31. 「多文化共生社会」って?
日本語学校で外国人留学生に日本語を教える日本語教師には、「登録日本語教員」という国家資格が必要となります。背景には、日本語を学ぶ外国人が増える一方で、日本語教師の質・数ともに不足しているという状況があります。私はフリーランスで自宅で仕事をしているため、この資格がほぼ必要ないのですが、一応取得しておこうかなと考えています。
また、教師の質の向上を図るため、「現職日本語教師研修プログラム」というものが巷でいろいろと行われています。私は最近「就労者に対する日本語教師【初任】研修」を受け始めました。日本語教師としてはもう15年くらいのキャリアがありますが、この研修を通じて就労者に対する日本語教育の理論をしっかりと押さえようと思いました。この研修は6月の終わりから始まり、来年の2月の初めまで続く長いプログラムです。
私のクライエントは日本に住む外国人の社会人が多いです。このため、就労者に対する日本語教育の理論的な理解を深めることで、より質の高い日本語のクラスを提供したいと考えています。
さて、先日この研修の講義中に「対等的多文化共生」という概念が紹介されました。これは、「先住文化」の者と「新来文化」の者が対等・平等に参加する形を指すようです。講義では、この概念が「日本人」対「外国人」という構図で捉えられているように感じました。
「多文化共生社会」とは、異なる文化や民族の人々が共存し、お互いの文化や価値観を尊重しながら調和して暮らす社会を指すようです。しかし、私は「多文化」をもっと身近なものに感じています。例えば、1985年に制定された「男女雇用機会均等法」以降、日本の女性の職場進出は進んだものの、働く女性の地位はまだ完全に向上していません。その中で、日本女性は地道に自分たちの価値を言葉や行動で男性に示し、少しずつ地位を向上させています。このような「性差」も1つの「文化」だと感じたのです。
このように考えると、「先住文化」と「新来文化」のような分け方はちょっと変ではないかと思い始めました。社会の最小単位は「家族」であり、同じ日本社会にいても人それぞれの「家族」の「文化」は異なります。そして、家族の中でも一人一人の考え方は違います。つまり、人間一人ひとりが「文化」を持ち、それはそれぞれ異なるのです。
ですから、「多文化共生社会」は「先住文化」と「新来文化」の共生ではなく、「個人」と「個人」の共生で考える方が自然ではないでしょうか。
私は、「多文化共生社会」とは、「異なる文化や民族の人々が共存し、お互いの文化や価値観を尊重しながら調和して暮らす社会」というより、「すべての人々が平等な権利と機会を持ち、差別や偏見が限りなく少ない社会」を指すのではないかと思ったのです。
だってさ、男尊女卑的価値観を尊重しながら共生するなんて、やだよ、あたしゃ。
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