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『パニック障害になった話(9)』〜スタートラインに立つ日:後編〜

※ついに最終話です。この記事にはパニック障害についての記述、発作についての話が出てきます。フラッシュバックに気をつけて、お読み下さい

前回の記事はこちら↓↓

2021年7月19日
私のスマホに1通のメールが届く。
LIVE TOUR V6 groove 開催決定
ついに来た、と。予想が当たって嬉しいような、行かねばならない事が恐ろしいような、本当に解散してしまうんだと思い知らされるような、複雑な思いに駆られながら内容を確認する。
そして目を疑った。
ライブツアー最終日。11月1日。
その会場は、V6の聖地、国立代々木第一体育館ではなく、まさかの幕張メッセだったーー

1.横アリか、たまアリか、幕張か


まさかの幕張。嘘だろ、と私は頭を抱えた。
確かに代々木第一体育館は、オリンピックの関係で開催出来ないんじゃないか、と危ぶまれている声があったことは認識していた。
だからといって、何故幕張。
他になかったのか!!と思わず声が出た。

今回、関東で開催される会場は3つ。
埼玉のさいたまスーパーアリーナ。神奈川の横浜アリーナ。そして千葉の幕張メッセである。
東京どこ行った!!?と全力で問い詰めたい気分になりながら、はてさて、問題は“どこに行くか“である。

自宅から近いのは埼玉である。
ここなら最悪車でも行けるし、新幹線に乗らないで済むというのは魅力的だった。
横浜アリーナも、嵐のコンサートで何回か行ったことがあるし、私が直近で最後に行ったV6のコンサートはここ、横浜アリーナだった。道順も覚えているし、東京駅からの乗り換えも新幹線続きにはなるが2駅で済む。

だが。これはジャニーズオタクならわかっては貰えると思うが、ツアー最終日ーーオーラスとは特別な存在で。出来るのであればそのツアー最後の日を一緒に過ごしたい。
ましてや次の日からはV6そのものがなくなってしまうのであれば尚更である。
当日共に行くであろう旦那や母、25年来の親友と何度も相談した結果、とりあえず埼玉、横浜を第一希望に、幕張は申し込みだけしておいて、もし当たったら行こう。ということになった。
幕張の公演は配信中継があることもわかっていたので、無理せず、とにかく行けるところに。
安全牌というか、会うことを第一に考えることにした。

無事に申し込みを済ませ、あとは結果を待つばかり。
それまでに新幹線に挑戦しようか、それとも電車でのんびり大宮あたりまで行ってみようか。
話している時は楽しくて、病気のことなんて忘れていた。年甲斐もなくワクワクしていた。
だけど、運命は残酷だった

2.全公演落選


抽選結果を見た時は、大袈裟じゃなくスマホを床に落とした。
そんなバカな、ありえない。
あり得るわけがない。
これまでどんなに少なくとも、1公演は必ず当ててきた私が、1公演も当たらずに全て落選するだとう?!
それは見事な全滅だった。
私も母も旦那も親友も。全ての名義をフルで使って申し込んで、全日被らないように調整して、それでも全て落選した。

正直に言うと、想定外だった。
ここまで読み進めてくれた人はわかると思うが、私は1度たりとも、落選して自分が行けなくなることを全く考えていなかったのである。
不思議な確信があった。私は絶対に当選すると本当に信じ切っていた。
あれだけの倍率の高いコンサート、今考えても何でそんな自信満々だったのか本気で不思議なのだが、一片たりとも当選することを信じて疑わなかったのである

吐き気がした。
久しぶりに心が折れそうになった。
数年ぶりに昔の職場で社長に言われた呪いの言葉を思い出した。

お前はもうどこにも行けない。大好きなアイドルのコンサートに行くことも、東京に行くことも2度と出来ない

奇しくも当落発表があった日は8月12日
私が3年前。社長に引導を渡した日と同じ日であった。

3.SUPERBEAVERに出逢う


全公演落選するよりずっと前の話だが、私はSUPERBEAVERに出逢っていた。
渋谷龍太の真っ直ぐな歌声はV6の解散に傷ついた私を癒したし、柳沢亮太の作る誠実な愛の歌詞は昔を思い出して涙を誘った。
ニコニコと楽しそうにパフォーマンスをする彼らを観ていると、なんだか全盛期のV6を見ているようですごく懐かしい気持ちになった。

SUPERBEAVERはライブバンドである。
1年の大半を全国で開催されるライブに費やしている。
その時も確かツアーが決まっていて、何気なくツアー日程を調べていた私はそれを見つける

11月7日、さいたまスーパーアリーナ。
V6の解散から1週間後。
そこでSUPERBEAVERが公演を行うことを知った私は、すぐさま先行発売の抽選に申し込んでいた。

結果は当選
今思えばここで運を使ったからV6が全滅したのではとも思うが、少なくとも、11月にライブに行くことは決定事項だったのである

V6の落選に肩を落としながら、私を支えてくれていたのはSUPERBEAVERだった。
彼らがいなかったら、私はまたあの呪いの言葉に打ち負かされてしまっていたかもしれない。

だけど私は何故かこの時も未だ、V6のコンサートに行くんだという絶対的な自信があった。
V6の勇姿を見届けて、SUPERBEAVERに明日を生きる活力を貰って。私はこの病気を克服するんだと信じていた。

4.正夢を見た


ちょっと不思議な話をする。
それは10月の初めだっただろうか。
私はとある夢を見ていた。
その夢の中で私はスマホを弄っていて、お気に入りのソシャゲをしていた。
そんな私の元に、1通のメールが届く

そこには『おめでとうございます!!復活当選です!!』と書いてあって。「ええええ!?」と叫んだところで目が覚めた。

未だに覚えているくらい印象的な夢で。
正直嘘くさいことこの上ないが、事実なのである。

2021年10月11日
夢で見たメールと寸分違わぬメールを、私は受け取っていた

11月1日。V6が解散する日。
最終公演の復活当選案内だった

送られてきた復活当選の案内メール

足が震えた。カッと体が熱くなった。
職場の休暇室で文字通り崩れ落ちた。
発作の時のように心臓がドキドキして呼吸が荒くなって。そのまま声をあげて泣いた。

20年間。好きで好きでたまらなくて憧れて。
必死であの人の目に映るためだけに追い続けた日々が報われたのだと思った。

幕張メッセは遠い。行ったこともない。
今の私には遠すぎるくらい遠かった。
それでも最後の最後に、
神様が微笑んでくれたのなら。
たどり着いてみせる。そう決意した瞬間だった。

5.戦闘準備


V6の公演後、時間的に幕張から地元に戻るのは難しいだろうと悟った私は、即座に東京都内のホテルを手配した。
奇しくも、目標の90%『県外に旅行に行く』と、100%『泊まりがけでV6のコンサートに行く』を同時に達成することになった

上司に事情を話し、その日の午後を有給にしてもらった。
突然の有給申請にも関わらず上司はただ笑って
必ず行ける!今まで頑張ってきた自分を信じろ!」と私を励ましてくれた。

当選したチケットは2枚。
当日、会場に入るのは私と母になった。
親友はV6はあくまで副担だからと辞退してくれ、旦那と一緒に、私が無事に会場にたどり着くまで、幕張に一緒についてきてサポートしてくれることになった。
彼女はバンドが好きで色々なライブやフェスに行っていたので、幕張メッセにもよく通っていたのである。道案内をかって出てくれたことはとてもありがたかった。

それでも、新幹線と電車だけは避けられない。
更に当日の退勤時間から見て、相当なタイトスケジュールになるであろうことは想像出来ていた。

前日までに思いつくだけの準備をして、規則正しい生活を心がけて体調を万全にして。
そして迎えた当日、11月1日
私は戦地に赴くような気持ちで自宅を後にした。

6.VS新幹線、最後の戦い


指定席で取った座席に乗り込み、深く腰掛ける。
いつも通りガムを口に放り込んで、旦那や母となんでもない会話を交わした。
一足先に向かっていた親友とは東京駅で待ち合わせる予定だった。
緊張で強ばる体を揉み解し、新幹線が発車するのを待つ。

そして、いつも通りそれはやってきた

ひとつだけ違うところがあるとすれば、それは今まで経験した中でも最大級の発作だった
まるで、このまま病気を忘れるなんて許さないとでも言うように。
ドクドクと打つスピードがみるみるうちに早まる心臓と、過呼吸のように浅くなる呼吸。
いつもは痛みなんかないのに、この時はずっと胃が掴まれるように痛かった。

死ぬのでは、という恐怖が一気に私に襲い掛かる。でも、少なくともV6を見ずに死ぬわけにはいかなかった。

とてつもない恐怖でガタガタと震える私の体を、旦那がずっと支えてくれていた。
「こわい、こわい、こわい」
「大丈夫だよ、大丈夫。坂本くんに会うんでしょう」
子供みたいに“怖い“と繰り返す私の腕をさすりながら、母が安心させるように笑った。

ーーそうだ。私は坂本昌行に逢わなければならない。会って、実際に届かなくてもいい。
直接顔を合わせて、これまでの感謝を伝えるのだ。

そして、『お前はどこにも行けないんだ』と言った社長を見返してやらなければならない
私を笑ったあの男に、ざまあみろ!!と言ってやらなければならない。

幸いだったのは、新幹線が空いていたおかげで、この大パニックを誰にも見られなかったことである。
泣きながら立ったり座ったり、歩いてみたり。
少し落ち着いたらマスクを取って深呼吸したり。
おかしな行動をしていたとしても、気にする人が少なかったおかげで、私は徐々に落ち着きを取り戻した。

そしてこれが、
私にとって最後の発作だった。 

7.心から望んだ場所へ


東京駅で親友と合流し、幕張までの道を急いだ。
京葉線の遠いホームまで走り、電車に飛び乗る。
何年ぶりかに乗った電車はとても混んでいて、座ることは出来なかったけど。
不思議なことに、新幹線で発作を起こしてから、私の心はとても静かな状態を保っていた。
怖くも、苦しくも、何ともない
まるで発症する前に戻ったかのように、平常心で電車に揺られていた。

「早く!もう時間がない!」
海浜幕張から幕張メッセは少し距離がある。
暗くなった道を、通い慣れた親友が先導してくれた。
私は旦那や母と手を繋ぎながら、自分の心が歓喜に打ち震えるのを、感じていた。

そして幕張メッセが見えた瞬間。
「やった……!」
堪えきれなかった言葉が溢れ出た。

辿り着いた!ここまで!

どうだ見たか!!と、3年前の自分と、あの職場にいた全員に向かって叫び出したい気分だった。
ついにここまで来た。
車にも乗れず、1人で外を歩くことすら出来なかった私が。
周りの助けを借りながらでも、新幹線に乗って電車に乗って初めて歩く道を踏みしめて歩いて!
2度と行けないのだと笑われたコンサートの会場にたどり着いたのだ!!

「ざまあみろ!!!」
思わず叫んだ私を、旦那と母が見て笑った。

当日の幕張メッセ

時刻は開演10分前。
会場に飛び込む私と母を、旦那と親友が手を振って見送った。
「楽しんで!絶対大丈夫!“楽しもう“だよ!」
「わかってる!ありがとう!」
V6の合言葉。“楽しもう“。
叫んだ親友に手を振り返して、会場に入った私はチケットを発券する。

もうどんな席だって良い。
ここまで来れたことだけで既に満足していた私は、どんな場所だって楽しめると思った。
2階の最後列でも、見切れ席でも。
なんだっていいーー

アリーナBブロック5列

センター花道真横。
今度こそ、私は歓喜の声を堪えられなかった。

8.スタートラインに立つ日


パニック障害という病気になったあの日。
私は絶望を知った
外を歩けない、車に乗れない、美容院に行けない、買い物に行けない、スタジオに入れない、ライブが出来ない、遊びに行けない、遠出が出来ない、旅行に行けない。
出来ないこと尽くしで、むしろ出来ることを探す方が大変だった。

だから私は、完治したその時に、ようやく完治というゴールをすることが出来るのだと思っていた。
この病気とさよならして、いつか忘れて。
ゴールしたらこの苦しい思いが終わるのだと思っていた

でも違った。
私がV6の解散を見届けた後、たまたま会社にやってきた本部長にそのことを報告すると、私の1番辛かった時を知っている本部長は、こんな言葉をくれた。

「そうか……おめでとう。ついに、そこまで成長出来たんだねぇ。
君はようやくスタートラインに立ったんだよ。
まだ若いんだから、今から何にだってなれるんだ。ここが終わりじゃないんだから、これからも自分のペースで歩いていきなさい


私はゴールしたのではなく、ようやく新たなスタートラインに立ったのだと。
解散して、旅立ちを迎えるV6と同じように。
これから新しい日々が始まっていく。

ゴールしたのではなく、スタートする
前向きでとても良いと思った。

新幹線でとてつもない発作に見舞われてから、発作とも呼べない軽いドキドキはあれど、私は穏やかに日々を過ごすことが出来ている。

私は病院に行き、薬で治したわけではないから。
またいつか、不安に襲われる日が来るのかもしれないし、辛い日々を過ごす日が来てしまうのかもしれない。
でも少なくとも今は、こうして昔と変わらない日常を過ごすことが出来ている。

私を傷つけたのは他人だったけど、
私を救ってくれたのもまたV6やSUPERBEAVERという他人だった。

そして何より、母や旦那や上司や本部長や親友。
周りの助けがあったからこそ、私はいまここにこうしていられることが出来ているのだと、それだけは忘れてはいけないと思っている

私は絶対にV6のコンサートに行かなければならないという明確な目標というか、決定事項があったから、こうして克服出来た。
逆に、V6が未だ解散せずに、普通にコンサートを行っていたら、私は今も病気と戦っていたかもしれない。
克服しようとは思っても、その一歩がどうしても踏み出せずに。悶々とした日々を過ごしていたのかもしれない。

事実。9月にあった、SUPERBEAVERが出演するフェスを、私は1度断念しているのである。
行けそうになくて、怖くて。
チケットまで取っていたのに、断念した。

それは甘えだったと思う
またいつか行ける日が来るから、とか。11月に単独行くから、とか。
なんやかんや理由をつけて、先延ばしにして逃げただけ。
人間誰しも自分には甘くて。
すぐに楽な道に逃げてしまいそうになって。
特に私なんかは意思が弱いほうだから、すぐにいいやいいや、って流される。
だから今回、“解散“という形で私の逃げ道を塞いでくれたことは、ある意味では、良かったのかもしれないと今は思っている。

私がやったことはたぶん荒療治で。
必死に今を戦っているパニック障害を抱えた当事者の人から見たら、めちゃくちゃなことをしてるなぁ、と思われるかもしれない。
でも、事実、薬も飲まずに治った人間がいたことを。克服した人間がいることを、私は知って欲しかった。
そしてほんの少しでも、希望を見出してもらえたら。こんなに嬉しいことはないと思っている。

9日間にわたり、私の人生の記録にお付き合いいただいてありがとうございました
あなたに心から大きな感謝を。
あなたの人生に幸多からんことを。
また何か思い出した時は書き出すので、その時はお付き合いくださいませ。

明日からは通常更新に戻ります。

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