28年間のスピードで鈍く光る

 自分より全然若い人の活躍が目立つ度、自分の中で才能という言葉が戦うようになったのはいつからだったか。
「努力こそ才能である」という言葉はあながち間違っていないと思っていて、生まれた環境や、遺伝子や、地位や、金銭的余裕がある人しか夢を実現できないという思い込みを、持たざる人は実現して一蹴している。


でも、
努力しないと絵は上手くならない。
努力しないと言葉は紡げない。
努力しないと音は奏でられない。
努力しないと人と人とは繋がらない。
努力しないと資格は取れない。
努力しないとフォロワーは増えない。
努力しないと登録者数は増えない。
努力しないと痩せられない。
努力しないと恋人はできない。
努力しないと結婚はできない。
それは、お金が邪魔している。
それは、仕事が邪魔している。
それは、両親が邪魔している。
それは、過去が邪魔している。
それは、祖父母の言葉が遮っている。
それは、上司の言葉が遮っている。
それは、身体の衰えが遮っている。
それは、自分自身が遮っている。


「夢を追いかけるのに年齢は関係ない」という言葉は才能がある人側の意見だ。
いろんな人は夢を追うのに億劫だ。不安だ。恐れだ。不可能だと思う。億劫だ。
だって自分が自分に無理だって言うんだ。諦めろって。諦めるなって。じゃあどっちなんだって。負けてられるかって。でもどうやって夢を追うんだって。あいつらみたいに輝けるのかって。もう若いと言える年齢じゃないんだよって。


やがて話題の波に去り行く中にあったとしても、一瞬だけ、一時だけでいい。まばゆい光を放って輝けた方が、そっちの方が幸せだ、と思う。
くすぶり続けた28年の人生の中で、そう思う。

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