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あちらの世界

2024年 5月10日(金)

今日の景色…

今日のそらやまハウス畑…
ビニールマルチのかかったままの去年の畝…
今日はそれを全部剥ぎ取りました…
結構ややこしくてしんどい作業…
でもこれが無ければ草で大変です…
毎日つきっきりで畑の面倒が出来る人なら、マルチ無しの自然栽培でも出来ますが…
そして…
その後…
その周囲全体を…
耕運機で耕しました…
ホントは一気に畝を作ってまたビニールマルチまでかけたいところでしたが…
時間と体力との相談の上…
また今度にすることに…。
昨日の草刈りでだいぶんお疲れです〜


〈気になる記事・後半…〉

「だから、その話、聞きたくないんです」さんまも逃げ出した『大霊界』が異例の大ヒットに! 丹波哲郎の魅力

(記事本文抜粋…)

丹波が、「霊界の宣伝マン」を自称し、中年期以降、霊界研究に入れ込み、ついに『大霊界』という映画を制作するほど「死後の世界」に没頭した。なぜそれほど霊界と死後の世界に夢中になったのか。
丹波哲郎 見事な生涯』より連載形式で一部をご紹介。

『さんまのまんま』での掛け合いが呼び水に

偶然にも、『大霊界』がクランクアップした当日、丹波はフジテレビの『さんまのまんま』に出演している。明石家さんまの頭の回転の速さに、丹波も打てば響くように応酬した。

「丹波哲郎さんっていうのは、われわれに対してプレッシャーを与える人間なんですよぉ」

「いやいやいや、そんなことない、そんなことない、そんなことない。あなたがたに(野太い声になり)安心感を与える人間だよ。私は『霊界の宣伝マン』だからねぇ。ところで、師匠さぁ、霊界のことについて、まずどっから入ろうか?」

「いや、その話、しないんです。その話、聞きたくないです。きょうは丹波さんの……」

「でも、いずれ死ぬんだからさ」

「いや、死にませんっ」

「『死にません』ったって死ぬんだからさ。しょうがないじゃないか」

「死にませんって」

「まあ、いいや、いいや。じゃあ死なないと仮定して」

「だから、その話、聞きたくないんです」

「ああ、聞きたくないの」

「きょうは丹波さんの趣味とか」

「趣味! はぁ~、趣味は霊界だもん」

「それ、趣味なんですかぁ!?」

「趣味なんだよ。趣味というよりもねぇ、もう趣味を通り越して」

「だからね、ほな、趣味の話はやめてぇ、お休みの日なんか、何してらっしゃるでしょうかねぇとか、そういう話を……」

「ああ、お休みの日! 霊界について考えてる」

「(困り果てた顔で)あはぁ、だから、あのぉ、お休みの日に関するインタビューもやめましてぇ、お仕事のね、話を聞きたいなぁなんか思ってね」

「お仕事っていうのは、いま霊界の、ほら、『大霊界』って映画つくってるでしょう? きょうクランクアップなんだ。きょうの朝、クランクアップしたの」

「あっ、そうですかぁ?」

「うん、いやぁ、もうとにかく」

「あれでしょう? ボク、知ってます。『大霊界』っていうのは、(おどろおどろしげに)『あの世とこの世は地つづきだぁ』ゆうやつでしょ?」

「(他人事のように憮然とした口調で)あれは、いったい誰が言ってんだ!? (はっと気づいたように自分を指さして)あっ、オレが言ってんだ! あっ、そうだ!」

さんまがいきなりソファーから立ち上がり、背を向けて逃げ出す。丹波は、あわてて呼び戻そうとする。

「ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、師匠、師匠、まあ、まあ、まあ、すわんなさいよ。ごめん、ごめん、まちがえた。あれは僕が言ったんだ。そう、そう、そう、それをタモリがマネしてるんだ!」

「タモリさんも怒ってましたよ。最初、『いやぁ~、たけしくん』とか言ったそうでんなぁ」

「うん」

「過去の栄光とか、何もかもスパーンと捨ててはるんですね?」

「過去の栄光? あたしはね、何でも自分のものってのはないって思ってるんだよ。何でも、自分のものというのはないっ!」

「(『こりゃもうあかん』とでも言いたげに)はぁ……」(『さんまのまんま』1989年1月20日放送、会話の一部を省略)

👉何ともコントのようなナイスコンビなやり取りのお二人…。
記事で文字で読むだけでも思わず笑ってしまいますよね〜。
そんなさんまさんと丹波哲郎さんの姿が目に浮かびます…

でもそんな丹波哲郎さん…。
中にはちゃんと大事なことも語られています…。

「過去の栄光? あたしはね、何でも自分のものってのはないって思ってるんだよ。何でも、自分のものというのはないっ!」

これが「あちらの世界」である「霊界」の基本のようです…。

他にも「あちらの世界」には大切な基本がたくさんあると思いますが、この丹波哲郎さんの生き方にもあるように、大事なのは「あちらの世界」での基本を「こちらの世界」でも同じように大切な基本として生きること…。

そこが大事なのかもしれません…。

そして…
「あちらの世界」のように「こちらの世界」でも生きれるようになるために、「こちらの世界」にいる間にできるだけ早く「あちらの世界」のことを知る必要があるのかもしれません…。

「あちらの世界」を知ることは…
「こちらの世界」をより良く生きるためにも必要なこと…。

そしてもちろん…
いつの日か「あちらの世界」に行ったときのためにも…。

丹波哲郎さんは…
そんな2つの世界を股にかけた「宣伝マン」だったのかもしれませんね…

〈気になる記事・前半…〉はこちらから…


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