『創作は孤独だ』
“書くのが辛い“と思うことがある。
別にめちゃくちゃ辛くて書くのが嫌で、なにもかも放り出して逃げてしまいたいというわけじゃなく、「ああ、なんか嫌だな」って思う時。
上手い言い回しが思いつかないとか。
書いている途中で、急に言葉が出てこなくなってしまったりとか。
そもそも面白い話を考えられなくて「あ、才能枯渇したわ」とふて寝したい時とか。
結末をカッコよく締められなかったり。
悩んで結局書き直して、それでも上手くいかなかったりなんかしたら、もうそこらへんの柔らかそうな場所にスマホをぶん投げて「クソッ!」とキレそうになる。
創作をしていていちばん辛いのは、
それを誰のせいにも出来ないことだ。
だって、書いているのは“私“だから。
誰でもない自分だから。
たとえ、文章を紡いでいるときの自分が、普段のヘラヘラしてる“自分“とは違う、どこかから顔を出した、全く別の生き物のような自分だったとしても。
住んでいるのが私の心の中であるならば、それは、心で眠っている自分の中のひとりなのだから。
誰のせいにも出来ない。
なにも思い浮かばずに、ただマヌケな顔でポカンと口を開けて、イタズラに時間を浪費してしまったとしても、それは疑いようもなく、自分の力が及んでいないだけなのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
人は誰しも、仮面を付け替えて生きている。
家にいる時。仕事をしている時。
友達と会う時。家族といる時。
ひとりの時に見せる顔。
そして誰にも見せていない顔。
心の中にしまい込んだ、さまざまな色の仮面を付け替えながら、この長い時間を生きている。
このnoteの画面上に浮かび上がる“私“の姿も、その仮面のうちのひとつなのだろう。
文章と向き合う時。
“私“はその仮面をかぶった自分と対峙している。
「心のうちを晒すのが怖い」
「誰かと話すのが怖い」
「評価してもらえないことが怖い」
「飽きられるのが怖い」
「つまらないヤツだと思われるのが怖い」
暗くした部屋でnoteと向き合う時間は、私がその、暗い色をした仮面、“恐怖“と戦う時間。
そんな時、決まって。
また違う仮面が呟く。
「もうやめちゃえばいいじゃない」
投げやりな声。
違う。やめたいわけじゃない。
書くことを終わらせたいわけじゃない。
そりゃ疲れる時もしんどい時もあるけれど。
でも、このnoteの画面で踊っている“私“のことが、私は好きだ。
だからやめたいわけじゃない。
終わらせたいわけじゃない。
自問自答を繰り返しながら書き上げる時間。
私は間違いなく戦っている。
“自分“というヤツと戦っている。
それがどんなにくだらない記事だとしても。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
創作は孤独だ。
頭の中で言葉を想像すれば、AIが自動的に思ったことを的確に入力してくれるわけでもなく。
文章のひとつひとつ、端っこにある言葉の最後のひと文字まで。
“私“が選んで紡いでいくしかない。
言葉を選ぶというのは、疲れる。
気を遣う、魂を削る、心を込める。
どんなに馬鹿みたいな記事を書いていても、そのどれもが私が選び取った言葉のひとつ。
だから責任がある。
読んでくれた誰かが涙するのも、笑うのも、怒るのも、不快になるのも、スッキリするのも。
全てが私の言葉で決まる。
生み出したものが自分の力になる。
それを選んだ“私“の自信になる。
「心のうちを晒すのが好きだ」
「誰かと話すのが好きだ」
「評価してもらうのは嬉しい」
「飽きられたらそれでいい」
「つまらないヤツだ、ってことは、自分がいちばん知っている」
「なによりも、私は書くことが大好きだから、ここにいたい」
対峙した自分に、私はいつも同じ答えを返す。
孤独であっても。向き合うしかなくても。
見たくもない部分を見つめることになっても。
誰にも評価されずに、埋もれていく塵のひとつになるだけだとしても。
それでも私は、書くことが好きだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
え?面白い話が読みたい?
それなら、こちら。
抱腹絶倒の記事が満載です。
私は毎週月曜日担当。
ぜひ読んでみてくださいね。
もしもサポートをいただけたら。 旦那(´・ω・`)のおかず🍖が1品増えるか、母(。・ω・。)のおやつ🍫がひとつ増えるか、嫁( ゚д゚)のプリン🍮が冷蔵庫に1個増えます。たぶん。