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「。」に意思が実装された。

最近話題の「。」

何ハラスメントだったっけ?
まんま「マルハラスメント」って呼ぶらしい。
仕事上のSNSとかで年長者から「。」の付いた返信に若者が威圧感を感じるらしい。
聞いた時は「そんな?」と思ったけど、そこでこの話題をシャットアウトすると単なる思考停止なので僕なりに考えた。
単なる記号が時代とともに読み手の受け取り方を変化させ恐怖さえ感じさせる物になるとは思ってもいなかったですね。
ということは明確な意思を持って使用すればこの「。」に意図や意志も持たせられる。

文章の幅が広がったと言えるのかもしれないけど、単純に面倒です。

ただ、数年もすればこの話題も忘れ去られるんだろう。
そもそも古文には句読点なんてないことを思えば「。」がなくなっても問題はあまりないのかも。
読み書きが不得手な子供等の為に句読点は作られたなんてことも聞くから大人は句読点がなくても文章が理解できるべきってことじゃないかな。

僕の中には7年ルールというものがあって日々流れてい来る話題で7年後も記憶として残っていそうかどうかで話題の価値を測っている。
これは一種の自己防衛。
日々流れてくる話題に振り回されて疲弊しないようにするため。
だからこの事も7年後にどうなっているかを想像してみたけど、記憶の片隅には残っているかもしれないとは思う。
だけど、SNSとかの主流になるような書き方の流儀ではない気がするからほとんどの人が忘れるんじゃないだろうか?
であるなら、さして覚えていても価値があるとも思えないから身の回りの人との会話で2・3回ネタにできればこの話題の寿命は僕の中では終わり。
せいぜいこのnoteにも記事にするくらい。

でも、これはあくまで僕の中の今の結論。
将来この「マルハラ」が今の勢いそのままで話題になっているようであればこの変化は日本語にとって大きな変化だったということになるんだろうな。
その時は誰に謝るでもなく、一人頭の中で「マルハラ」のことを記事にして見当違いをしていたと反省するだけだ。
そんなことは誰も気にしないけど。

そんな最近の話題を初めて記事にしてみた。
「最近の」の鮮度ってどれくらいだろうと記事を書きながら思ったけど、これも年代によって結構幅がありそう。

「最近の」や「普通に」といった話出しの言葉、とくに「普通に」については最近の僕のホットワードなので別の機会に記事にしたい。

ということで今回はこの辺で。


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