見出し画像

(一つの)アウラから、複製へ。アウラの消滅から、それぞれのアウラの創出へ:その一


気晴らしに、はなおさんの動画をyoutubeで見ていると、突然グッズを販売してくれるサービスの広告が流れてくる。イメージがあるだけで、後はグッズに(実際の物に)プリントして、それを売ってくれるサービスのようなものかなと予想。(あぁ代行の究極の細分化)

あぁ。そういえば、最近youtubeで見る人見る人、有名ではない人も含めて、自分のグッズを販売している人をよ~く見かける。概要欄には、だいたいの場合、自分のグッズ販売を行っているリンクとか、購入を催促するような文言が、無機質にならべられている。

四つ目の系(レゾー

真っ先に浮かんだ言葉は、これだった。「系(レゾー)」の話しは、「「観光」は音楽の二つ目の系から?」でも少ししているが、今回注目したいものは、三つ目の系(レゾー)と、四つ目の系(レゾー)だ

ヴァルター・ベンヤミンが指摘する様に、複製技術が発達したり、新聞などのマスメディアへの投稿が可能になることによって、「アウラ(一回性の価値)」が後景化する。複製技術により、より速く、より容易に、モノが手に入るようになる。多くの人が、つまり大衆が、同じようなものを手に入れる。(ヴァルター・ベンヤミン、2000)(高度経済成長期の日本みたいなイメージかな。)

そのような時代にあっては、「アウラ(その場限りの価値)」というものは、どこにもない。質的にも、量的にも拡大を目指すだけで、どこまでもほぼ同じになる。ある意味では、レプリカント。

ここで、複製技術やアウラの消失に関連して、「三つ目の系(レゾー)」についての、とある文章を引用する。

第三の系、即ち、反復の系は一九世紀末、録音技術の発明によってもたらされら。〔中略〕この系はもはや、社会性の一形態でも、観客相互の出会いとコミュニケーションの機会でもなく、ただ音楽の莫大な個人的ストックへと道を開くにすぎない。〔中略〕すべての社会関係の画一的大量生産、反復的生産の段階を告知するもの(ジャック・アタリ、2012、57)

完全に、この三つ目の系(レゾー)から脱出したわけではなく、相変わらず現代の社会はこの系の特徴を確かに反映している。反復がもたらす、大量生産、誰もかれもが同じようなものを手にすることが出来る。そういった点で言えば、ポジティブなものとして捉えることが出来るかもしれません。

映画、本、音楽、食品(?)、動画、車、観光。現代社会のあらゆるものは、「反復」の産物。複製技術の恩恵を受けるもの。しかしながら、常にこの三つ目の系(レゾー)に満足している人間ばかりではありません。


続く


参考・引用文献

ヴァルター・ベンヤミン.2000.複製技術時代の芸術作品.(多木浩二訳).岩波書店

ジャック・アタリ.2012.ノイズ 音楽/貨幣/雑音.(金塚貞文訳).みすず書房


サポートするお金があるのなら、本当に必要としている人に贈ってくだせぇ。