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息子に紡ぐ物語

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1男1女の子供を持つ平凡なサラリーマンと、父で作家の「長谷部さかな」は、不思議なキッカケから毎日メールをやりとりすることに。岡山県の山奥にある見渡す限りの土地や山々はどのように手…
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#松田氏

【350日目】:長谷部氏か松田氏か

【350日目】:長谷部氏か松田氏か

ご隠居からのメール:【長谷部氏か松田氏か】

我が家のご先祖は尼子の落人という言い伝えがあるが、同じ言い伝えは隣家の松田氏にもある。松田氏の墓地にはご先祖様の墓だけではなく、祠もあるという。

尼子氏の歴史をみると、尼子十旗の筆頭に松田氏の名がある。宍道湖北岸の白鹿城主が松田氏を名乗っており、特に松田誠保は尼子十勇士の一人に数えられている。白鹿城は美保関及び中海の水運を押さえる商業・経済の要衝であ

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【272日目】:昨日の敵は今日の友

【272日目】:昨日の敵は今日の友

ご隠居からのメール:【昨日の敵は今日の友】

「応仁の乱」が地方に飛火して、出雲では南朝の守護山名氏と北朝の佐々木京極氏が対立関係に入った。という状況になると、出雲や備後の有力国人たちは、どちらかへの加担を表明しなければならなくなった。国人としての存在感を発揮したければ、中立は許されない。

そこで、京極氏か山名氏(後には大内氏か尼子氏、さらには尼子氏か毛利氏)のいずれかと婚姻関係を結ぶことになる

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■【より道‐78】戦乱の世に至るまでの日本史_「佐々木一門」の整理②

■【より道‐78】戦乱の世に至るまでの日本史_「佐々木一門」の整理②

平安末期、鎌倉末期、建武の新政、室町初期などの中世のファミリーヒストリーを学ぶことによって、戦国期の動乱がより一層理解できて気がします。

やはり、日本の歴史は、天皇を中心に武士たちがつくった歴史で、一族を繁栄させるために、血縁や領地を広げてきました。武家の中心は、やはり、「足利一族」で、次に影響力をもったのが、「佐々木一族」だったと思います。

「佐々木一族」が「足利一族」に次ぐ、チカラを得るこ

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【218日目】 ソーシャルディスタンス

【218日目】 ソーシャルディスタンス

ご隠居からのメール:【ソーシャルディスタンス】

長谷部氏にとっては近くて遠い両隣の親戚の松田氏と信谷氏とは、今でいうソーシャル・ディスタンス(社会的距離)をとる間柄だったと思う。顔を合わせれば、礼儀正しく挨拶をかわすが、日常生活ではお互いに深入りはしない。

ただ、そんな風に感じていたのは、自分がひとりぽっちで「浮いている子供」だったからかもしれない。大人たちは、冠婚葬祭や集落の催し事の相談のた

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【183日目】図書館の予約

【183日目】図書館の予約

ご隠居からのメール:【図書館の予約】

それでは、9月21日(火)は午前10時に都立中央図書館、午後2時に浅草寺ということにしよう。浅草寺には駐車場がないので、地下鉄日比谷線から銀座線に乗り換えたほうがよいと思うが、どうか? その場合は地下鉄日比谷線で広尾まで行き、図書館一階ロビーで待ち合わせることになる。

図書館の予約は、それぞれがする。浅草寺の回向は午後2時までに入館の要あり。ランチをゆっく

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【182日目】菩提寺

【182日目】菩提寺

ご隠居からのメール:【 菩提寺】

>>ご先祖さまが毛利の武将だと疑う根拠に「菩提寺」も入れといて。

ーー了解!大倉山の鬼の逸話を書いた長谷部絢光の視点からすると、菩提寺はたしかに重要なポイントだ。氷室神社はよいが、八幡神社や曹洞宗高林寺はよくないというのが、日本古来の神道の思想にあるとは、それまで気がつかなかった。。

柚木脇治恵さんによれば、八幡神社を氷室神社に合祀(?)するという話も出てい

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【141日目】架空の先祖名

【141日目】架空の先祖名

ご隠居からのメール:【 架空の先祖名】

では、架空の先祖名、馬之助(1600年頃)と熊之助(1700年頃)を採用し、與左衞門さん(1800年頃生れ、1868年頃没と推定)と合わせて、わが長谷部家のファミリーヒストリー三大キーパーソンとして活躍してもらうことにしよう。

先祖名は架空の人物だが、その前後の歴史的事実、たとえば、太閤検地とか上月城の落城とか天明の大飢饉(1782年-1788年)、黒船

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【27日目】DNAのつながり

【27日目】DNAのつながり

ご隠居からのメール:【DNAのつながり】

松田氏の一族は全国に集団が散らばっているようだね。井上氏も同様。両氏に比べれば長谷部氏は少ないが、長谷氏や長谷川氏も一族だと考えれば、大集団になる。グローバルダイニングやワタミの社長も長谷川氏だ。そういえばマコは両社ともに一時期働いたことがある。

われわれのDNAがつながっている可能性のあるご先祖に限定して考えれば、長谷部氏では毛利方の元信、尼子方では

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【24日目】松田氏は二系統

【24日目】松田氏は二系統

ご隠居からのメール:【松田氏は二系統】

松田氏は二系統。八幡宮の氏子代表である松田氏と氷室神社の氏子である松田氏の二系統があるようだ。『新見庄 生きている中世』の地図によれば、長谷部氏の実家が「秋末」隣家松田氏は「重久」という名になっている。

 実は領家方(東寺)と地頭方(尼子氏、毛利氏、新見氏)の土地が複雑に入り組んでいる。秋末(→長谷部氏実家)の土地は領家方、重久(→松田氏)は地頭方だ。

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【20日目】吉野村の謎

【20日目】吉野村の謎

ご隠居からのメール:【吉野村の謎】

【謎の回答】
①いつ、長谷部の子孫は吉野里もしくは高瀬に移り住んだのか
⇒長谷部の子孫が吉野里もしくは高瀬に移り住んだのは、たぶん上月城の戦いの後。

②なぜ、長谷部は広い土地を持っているのか
⇒たぶん先住民の鬼を追い払って、自分の土地にし、権力者(東寺、尼子氏、毛利氏、新見氏、豊臣氏、徳川氏などの代官とテイクアンドギブの交渉をしながら、しぶとく生き残った。(

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【19日目】吉野村

【19日目】吉野村

ご隠居からのメール:【吉野村】

角川地名大辞典の奥村(中世)に関して「鎌倉中期当村は高瀬村と中奥村とに分れた下って室町の寛正2年・・・・・・」という記述は、あまり信用できない。「分れた」と「下って」との間の句読点が抜けているのは校正不足。「当村」とは 「奥村」のことだと思うが、そうなると、吉野村・高瀬村の他に奥村という地名があることになる。奥村は正式な村の名称ではないと思う。

 「鎌倉中期当村

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