方が怖くなる。
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もし心から大切に思う人の全てが嘘だったとしたら。
私だったらどうするだろうか。
知りたい,と思っても調べようとは思わないかもしれない。
知られたくないことを本人の同意なしに知るって,なんというかフェアだと思えないのだ。恋人でも,たとえ家族だったとしてもなんでも知りたい,知る権利があると思えない。なぜなら,超えてはいけない一線って誰にでもあると思うから。
伝える優しさがあるように,伝えない優しさもあると信じている。
それより嘘だろうがなんだろうが,見せてくれているものの方を信じたい。綺麗事かもしれないが,綺麗事で生きているほうが楽な時も多いのだ。それに人間はみたいもの,ききたいものしか受け取れないようにできているのだから,私はそれでいいかなと思った。
できればそんなことを考えないといけないような場面が訪れないことを祈りつつ,彼にも同じ問いを投げかけてみようか,なんて考えながら眠りについた。
そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。