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「僕のヒーローアカデミア」は、世相を表している作品だと思う

ローマのディオクレティアヌス帝(帝政期)は、引退後はキャベツを育てていたそうです。

さて、いきなり関係のない話で始まりましたが、今回「も」ですね、「僕のヒーローアカデミア」について語りたいと思います。僕のヒーローアカデミア関連の記事は、これで大体16記事目くらいですかね。まだまだ書けそうなので、100記事くらいまではどんどん書けると思います・・・!

では、参りましょう・・・。

オールマイトの引退が意味するもの

作中においては、単行本の11巻で、オールマイト引退を物語っている回があります。オールマイトに頼り切っていたしわ寄せがやって来たのだと、国家のお偉いさん(?)が口をそろえるシーンを思い出します。

オールマイト引退後には、「象徴の不在」という言葉がよく聞こえます。この「象徴の不在」という状況こそ、まさに現代社会を表しているものではないでしょうか。

どこか、確かに「ヴィジランテ」という僕のヒーローアカデミアの外伝を読んだ時に、オールマイトを「デウスエクスマキナ」だと呼んでいるシーンがあったような気がします。簡単に言えば、絶対的な力を持つ神のことです。この神っぽさは、「僕のヒーローアカデミア」の第一巻でも描かれているかと思います。

その神、チート、象徴と呼ばれる人が、引退したということになれば、必然的に世界はカオスに陥ることでしょう。犯罪を抑制する装置そのものが消え、如何なるヴィランの集団が台頭してもおかしくはないということになったのですから。

つまり、「正義」の乱立をこれは意味すると思います。「死穢八斎介」「チームレザボアドックス」「異能解放軍」「ヴィラン連合」「超常解放戦線」「ナイン」など、各々の世界を実現しようとする、各々の正義を持つ者がどんどん活動し始めるのです。

なぜなら、そこには唯一の「神」がいないからです。ニーチェが指摘するように、「神が死んだ(凋落した)現代」のような状況だと思います

僕のヴィランアカデミア

堀越耕平先生は、「僕のヒーローアカデミア」において、ヴィラン側の描写を非常に細かく行います。

例えば、死柄木弔なら、幼少期、オールフォーワンとの出会い。ジェントルクルミナル(飛田弾柔郎)なら、青年期と、ヴィランに堕ちた原因。オーバーホール(治崎廻)なら、幼少期と、組長との葛藤のシーン。リ・デストロ(四ツ橋力也)でも、母親に関することをほのめかすような発言をするシーンもあります。

全員が全員、ヴィラン側の背景描写がなされているわけではないのですが、敵とされている人たちについて、こんなにも深く掘り下げているものはないと思います。

ヴィラン(とされている)ものにも、それ相応の理由や事情があると、堀越先生は描きたいのではと感じます。生来から悪であったので、悪だというヴィランは、ほとんど存在しません。(オールフォーワンはちょっとグレーですが)

ほとんどの人が、なにがしかの状況から、ヴィランという立場にならざるを得なかったということを、例えば、渡我被身子のように、生きやすい世の中を望んでいる子がいるということを、自分がせめて「自分らしく」あろうとしいているだけであるのに、何故かそれが社会的に悪とされるというジレンマがそこにあります。

all it takes is one bad day

同じく、ヴィランに関連したものです。敵、ヴィラン(とされるもの)には、明確な敵意や悪意というものがあるかと言われれば、それは必ずしもそうではないと思われます。気づいたら、なんとなく、というのが、実情なのかもしれないということを、この「僕のヒーローアカデミア」から読み取ることが出来る気がします。

all it takes is one bad day という言葉は、バッドマンの敵、「ジョーカー」に関連している言葉です。この英語の一節、ヒロアカの単行本のタイトルにもなっており、わざわざこの言葉を採用したということは、「ジョーカー」を意識しているのかなと思います。

「ジョーカー」に関して樺沢紫苑の『父滅の刃』に興味深い記述があります。

『ジョーカー』というのは、「父親殺しをテーマにした映画」ではなく「父親殺し古くさい過去の物語」「父親殺しの時代は終わった!」ことを宣言している映画なのです。ラストシーンでは、精神科医を殺して、能天気に、そして楽しげに、陽気に飛び跳ねながら消えていく男の姿が‥‥‥。そこには、「正義」も「秩序」も「規範」もない。規範の喪失、父性の消滅。そして狂気。〔中略〕ある意味、戦慄が走る怖いエンディングです。(樺沢紫苑、2020、333)

「ジョーカー」。「僕のヒーローアカデミア」25巻:「all it takes is one day」は、やはりどこかで共通しているところがあるのかなと思います。一見、「僕のヒーローアカデミア」では明確な正義が描かれているように見えますが、その正義は結構な曖昧なものだと私は思います。オールマイトが引退し、平和の象徴が消えた状況の中で、「ジョーカー」が表すように、「「正義」も「秩序」も「規範」もない」ということを意味しているのだと思います。

(今面白いネタ思いつきましたが、それは別の記事で書こうと思います)

「僕のヒーローアカデミア」25巻:「all it takes is one day」は、ヒーローものの作品ではめずらしく、ほとんどが「ヴィラン側」の内容ですし、表紙もヴィランが書いてあります。また内容を見ていくと、「「正義」も「秩序」も「規範」もない」ということを表す要素がどんどん出てくるので、面白いところがあります。

持たざる者への見下し

これもまた私の推測でしかないのですが、「僕のヒーローアカデミア」には、「持たざるものへの見下し」のようなものが蔓延っている(?)のかなと思います。

例えば、主人公である緑谷出久を、個性を持たないというわけで、クラス名メイトの全員が彼を見下してさえいます。

またオールマイト自身も、緑谷出久を「持たざるものへの見下し」のような態度を取ったシーンさえあります。

そしてワン・フォー・オール初代に対しても、「オールフォーワン」が「持たざるものへの見下し」という態度をとっています。

これは、「考察 緑谷出久の父親が出てこないのは何故か・他:僕のヒーローアカデミア」という記事の内容に繋がってきます。


ということで、僕のヒーローアカデミアについて、色々と書いてみました。読めば読むほど、どんどん色んな魅力が出てくるので、是非読んでほしいです。おそらく私も、僕のヒーローアカデミアの魅力はまだまだ知らないですから・・・。




今日も大学生は惟っている。


引用文献

樺沢紫苑.2020.父滅の刃 消えた父親はどこへ アニメ・映画の心理分析.みらいパブリッシング


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