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専攻、でどれにマークすっか迷う

このあいだ(こないだ)、TOIECの試験を受けたときに、一瞬考えてしまったことがある。

「あなたの専攻はなんですか。該当するマークを塗りつぶしてね!」という質問。

僅かながら、二分ほど、手が止まってしまったような。自分の専攻って、なんなのだろう。そこには、いろいろ書いてある。よく思い出せないからここには打たないけど、その一覧を見て、ワタシはどれにマークをすればいいのかわからなくなってしまった。

いっそのこと、二つマークしてやろうかとも思ったが、何故かTOIECは、一つのみのマークだったので、自分がなんとなく好きなもんにマークした。

なぜだろう。なぜ、一つのマークだけなのだろうか。正直、ワタシは自分が何を専門として学んでいるかが定まってはいない。なんなら、二つ目、或いは三つ目の専攻らしきものがあるといっても過言ではないというか、そもそも所属している学部が、横断的な学びを要求してくるから、専攻という概念すらあまり適切ではない気がするのだ。

こう思ったところで、以前「あと10回くらい大学生に成りたい」という記事を書いたときに、こんな文章があったことを思い出す。

大学の4年間という期間が怖ろしく短く、やりたいことのほとんが達成できないということ。というのも、自分語りになってしまうが、大学生に成ってから、学問を学ぶことの、考えることの楽しさを奥深さを知ったからだ。〔中略〕学問というものに触れる中で、自分があまりにも無知であることを知り、さらに知的好奇心が刺激される。また学ぶ中で、自分が無知であることを知り・・・という風に無限かとも思われる連鎖がそこにはある。

大学四年は、長いようで短い。いや、短いと言った方がいいかもしれない。気づけば2020年の12月が終わろうとしていて、気づけばもう少しで学部の三年生になってしまう。うっそ。こっち全然学べてないんだけど。圧倒的に時間が足りないんだけど・・・。時間は作れというけれど、毎日毎日本を読んで、大学の講義以外からも自分で学んでいた割には、十分とはいえなかった。

大学生(学部生)は、なぜこんなにも短く感じるのだろう、という疑問はさておいて。専攻に話しを戻してみれば、専攻を一つに絞るとういか、一つの物であると捉えること自体に疑問を抱いた。専攻として表現の容易なものもあれば、そうでないものもあるのではないだろうかということも関係しているかもしれんが。

さて、「専攻」という話題に関して、「大学という理念 絶望のその先へ」という著書から引用したいと思う。

日本の大学の現状は、入学するための試験は難しいが卒業するのは簡単であることから、殻のみが固く骨の通っていない甲殻類に喩えられる。これを変えていくには、学部ごとの壁を薄くし、そこに芯を通して甲殻類から脊椎動物に変容させなければならない。〔中略〕具体的には、学生が主専攻と副専攻を同時に学ぶダブルメジャーないしメジャー・マイナー方式を学部段階で導入する必要がある。(吉見俊哉、2020、103-104)

なるほど、これならば、ワタシのこの悩みもあまり辺鄙なものでもなくなるかもしれない。皆が、専攻を複数(二つ以上)持てば、特定の分野の狭い知識に囚われることもなくなるかもしれないし、なにより知識の幅がひろがるかもしれないし、コネクティング・ドットが起こりやすくなるかもしれない。

全部、「かもしれない」だが、ワタシはこっちのほうがなんとなくいい気がする。後これは、普段思っていることなのだけれど、このようにダブルメジャーという制度があろがうがなかろうが、大学生は複数の専攻を学ぶという気概でいたほうが良い気がするのです。。

神聖ローマ帝国では、いわゆる近親交配のようなものが行われていて、つまり純血として血筋を守るためのものだったらしいのだが、年を経るごとに、身体がどんどん弱っていったらしいのだ。当時の絵もあるにはあるらしいが、不健康であること、或いは身体が弱いことをそのまま表現したのではなく、健康に見せて描いていたとか。

つまり何を言いたいのかというと、近い分野の、或いは同じような分野ばかりで考えていたり、固まっていたりすると、思考というのはどんどん弱くなっていくのではないだろうかという推測だ。むしろ、遠く離れているように思われるもの、「解析学と英語学」「物理学と社会数理学」「経営学と哲学の存在論的展開や現象学」「フランス文学と観光人類学」とかね?

しかしながら、ことはそう易々と生きそうにはない。今(ワタシが)メインで学んでいる観光学の場合は、よく分からなくなっている気がするのだ。

観光についての既存知識は、これらの問題に直ちに答えることができるほど蓄積されてはいない。「観光学」なるものが提唱されているが、いまだ成熟していない。観光学の仮面をかぶっているが、それは社会学、文化論、交通論、都市論、経済学、マーケティング論など一つかあるいはそれらの寄せ集めに過ぎない。(田村正紀、2013、2)

これは一つの意見に過ぎないのだけれど、だからといって無視することは出来ないものだと思う。観光学ってのが、なんとなくあるけれど、純然たる一つの学問として確立しているのかと言われれば、正直よくわからない。

観光社会学、観光人類学、観光経営学、観光経済学、観光地理学、観光文学、観光福祉学、観光言語学(?)。「観光」という言葉を付ければ、なんとなくそれっぽく見えるけれど、「観光学」となると、一気にあやふやに見えてしまう。皮肉かもしれないけれど、観光学を学ぶところに近い人間が、「観光学」というものがなにかわかっていない。よく分からなくなってくる。

そもそも、「観光学」というものが、確立している必要があるのかという疑問すら湧いてくる。なんとなく、観光学が対象とするものを学ぶこと以上に、「観光学」ってそもそも何なのかということを、大学生の間で追及できたならと思う。

ということで、専攻の話しから大分逸れた気がするけれど、大学で学ぶことって、本当にメンドクサイし、楽しいけど、分からないことばかり(専攻そのものすら謎)だってことで、これをまとめとしよう。




今日も大学生は惟っている


引用文献

田村正紀.2013.旅の根源史.千倉書房

吉見俊哉.2020.大学という理念 絶望のその先へ.東京大学出版会





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