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朝、詩を読む、ようにしようとしている

※写真は奥さんと近くの森林公園で木を積み遊んだときの写真。

ここ数年で詩に興味を持って、買ってはみるのですが、読むこともなく、また読んだとしても詩の意味が分からず、文字が頭に入って来ないというか、そんな感じで読みたいけど内に入ってこないというのが、興味持ち出してから感じていたことでした。

いくつか買った中で、好きなように思えた「荻原朔太郎詩集」、ここに書かれていることを感じたい、考えていたところで、朗読するのはどうかと自分の中に浮かびました。

それが3,4年前、400ページほどの本ですが、いま250ページくらいまで読み(朗読)しました。

朝、仕事に行くまえに、目で読み、そのあと2回朗読します。

私は発声に気を使うのを怠けていて、発声の練習も兼ねて朗読します。

その時、やっていることは、
朗読する、
読んでいる内容、言葉をそのまま想像する、
聞き取りやすいであろう発声をする、
ということをやっています。

やっているとどれかに気を取られ、どれかが出来なかったりしていることに気づいたりします。

そんなことがあるという気づきがまた、この朗読の良さかもしれません。

こんなに書きましたが、一年以上、朗読を出来ていませんでした。
一ヶ月ほど前から、仕事がリモートとなり、家にいることがほぼとなったときに、あらためて朗読を再開してみようと思いました。

実は一昨日も昨日も朗読していません、明日はしようと思います。
そんなことを考えるのも朗読をしていたからですね。今日、また朗読の場にまたつきたいと思います。そうしたいです(笑)


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