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学舎を都合よく内在化

学生時代の勉強は、すっごいやらされている感がありました。とくに、自分の苦手科目や興味がわかない科目。

受験生前だと、それらの科目は子守唄に聞こえ、睡魔に負けることを受け止めつつ戦っていました。勝敗は言わずもがな、黒星の中にイレギュラーで白星がポツポツ光る程度でした。

それが受験生には通じなくなる。受験というプレッシャーがあるから、苦手だとか興味ないとか言ってられない。とにかくやるしかない。
得点得点得点得点得点に追われる日々から、何度逃げ出したいと思ったことか……。

受験が終わったあの開放感は、痛快でしたが、もう忘れました(笑) ただ肩と心が軽くなったのは覚えています。

他方、現代社会人は勉強しない人が多いそうです。とくに、日本は社会人の勉強する割合が低いそう。

社会人 = 机に向かってする勉強との別れ = 勉強不要のような認識があるのだと思います。これは社会人だけでなく、子どもでも同じではないでしょうか。

勉強 = 苦痛で退屈なもの、というマイナスイメージが根深く存在しています。

しかし、義務教育前の子どもたちは、そんなイメージを抱いていません。常に眼を輝かせて、世界中に向かって質問を投げています。

だって、身の回りにあることのほとんど知らなく、すべてが新鮮だからです。そして、点数を採る義務も責任もないのですから、己の好奇心に傅くことができる。

それが年を重ねるに連れ、眼の輝きは鈍り、身の回りのことを知っているように思い込み、そして点数の圧が乗っかてくる。
これじゃあ、勉強 = 辛いものになってもしょうがないです。辛い勉強をするからには、点数とかすぐに効果が反映される科目や分野を勉強せざるを得ません。

数学や英語はその代表例。家庭科や音楽は、どんなに得意だとしても(別のベクトルで脚光を浴びることもありますが)、点数にはつながりません。

なんか、こういった風潮って、学問の本来あるべき形ではないと思うんです。役に立つとか立たないだとか、点数になるならないだとか一切関係なく、各々がやりたいものやればいいはずです。

とはいえ、学校の役割も大事なのは分かっています。ただ、もう少し、点数から開放されてもいいのでは?とは思います。

逆に言えば、社会人は学問上で点数を競う必要はありません(仕事だと売上とかあります)。それすなわち、社会人は自分の好きなことを好きなだけ学べる自由があるということです。

社会人になったら、勉強とサヨナラばいばいするのではなく、点数から開放された自由な学舎を自分の中に建設すればいいのです。
そこでは、点数の良し悪しは関係ないし、興味ないなと思ったら損切りできる、勉強を自由に施すことができます。

生涯学ぶというスタイルを作る第一歩は、点数から開放されることです。そうすれば、気軽に勉強し続けられるのではないでしょうか。

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