結婚は差別を再生産する?
「選択的関係」の主流化は、婚姻を通じて二段階の格差をもたらす。その第一段階として、まず、資源の量に応じて結婚できる人/できない人を選別し、つながりの格差をもたらす。次に、業績主義的な同類婚を通じて、カップル間の格差も拡大させる。これらの格差は新たな身分集団を形成すると同時に、排除者を生み出す可能性がある。(石田光規、2018、75)
最近は、「結婚さえすれば幸せになる」という考えをあまり耳にしなくなった気がする。
これも結婚の、「包摂と排除」という機能のおかげかな・・・?
結婚とはつまり、自分や自分が婚姻する対象、親族を”包摂”し、それ以外の人を”排除”するものだと私は考える。
引用には、「排除者を生み出す可能性がある」とあるけれども、そもそも結婚というシステムそれ自体が、「排除」という性質を備えているのでなかろうか?
現代は、それが現れたというよりかは、その傾向が強くなったに近いだろう。
では、「結婚」というものに形成される階層について、もう少し詳しく。
※結婚を「しない」人は除く
まず結婚できない人たち、その中で、男は特に頼りない輩と思われるかもしれない。(残念ながら、今の日本は稼げない男性は結婚するのがやたらと難しい・・・。)
次に、結婚した人たちでの格差。
収入の多寡が主に影響を与え、収入が十分にあるカップル、無いカップルという格差ができる。
つまり、
下から
結婚できない人々
カップル(少ない収入)
カップル(十分な収入)
という階層が出来上がる、ということになる。
いやもしかしたら、階層というよりも、もはや「階級」に近いかもしれない。
(おい、日本国憲法どこいった・・・)
少子化だなんだと言われていますが、だからといって婚外子は容認されづらい、そのままショットガンマリッジになる蓋然性が大きい。
さて、あなたは結婚・・・しますか?
と
今日も大学生は考えている。
引用文献:石田光規. (2018). 孤立不安社会 : つながりの格差、承認の追求、ぼっちの恐怖. 勁草書房
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