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好きな曲は好き~夢見る頃を過ぎても/きのこ帝国~

はじめに


今日はきのこ帝国の『夢見る頃を過ぎても』という曲についてお話しします。

これまで『風化する教室』『WHY』『ヒーローにはなれないけど』についてお話してきましたが、

本曲は後半の2曲と同じアルバムに収録されている曲です。



羽化不全の身体で空を見る


この曲はシンプルで芯のあるギターと歌声から始まります。

『明け方の街ではいつも
 あなたのことを考えています
 夢みる頃を過ぎても
 幾度となく戯けて見せて
 ねえ』

この曲は作詞の佐藤さんが、バンド活動をやめていく人たちを何度も見送って作った曲ではないかと見たことがあります。
この曲も昨日の曲と同じで、寄り添いつつも私が誰かに言ってほしかったことを言ってくれている曲だと思っています。

『蝶になれない蛹もいるってさ
 待ちわびてた旅立ちの日に
 その羽が開かないと気づくとき
 どんな気持ちで空を見ていたの』

ここの歌詞がこの曲の中で一番素晴らしい部分だと思っています。
こんなにも短く、解りやすく、自分への絶望や失望、諦念感を表現することができるでしょうか。
また歌い方も、ゆっくりと一音一音大切に寄り添うように発音しており、『見ていたの』ではぽつりぽつりと、絶望感に寄り添うような歌い方だと感じました。

蛹になることができても、羽化不全で、羽が上手く形成されない、もしくはうまく開かない昆虫がいます。
この曲ではチョウで例えられていますが、またそれも秀逸で、チョウは美しいものの比喩で使われることが多いからだと私は感じています。
この美しさ象徴となるようなチョウに「きっと成れる!」と信じていた自分が、「やっと成れた!」と思った瞬間、空を自由に美しく優雅に飛ぶことができないと気付いたとき、その絶望感はどれほど大きいものでしょうか

私はこの曲に大学生の頃に出会いましたが、高校生のとき心に感じた挫折を想って泣きました
小さな町から出て、たくさんの人の中に入ってしまえば、自分の思うように生きられると感じていましたが、現実はそう甘くなかったです。

また、最近の大きな失敗にもリンクする歌詞です。
惜しいところまで行ったとき、私は「やっと自分の好きになることができる」と思っていました。
しかし、その夢がかなわないとわかった時、その瞬間から私の夢は遠くに行ってしまい、眺めることしかできません。
もう涙で滲んで明確に見ることもできません。
私はこの失敗を自分の力不足が原因だと、最近整理がついてきました。
だからこそ、またこの曲がひとしお響いて刺さって抜けないのです。
大好きです。


夢から覚めて

『明け方の街ではいつも
 あなたのことを考えています
 夢みる頃を過ぎても
 屈託なく笑って見せて
 ねえ』

ここは佐藤さんの心情を表す部分だと思っています。
夢を諦めざるしかなかった人々に向けて言ってくれていると思います。
夢をかなえる途中で出会った人々を忘れていない人がいて、他の道に進んでも貴方らしく笑っていてね、という思いです。

私はこれまで何度もお話ししている大きな失敗の家庭に大きな成功もありました。
この大きな成功で出会った人々にこの失敗を話すと、佐藤さんと同じように言ってくださる方が多かったです。
特に私が印象に残っているのは、「貴方との縁はここで終わったと、私は思いません。いつかまたどこかでご縁があることを信じています。」というお言葉です。
私は、その方の人生の一瞬に過ぎない関係であったと考えていました。
私にとっては幻になってしまった経験でしたが。
しかし、そうではなく一期一会を誠実に大切にしていらっしゃる方でした。
ずっと覚えていてほしいとは思えませんが、夏の一瞬、私を思い出していただけると私が浮かばれます。

次の歌詞です。

『明日に落ちてく
 夢から覚めて』

ここの歌詞は、
やりたいことをやりたいように、夢だけを追いかけていた人が諦めて、現実を見て、自分の実力相応なところに収まろうとした時
を表現していると思いました。
それが悪か善かは置いておいて、そうせざるを得なかったとしたら、その状態を『夢から覚めて』と表現しています。
私もそろそろ夢から覚めましょう。
現実を見るのはつらくて怖くて大力が必要で、簡単な事じゃないから、起きるところから始めましょう。
…いうのは簡単なんですけどね。


息継は上手になる?


次の歌詞です。

『あなたの横顔は歳をとるし
 あげた花も枯れてしまうだろう
 息継ぎが上手くなってきたから
 苦しさは思い出せなくなるだろう』

ここの歌詞は後半が印象的でした。
私は小学5年生の時に溺れそうになったことがあります。
それまで5年間水泳を習っていた私は溺れることはそうそうなかったのですが、一時期呼吸器が悪くなり、病み上がりの水泳で、呼吸が上手くできなくて、溺れそうになりました。
また、私がうつ状態になった時、あまりに無理をして学校に行っていたため、人前でどのようにふるまえばいいのかわからなくなったことがあります。
混乱して、頭の中がいっぱいになって、なんとなく前の席の人が気付いているような気がして、「ああ、私はおかしいんだ」と思ってしまって過呼吸になりました。

でもそんな自分の精神状態に慣れてしまった今、パニックになることはほとんど事前に避けることができますし、健常だった時のことは忘れてしまいました
これが『息継ぎが上手くなってきた』ということでしょうか。
ホモサピは適応する生き物です。
私は適応しずぎる生き物です。
苦しさへの感覚はどんどん鈍くなって、苦しさのハードルも上がっていくでしょうか。
私はまだ苦しいことが沢山あります。
私が私を諦めずにずっと生きていたら、苦しさを感じなくなる時が来るでしょうか。


輝く夢見る瞳


次の歌詞です。

『行くあても知らない僕らは
 途方に暮れていた
 空を見るあなたの瞳は
 光って揺れていた』

音楽をやっていくと決めた佐藤さんたちにとって、先輩バンドマンや夢を諦めたバンドマンはどのように見えていたのか明確にわかる歌詞です。

夢に向かっている人のワクワクしていきいきとした瞳は美しいです。
希望に満ち溢れていて、見る方向もしっかりとしています。
今はその瞳の輝きの鈍さがわかるからこそ、当時の瞳の色が印象に残るのでしょう。


気付きたくなかったこと


さいごの歌詞です。

『変わりゆく街並みをそっと
 あの頃の夜に塗り替えてみても
 変わらない物などないと
 気付いてしまった気付きたくなかった
 ねえ
 明日に落ちてく
 大人になってく
 夢から覚めて』

夢を追っていたから夢がかなうわけではないし、思い描いていたような大人になることも難しい。
これは若いの頃の無邪気さを経たからこそわかる、大人の諦念感だと思います。
気付きたくなかった諦念感に気付いてしまって、なんとなく「自分はこれぐらいで生きていかないとなんだな」と気付く。
それが大人になることだとしたら悲しいですが、しょうがないことなのかもしれません。
それがまた夢から覚めるということでしょう。

さいごに


皆さんはこの曲を聴いたときどんなことを考えましたか?

ここまで読んでくださってありがとうございました。
♡励みになりますありがとうございます。


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