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余白と遊びのバランス

寝室に置く,秒針の音がしない時計を買った。
ついでにピアスやネックレスをつけるときに見るための鏡も買った。

両方ともなくてもどうにかなっていたものだったが,いざ置いてみると想像以上に可愛くて気分が上がる。私にとって,こういうものは実用的かどうかよりも,気持ちが上がるかどうかの方が重要なんだなと気づいた。

なくてもいいけどあったら楽しい。
そういうものにお金や労力をかけられることは分かりやすい幸せなのかもしれないな,と思うようになった。少なくとも今,必要に迫られたものじゃないことを考える余裕がある,という事実こそが全てというか。
いい意味で遊びがうまれたなぁと思う。

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断捨離を定期的にするようになって,買い物へのハードルが上がった。前だったら必要かどうかなんて考える前に,ちょっとでも気になったら衝動買いしていたので,私の部屋はなくてもいいものだらけだったなと思う。一つずつはどれも気に入って買ったはずなのに,なんだかいつもちぐはぐしていた。

今はどんなに小さな物で場所を取らないとわかっていても,どこに置くか,何に使うかイメージできないものは買わないと決めている。さっきまでの話と矛盾するように聞こえるかもしれないが,これもまた大切なことだと思う。

どんなに可愛くて気分が上がったとしても,置く場所がなければいずれは邪魔だと思うようになる。そして使うまでにかけるエネルギーが多くなると,使う頻度も自然と下がる。ここまできたらもう断捨離の対象だ。今じゃなかったんだなと思って,潔く手離す。部屋のキャパは決まっているので,こちらが合わせるしかない。ここで変な情が生まれるといつまでも片付かないことは,身を持って学んだ。

ある程度の余白が欲しいと思ったら,厳選して置くことになるので一つ一つへの愛着もより深くなった。でも,少なければいいということでもなかったらしい。なくてもいいけど,の「けど」の部分が私には大切で,その遊びがあることが健やかに生きて行くために欠かせないなと思うのだ。

部屋中どこを見てもお気に入り,全て一軍。そんな風にできたら理想だ。けれど実用性を考えるとどうしても難しい部分もある。だからこそ,遊びをうまく活用しながらバランスをとっていきたい。

そのお気持ちだけで十分です…と言いたいところですが、ありがたく受け取らせていただいた暁にはnoteの記事に反映させられるような使い方をしたいと思います。