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『AIに負ける理由がない』
AI、人工知能というものは、私のようなゲーマーからすると意外と近しい存在である。
例えばゲームのラスボス的な存在として、人間よりもはるかに高い知能を持ち、愚かな人間そのものを管理して支配したがるAIがあらゆるゲームに登場するし、あるときは主人公のサポートをするために、主人公を導き、手助けする存在としてAIが描かれているゲームもある。
先日のイトーダーキさんのスタエフ配信を聴いていて、AIってのは、私が想像するよりもずっと進化しているんだなぁと思ったし、それこそAIに文章を書いてもらえるなら「もう人間なんていらないんじゃね?」と考える人の気持ちも、まあ、なんとなくわかる気がする。
AIって、すごい。
小説も、エッセイも、論文も、自己PRも。
条件さえキチンと指定してやれば、人間が作るよりもはるかに早く、それなりに“見られる“文章をぽーんと提供してくれる。
でも、所詮は機械だよなぁ、と思ってしまうのは、私の、人間の驕りなのだろうか。
私はAIに触れたことがない。
いま流行りのChatGPT?ってヤツも使ったことがないし、プログラミングをかじっている旦那から一方的に話を聞かされたり、現役SEである我がバンドのドラムとそういう話になったりはするけど。
なんかこう、別に自分がソレを使う必要性が見出せなくて、触れないまま今にいたる。
なんだろうなぁ。コレは私がそういった機械に疎いうえに、アホだからなんの原理もわからないから言えるのかもしれないけれど、結局、過去の模倣じゃないか、と思ってしまうのだ。
例えばAIに。
夏目漱石のような文章を書け、と命令したら、恐らく彼を模倣して、上手いこと書いて寄越したりはするのだろう。
やさしい童話を書いてくれ、と頼んだら、きっとそれらしい話を、語って聞かせてくれたりはするのだろう。
でも、結局それだけな気がする。
いや、それだけでも十分すごいのだろうけど。
1から1を生み出すことは出来ても。
0から1を生み出すことは出来ないんじゃないか。
そんな風に思ってしまうのだ。
ほんの少し前に、イラストを生成するAIが流行ったことがあったけれど。
私は、アレで生み出した絵がそれほど好きじゃなかった。
どこかで見た構図、どこかで見た絵柄、どこかで見たことのある表情。
オリジナリティ?そんな大層なものの是非を語りたいわけじゃないし、確かに、生み出された絵は綺麗だなとは思うけれど。
そう。見ていてつまらないのだ、なんとなく。
そこには遊びがない気がする。
綺麗な線、美しい色合い、バランスのとれた配置、でも、それだけだ。
人間らしい稚拙さだったり、失敗だったり、ちょっと笑えてくるようなバランスの悪さ、みたいなものがない。
先日の配信でも、AIに“ギャル語で“文章を書かせてみよう、とイトーダーキさんが挑戦していたけど、出来上がったものはギャル語とは程遠いものだった。
ギャル語とか略語なんてのは、人間らしさの最もたるものなんじゃないかと思う。
ある特定の世代にしか通用しないし、標準語というか、いわゆる“美しい日本語“というヤツからはかけ離れているし、AIからすれば、理解出来ないくらいしょーもないものかもしれないけれど。
そこには遊びがある。面白さがある。
だから、人間はそれを好むんじゃないかな。
私は、noteの記事を読むとき。
別に美しい文章が読みたくて、その記事を読むわけじゃない。
体裁を整えた文章を読みたいわけじゃなくて、その人の心の機微だったりとか、人生の一場面だったりとか、誰かの想いみたいなものが見たくて、noteを読んでいる。
それはたぶん、AIにも似たようなものは作れるのだろうけど、でも、私は別に、AIが作った誰かの過去の焼き直しを読みたいとは思わない。
AIが、大多数の書く側の人間にとって、脅威になり得るのはわかる。
配信でもコメントさせてもらったけれど、AIが人間を模倣するように出来ている以上、一定水準の文章の体裁は整えてくるのだろうし、ただ綺麗な文章を“書くだけ“の人にとっては、取って代わられるのもおかしくはないと思うから。
けれど、稚拙な表現でも、冗長な文でも、なんというか目が滑るような話だな、と思っても。
そうした“人間らしさ“、“人間の匂い“みたいなものは、AIにはまだ作れないんじゃないか、と思うのだ。
無駄、とか、余白、と言い換えてもいいかもしれない。
だから人間とAIを比較すること自体がもうすでにナンセンスで、たぶん上がる土俵が少し違うんじゃないかな、って思ってる。
お固い文章とか、ちょっとした論文とか。
事実を事実として書き連ねることには、AIは向いているのかもしれないけど。
そこに嘘を交えたり、脚色したり、事実を事実としながらも、面白おかしく感情を込めたり。
それを自由に出来るのが、人間の特権で、それが、オリジナリティってやつになるのかなって。
AIのAの字も、理解出来ない、学のない門外漢は思ってみたりする。
私はAIを使わない。
私が私のために文章を書いているこの思考は、私だけのものであるべきで、そこにありがたい機械を介入させる余地はなく、私は私の言葉を追究したいと思っているから。
拙くてお粗末で、たとえ未熟な文章でも。
私の言葉には、私なりの価値が含まれていると信じている。
それは誰かと、AIと比較出来るものではなく、言うなれば私が積み重ねてきた経験と同じ価値。
だから、対外的にどうこうじゃなく、あくまでも、私自身の中身に限ったコトで言うのなら。
私が、AIに負けることはあり得ないのだ。
もしもサポートをいただけたら。 旦那(´・ω・`)のおかず🍖が1品増えるか、母(。・ω・。)のおやつ🍫がひとつ増えるか、嫁( ゚д゚)のプリン🍮が冷蔵庫に1個増えます。たぶん。