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【27日目】DNAのつながり

ご隠居からのメール:【DNAのつながり】

松田氏の一族は全国に集団が散らばっているようだね。井上氏も同様。両氏に比べれば長谷部氏は少ないが、長谷氏や長谷川氏も一族だと考えれば、大集団になる。グローバルダイニングやワタミの社長も長谷川氏だ。そういえばマコは両社ともに一時期働いたことがある。

われわれのDNAがつながっている可能性のあるご先祖に限定して考えれば、長谷部氏では毛利方の元信、尼子方では松田誠保にまでさかのぼれば、それ以上、網をひろげなくてもよいと思うが、両者が手を握ったとことを示す資料は発見されていない。おそらく新資料の発見は難しいだろう。

備中新見庄には尼子氏の勢力が浸透したが、その主力は東寺の代官新見氏だ。松田氏の落人は白鹿城が落城したのでやむをえず、吉野村に落ちのび、吉野村を高瀬村に改称したのだろう。

何故、松田氏の居城の名にあやかって白鹿村としなかったのかという謎は残るが、それは落人の身ゆえ、遠慮して少しは縁のある高瀬村という村名を選んだのではないかと思う。

高瀬城の城主米原氏の子孫は村内に実在しないが、原のつく姓や屋号の家は大原、上原、下原、向原が実在する。

下原、向原には長谷部與一の妹が嫁いで、選挙の際は多大の支援をしてもらった。

返信:【Re_DNAのつながり】

長谷部氏と松田氏がつながっている資料がどこからか出てきたら、嬉しいけど、今後もし出会えたらと願いながら人生の楽しみにするよ。

今回は、おおまかな流れが知れただけでも良かった。ご先祖さまも、少しは喜んでいただいているかもしれない。また、蒼士郎に「長谷部」の名は天皇からもらった大切な名だということをちゃんと伝えることができる。

あと、お父さんの随筆に記載のない、1600年以降のことをフィクションでも想像すると楽しみが増えそうだ。

【歴史】
1550年:尼子時代に備前松田氏と出雲松田氏が枝分かれ
1555年:長谷部元信「厳島の戦い」で活躍する
1563年:出雲松田氏は「白鹿城の戦い」で毛利氏に敗れる
1566年:尼子再興軍「月山冨田城の戦い」で毛利氏に敗れる
1568年:備前松田氏は「金川城の戦い」で宇喜多氏に敗れる
1600年:「関ケ原の戦い」で毛利氏は動かず
1600年:毛利氏112万石が36万石に。
1600年:宇喜多氏は小早川氏の裏切りで滅亡
1600年:小早川氏が岡山藩主となり高瀬管轄
1602年:小早川氏はわずか2年で死亡
1603年:森可成の子忠政が津山藩立藩
1603年:江戸幕府創立
1615年:大阪夏の陣
1697年:関長治が新見藩を立藩
1867年:大政奉還
1868年:明治維新政府
1871年:廃藩置県(弥左衛門さん)
1889年:明治立憲体制の成立(友次郎さん・いしさん)
1914年:第一次世界大戦(勝次郎さん・ツネさん)
1939年:第二次世界大戦(輿一さん・貴美子さん)


関ケ原で敗れてから、大阪夏の陣の1615年まで、長谷部氏と松田氏は特に大変だったと思う。帰農して、徳川家康から名を隠しながら生き延びなければいけない。

新見藩ができたころには、まわりも過去を忘れ、安心して暮らしていたのではないかな。明治維新のときは、きっと岡村家が大変だったね。


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