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あたしの食育

あたしが赤ちゃんのころ、離乳食がチキンラーメンだった。
母親が食べていたそのスープに、ご飯を入れて、それをさじですくって食べさせられていたらしい。
だからか、チキンラーメンがソウルフードになってしまった。

母はあまり料理が得意ではなかったようだ。
あたしは、給食の方が母の手料理より「おいしい」と言う、親不孝者だった。
母は、笑っていたけれど。

給食で「クジラの竜田揚げ」だの、「クジラのうま煮」だのが出ると、家でもつくってくれとねだった。
それほどクジラ好き少女だった。今はクジラなど食いたくもない。捕鯨に労力を費やすくらいなら畜産をなんとかしろと言いたい。

あの頃の給食では、ぶつぶつに切れた「きつねうどん」や、カレーシチュー、ちくわの入った焼きそば、残りが取り合いになるポテトサラダ、くたくたのナポリタン、口のまわりがギトギトになった揚げパン、牛乳瓶の底に溶け残るミルメーク…
給食はなんでもおいしかった。

あたしは「食育」という言葉に欺瞞(ぎまん)を感じる。
学校給食自体、大人の都合でできた制度ではないか。
いまさら「地産地消」と称して給食で「食っている」業者と癒着していることが「食育」か?

食い物は、食う者の勝手だ。
好きなものを食えばいい。
食料自給率を上げるだの、不可能なことを追い求めるのではなく、外国産のものだって食えばいい。
食わなければ余るだけだ。
そのほうがもったいない。

内国農業を守るっていうのだったら、TPPはやらないほうがいい。
功利を求める自由経済なら、安いものが第一選択となり、品質が二の次になるのが世の常だ。

遺伝子組み換え食品を使わないというのも、あたしにはなんのことやら解せない。
こういった植物が増えて、「組み換えでない」個体と交配して、生態系そのものが変になってしまうことは理解できる。日本のような狭い耕地面積の農業では多品種栽培が不可能になり伝統野菜は絶滅するだろうからだ。

しかし、遺伝子組み換え食材を人が食ったとしてなんの影響があると言うのだろう。
遺伝子組み換えで生まれたタンパク質だってヒトの体内でアミノ酸にまで分解され、元のたんぱくの構造などみじんも残りはしない。
遺伝子組み換えであったのかどうかさえわかりっこない。
これで「アレルギー」反応が出るのだろうか?
もちろんアレルギー反応は異質なたんぱくの取り込みによる、免疫反応、つまり抗原抗体反応だから、未消化の遺伝子組み換えたんぱくに反応する可能性を否定はしないが、それが実証されてのことだ。グルテンアレルギーは天然の小麦たんぱく質でも起こるものだ(遺伝子組み換え小麦によるものだという反論はあるが根拠薄弱だ)。
特に、遺伝子組み換えでない大豆やトウモロコシから得た油脂までもが、遺伝子組み換えのそれと何の違いがあるというのだ?

油脂の製造では種子を圧搾し、たんぱく質やでんぷん、不鹸化物(コレステロールなど)は油粕(あぶらかす)として除かれ、トリグリセリド(油脂)のみになっているはずである。この時点で原料が遺伝子組み換えだったか否かは、もはや関係なくなっている。
それなのにマーガリンに「遺伝子組み換えでない」と表示があったりする。
バカげているとは、思わないのだろうか?

まあ、あたしも科学者のはしくれだ、アレルギー反応の懸念がある以上、使いたくない、食べたくないという「消費者」の心理は理解している。

無農薬、減農薬、有機栽培…
こういったことも真に追求するなら反論はない。
しかし、これに乗じて瞞着(まんちゃく)する輩(やから)がいるからいただけないのだ。
使っているのに「使ってない」と言い、かぎりなく「0」に近いと言い、あげくは、人体に影響の出る量ではないと「放射能汚染」でもおなじみの言い回しに終始する。国だって堂々と言い訳するし、だから信用ならないのであろう。

量を追求すれば、その閾値の根拠が薄弱だったりする。
数字で表せば事なきを得たかのような錯覚。

その「茶番」の相手をすることが、消費者にとって徒労であり、結局、真実はわからないまま、食べることさえできないという負の連鎖を、私は断ち切りたいのだ。
思考停止に陥っているのかもしれないが、他人に食を提供してもらっている立場にあって、もはや、文句を言えた筋合いではないのだ。
あえて、文句を言ったとしても、言い逃れられ、「なら、買うな」と罵声(ばせい)を浴びせられるのが関の山だ。

あたしは、あたしだけの問題だから、農薬を使ってくれていいし、食添も使ってくれていい、どうせ急性的な症状は出ない量だろうし、あたしが死ぬまでにゆるやかに侵されていく程度なら、口にしていいと思っている。
被曝疑念食材だって、一応の検査をしてくれているのなら信じていただきますよ。
そうでなけりゃ、農家や漁民が気の毒だ。

あたしの体は、生まれ落ちたときから加工食品と給食で作られてきた。
そういうことを振り返ると、もはや健康志向の食生活など六十を過ぎて、「焼け石に水」なのよ。

光化学スモッグや、ヘビースモーカーの父親の受動喫煙の中で、はたまたアスベストの校舎で、学生時代を過ごし、就職してからは化学工場の有機溶剤の中で暮らしていた。二十歳からこの方、アルコールを鯨飲してきてもいる。

それでも、あたしの体にはなんら不調はない。
あたしが特別なのかもしれない。
まわりの人は、不調を訴えて、何人も辞めていった。
そして、今も癒えていないとも聞く。

不公平といえばそうなるだろう。
血を残さない選択をしたあたしに、言うべき言葉はないけれど。

やがて来る未来に、若い皆さんは知恵を出し合って立ち向かっていってください。
今一度、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』を読んでみてはどうか?

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