好きな曲は好き~모자를 눌러 쓰고 (Without You)/SEVENTEEN~
はじめに
今日はSEVENTEENの『모자를 눌러 쓰고 (Without You)』という曲についてお話しします。
この曲は英訳が『Without you(君なしでは)』となっていますが、韓国語を直訳すると『帽子を深く被って』となります。
韓国語の曲なので、翻訳されている方の訳を参考にさせていただきました。
一つ目のダンス動画を見ていただけるとわかるのですが、この曲の前に、『울고 싶지 않아(泣きたくない)』という関連する曲があります。
この曲は「別れ」をテーマにしていると、私は考えています。
しかし、『泣きたくない』よりも吹っ切れた感情が多くあると思います。
それでも完全には断ち切ることができていない感じもします。
瞳に君を映させて
始めの歌詞は、大切な人と別れた直後の様子だと思いました。
私は、この曲には物理的な別れだけではなく、「精神的な別れ」も当てはめて考えていました。
ここの歌詞から『君』という存在がどれだけ重要だったかがわかります。
この歌詞における別れがどのような原因で起きたのか、それは推測することも難しいですが、『もう一度俺の瞳に君を映させてくれ お願い』という言葉が切実で、苦しくなるほどです。
私は、こんなにも帰ってきてほしいと思うような人と出会ったことがありませんが、『もう一度俺の瞳に君を映させてくれ お願い』という歌詞には少し胸に刺さるものがありました。
このnoteでは初めてお話ししますが、私は高校生の時に気になる異性がいました。
大学進学で離れることになりましたが、仲は悪くはなかったと思います。…多分。
もう一度話したいとか、会いたいとか、付き合いたいとか、現実的に考えてはいませんが、「一目見たい」ってちょっと思っています。
別に向こうが私を認識しなくてもいいです。
むしろしてほしくない。
未練がましい欲望で恥ずかしくもありますが、ちょっと思っています。
「ちょっと思っているってことは、しっかり願っていることと同義では?」とお思いかもしれませんが、恥ずかしいので、「ちょっと」って言わせてください。
自分が持ったり、自分に向けられたりする恋愛感情があまり好きではないのです…。
「もう一度会いたい」ではなく、「瞳に映したい」という表現が、それを加速させているような気がします。
最後の『お願い』のパートはセブチの末っ子:ディノが歌っています。
力強い声が、切実さを含ませた歌い方が大好きです。
簡単には言えないこと
『戻って来る』という言葉は、相手にも自分にも期待させてしまう言葉だと思っています。
この言葉と含む意味を自分に許せるか、許せないかは人それぞれだと思いますが、私は許せません。
自分がそうできる確率の低そうなことは口に出すことができません。
…これが自分に厳しいと言われることのうちの一つなのかもしれませんね。
ここの歌詞は両親のことを思いました。
両親が中学生の頃から、ことあるごとに「将来は地元に帰って来てほしいと」言っていました。
しかし、私は「帰って来るよ」っていうことができませんでした。
自分の将来も職業も、何も明確になっていないのに、将来の自分の選択肢を狭めるようなことは言えませんでした。
勿論中学生までは、両親が絶対神だったので、「地元に帰ってくることが普通」だと思っていましたが。
だからこそ、同時に両親への罪悪感も募ってしまっています。
涙が見えないように
ここでタイトルの『帽子を深く被って』という歌詞が出てきました。
この曲は『泣きたくない』という曲の続きになっているようだとお話ししましたが、この『帽子を深く被る』という表現が「泣く」ということに関連していると考えました。
「泣きたくない」と言いながらも、その意思に反して涙は出て来てしまう。
せめてもの抵抗で帽子を深く被って、いつ『君』とあっても良いように、涙は隠しておく。
そんな心情を感じ取りました。
帽子を深く被ると前が見えにくいから、あちこちぶつかってしまう、こんな状況と心情が上手く重なっていて、深い歌詞だなと思います。
『こっちを見てくれない君は何て綺麗でひどい人なんだろう』という歌詞が大好きです。
ここは両親のことを思いました。
不平不満、恐怖心、抵抗感、と両親へ抱えるマイナスな感情はたくさんありますが、完全に嫌うことができません。
完全に嫌うことができたなら、どれだけ楽でしょうか。
私にとって、親は親です。
この言葉だけでは切ることができない関係ほど難しく苦しいものが他にあるでしょうか。
こんな複雑で、簡単には切り替えることができない感情をここの歌詞は表現していると思いました。
変わろうと思うんだ
ここからが、感情の切り替えを頑張っている様子だと思いました。
そんなに簡単ではない、『重要な存在』の消し方を実践しようとしていると思いました。
私は大学生になって、専門外ですが、教育学や心理学をかじって、両親との関係を考えるようになりました。
私の意思を大切にしてくれない人を、本当に私は優先しないといけないのでしょうか。
絞り出した答えはきっと「いいえ」です。
アドバイスは大事です。
でも、私を否定する人は私のためになるでしょうか。
私は、私を優先順位第一位にしたいです。
両親は私が大事だから私を縛ろうとするのでしょうか。
本当に、その行為に「自分が得をするから」という考えが含まれていないでしょうか。
この答えは両親にしかわからないことですが、私はもう、両親に縛れないようにしようと決めました。
私の人生です。
どうせ死ねないのなら、どうせ生きるのであれば、私の人生は私が責任をもって決めたいです。
だから『君なしで僕は 今から僕は』という歌詞に続く言葉は、
翻訳のされ方は色々ですが、意味は同じだと思います。
参考にさせていただいたサイトでは、『変わろうと思うんだ』と訳されていました。
私は直訳っぽく訳してみました。
今はまだ完全に変わることができていないけれど、「これから頑張ってみるよ」という意思を感じます。
両親へ言いたいです。
「変わろうと思うんだ」って。
いっそ狂ってしまった方が、
ここからラップパートです。
『このままじゃどうにかなりそうだ いっそのことその方が楽かもしれない』
この歌詞が印象的でした。
私も、「どうにかなって、この世界から消えたらこんな悩みも無くなるんじゃないか」って今でも時々思います。
これまでは「変わろうとおもう」って綺麗事を言っていたけど、現実はそうも上手くいかないから悩んでんだ、って話です。
もし「私が変わらなきゃ」って思った3年前に、変われてたら、こんな苦労してない。多分。
もう私が期待するような両親も、両親が期待するような私もいないのだから、こんな事散々これまででわかっていたのに、共依存って怖いですよね。
この期待はなかなか消えてくれないんです。
話せばわかってくれる、きっと私の見方をしてくれるってお互いに思ってるんです。
この状況ってどうしようもなく苦しいです。
だんだんと帰省シーズンが近づいてきました。
それに伴って、私の心もだんだん弱くなって、鬱々として、他のことに集中できなくて。
何度「変わろう」と思っても上手くいきません。
これが正直な状況です。
親という存在を自分の中で優先順位を低く考えると、生きにくくなるものなのでしょうか。
両親は「あなたの為を想って言ってるの」と言いますが、それは本当に私を見ているのでしょうか。
『あちこちぶつかって痛がっても こっちを見てくれない君は』という歌詞を聞く度にそんなことを思います。
私を見てくれているようで、見ていない。そんな感覚です。
それでも、『変わってみようとする』という歌詞が全てです。
両親とすこし離れた距離感で付き合いながら、私は私で変わっていくしかないのかもしれません。
簡単ではないですが。
さいごに
今日は、両親との話だらけで、セブチの曲に言及できてないような気がしますが、この曲を聞く度に私がぼんやりと考えていることを言葉にできて自己満足しています。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
是非聞いてみてください。
♡励みになりますありがとうございます。
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